31.汚泥に埋まる悪しき者
一方で、追いかける秦は瑠璃と美咲の乗るジープに近づく。
助手席には憎きレイブンが見える。レイブンはこちらに気付くなり、懐から小型のハンドガンを取り出して、スライドを引いた。
(会いたかったぜ、この野郎っ!)
レイブンは慣れない手つきでハンドガンの銃口を向けて引金を引く。秦はハンドルを切り、蛇行させて弾丸を回避する。
拳銃の弾丸が切れると、慌ててリロードをしている。その隙を見逃さなかった秦は即座に加速させ、ジープの右側に並ぶように走る。
ジープの横を通り過ぎる一瞬、後部座席の瑠璃と美咲と目が合う。
僅かな一瞬だったが、秦は二人に微笑んだ。
運転席の横に並ぶと、すぐにアクセルを掴んでいない左手で懐のR8に手を伸ばす。
「少尉、奴をひき殺せっ!」
レイブンが運転席の少尉にがなる。少尉はハンドルを左に切り、秦のバイクにぶつける。
突然ぶつけられた秦は体勢を崩し、瑠璃と美咲の視界から消える。
「秦くんっ!」
後部座席の瑠璃が叫ぶ。
後ろを振り返ると、バイクだけが地面に転がって行くのが見えた。だが、秦の姿は見えない。
思わず身を乗り出そうとした時と同時、運転手の少尉がサイドミラーを覗き、驚愕した。
ジープのサイドの縁を掴み、ウインドサーファーよろしく、地面に靴底を滑らせながらR8を運転手に向けて発砲する。弾丸は心臓を貫き、少尉は絶命する。
ハンドルが逸れ、ジープが大きく右に傾く。レイブンが慌ててハンドルを戻そうとするが、ジープはそのまま道脇の木にぶつかる。その衝撃のせいで秦は地面に転がった。
木にぶつかったシープは右フロントを大破させ、地面に転がる秦に、車体を左に向けるようにぐらつき、傾いた姿勢で止まった。秦の方からでは車体の裏側しか見えない。
全身の擦り傷も気にせず、秦はR8を握り直し、ゆっくりと左に向いたジープに近づく。
回り込むと、後部座席には美咲しかいなかった。ジープが横転した時もしがみついていたらしく、美咲は地面に両足をつきながら、両手を見下ろしていた。
「美咲、大丈夫かっ!?」
「う、うん。大丈夫」
地面に倒れた美咲を引き起こす。見ると、助手席にいた筈のレイブンの姿も見えない。
「瑠璃ちゃんは?」
「あ、あそこ……」
美咲が秦の背後を指差す。少し離れた所に瑠璃を引き摺る様に歩くレイブンの姿が見えた。
すぐにR8を構えてレイブンに近づく。
秦の気配に気付いたレイブンが瑠璃の首に手を回し、見せつけるように向き直る。
「来るんじゃないっ! 来たら、この娘の顔面を吹き飛ばすぞっ!」
レイブンが瑠璃に銃口を突き付け、背後に隠れるように現れる。秦は進める足を止めない。
「ち、近づくなっ! 早く、車から離れるんだっ! は、早くっ!」
レイブンはがなるが、秦は後退せずにそのままレイブンに狙いを定める。
「秦兄、やめてっ!」
泣き叫ぶ美咲。だが秦はゆっくりとした足取りでレイブンに一歩、二歩と近づく。思わずレイブンはたじろく。
「よせよぉ。銃を降ろせよ。き、君だって、この女には死なれたら困るだろぉ?」
顔をくしゃくしゃにしてレイブンが懇願する。瑠璃に突き付けている銃口はガチガチと震えだす。
秦は銃口を降ろす気配はない。むしろ撃鉄を親指で起こし、さらに肩に力を込める。
「ひとつだけ聞きたい事がある」
「な、なんだ……?」
「あんたがリチャルドという男を雇って、志摩さんをそそのかしたのか?」
「リチャルドという男は知っている。なに、自分をどこかの大物と思っている馬鹿な男だった。志摩という男は知らない。そ、それがどうかしたのか?」
秦は思う。志摩さんは、こんな下衆野郎のたくらみのせいで悪に堕ちたのか。
目の前で女の子を人質にするような最低な男に。
「瑠璃ちゃんを解放しろ」
秦が静かにいう。
「この女を離したら撃つだろうっ!?」
裏返りそうな声で喚き散らす。身体に力が入り、瑠璃の頭に銃口を押し付けたせいで、瑠璃は苦痛の表情を浮かべる。
「な、なら、先にそっちが銃を捨てろ」
レイブンの言葉に瑠璃は首を横に振る。
秦は何かを悟ったかのような視線を二人に送る。
そして次の瞬間、撃鉄を親指で抑えたまま引金を引き、撃鉄を戻す。
そのままゆっくりと銃口を降ろし、腕を真下まで伸ばすと、R8を地面に捨てる。
レイブンはク、ククと堪え切れていない笑いを漏らし、勝ち誇ったような表情を作る。
ひとしきり堪え切れてない笑いを漏らす。
「クク、ハハ。やっぱ子供は、いいもんだなぁ」
「銃は捨てたぞ。早く解放しろ」
「いい、いいぞ。聞きわけが良い子は、いいっ!」
レイブンは「そら」、と言うなり、瑠璃の背中を力強く押す。前のめりに倒れそうになる瑠璃を、秦が駆け出して受け止めようとする。
「だめぇっ!」
秦の背後で美咲が叫ぶ。美咲の視線には、瑠璃の背後で秦に狙いを定めようとしているレイブンを捕らえている。その光景がスローモーションのようにゆっくりと流れていく。
瞬間。
銃声が響き、秦の腕の中に包まれた瑠璃が頭を竦める。
美咲も小さな声を漏らし、顔を両手で覆って背ける。
だが、秦が倒れるような気配はない。瑠璃は思わず見上げる。秦はただレイブンを睨みつけている。どこにも外傷はないようだ。
すぐに振り返ってレイブンを見た。銃を構えたまま固まっており、その胸には一発の銃弾が貫いていた。
「遅かったじゃあねぇか、慶太」
ぼそりと呟く秦。釣られて秦の背後を見ると、美咲のすぐに横で慶太がガバメントを構えていた。銃口からは白い硝煙が消えかかっている。
「良いタイミングだった、だろ?」
銃弾を受けたレイブンは「あぁ…はは…」と空気の抜けたタイヤのように息を漏らし、前のめりに倒れてぬかるんだ地面に沈んだ。そのままピクリとも動かない。
秦は落としたR8を拾い上げ、慶太とともにゆっくりとレイブンに近寄る。
「白いスーツが台無しになったな」
秦が吐き捨てる。
「奴にはちょうどいいだろう。どんなに綺麗に取り繕ったって、所詮は下衆だ。汚泥の中に居るのがちょうどいいぐらいだ」
済ました慶太の横顔を見るなり、小さくヒューと口笛を鳴らす。
「中々言うなぁ。その台詞、俺も貰うぜ」
「馬鹿、好きに使え」
そういった後、二人は小刻みに震え出し、やがて大声で笑い出した。鬱蒼とした森の中に二人の笑い声が響く。
まだ笑い終わらない秦が慶太の首に腕を回し、肩を掴む。
「アッハッハッハハハハっ! ………俺達、やったんだな」
「馬鹿、暑苦しいぞ。勘違いされるじゃねーか」
そういう慶太も楽しそうにまだ肩を刻ませて笑う。
二人の様子を見た瑠璃は安堵から腰が抜けてしまい、少しぬかるんだ地面に座り込んだ。すぐに美咲が駆け寄る。
「お姉ちゃんっ!」
美咲が泣きながら瑠璃に抱き着く。
瑠璃も安堵から泣き出しそうになったが、美咲の涙のおかげで自分は涙を堪えた。
しばらく笑い転げた後、二人はゆっくりと立ち上がった。
戦いが終わって、初めて全身の傷や火傷の痛みがじわじわと込み上げてきた。それもなんだか可笑しかった。
瑠璃と美咲の元に歩き、口元を緩ませる。
「二人とも……来てくれたんだね……」
二人の顔を見て、恐怖から解放された瑠璃の目から、ほろりと安堵の涙が零れる。
「あったり前でしょ」
秦が不敵な笑みを見せる。
「さぁ、帰ろう。姉さん」
そう言って慶太が手を差し伸べる。思わず瑠璃は目に涙を溜めながらもくすりと笑う。
「やっと、呼んでくれたね」
微笑みながら慶太の手を握り、身体を起こす。
「でも、お姉ちゃんのほうが良かったかな?」
悪戯な笑みを浮かべる瑠璃。
ハハ、と苦笑いを浮かべる慶太。それに釣られて瑠璃もクスクス笑い出す。
美咲だけが、瑠璃にしがみついたまま三人の顔を不思議そうに皆の顔を見比べていた。