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猛禽捕猿図  (もうきんほえんず) その意匠図の秘密とは?  生死は日常茶飯事。この世は武力が支配する。付録 野ざらし図について  増補版

作者: 舜風人





猛禽捕猿図とは

金工細工の意匠(図柄)のひとつで、、


刀の鍔や

目貫とか

小柄とか

煙草入れの前金具とかに

この図柄がある。


といってもかなり珍しい図柄だからどこにでもあるというものでもない。


この図柄は

鷲と思われる猛禽が

子ザルをむんずとその爪で捕まえている図柄で


武士の刃傷をこととする必殺剣である刀の鍔にふさわしい。


非情な生死の葛藤を描いた図柄として、猛々しさを著わす刀の鍔にふさわしいという図柄である。



そもそも、、、

実際


猛禽類は

子ザルどころか

農夫が畑の畔に寝かさていた赤子をかっさらっていったという事実もあるくらいで

子ザルや

子ウサギ

子狐

子山羊なども

襲って捕食することが事実として知られている。


まさに猛禽類なのである、



私もユーチューブで猛禽類の狩の様子を見たことがあるが

それはもうまさに弱肉強食の世界である。

不意に空から舞い降りてきて

子山羊の背中をその強力な長い爪で鷲掴みにする

そして空中に舞い上がる

一瞬の出来事である。


ところで、、

この猛禽捕猿図は

一説によると

仏教的な慈悲の表現?として?


猿を崖から落ちるのを鷲が慈悲?で、救っている図なのだという、


だが?鷲が何で縁もゆかりもないサルを救うのか?


事実としてはありえないということでしょうね。


人間が忖度して鷲もそこまで悪いことはするまい、、

という希望的観測でしかないと思います。

あるいは仏教説話的な

まあ一種のファンタジーです。



そもそも、、鷲は生きるのに必死です。


鷲は生きるためにまた子鷲を養うために

必死で狩をしているのです。

餌が無ければ自分も子鷲も飢え死にです。

食うか食われるかの世界です。


そんな厳しい自然界で

なんで

鷲がサルを助けなければならないのでしょう??

ありえないのです。

鷲がサルを助ける?

そんなのは

ファンタジーでしかないのです。

あるいは仏教的な架空の寓意説話?、、です。


実際問題、現実の自然界において

鷲が子ザルが落ちそうなので救ってやる

なんて絶対に100パーセント、ありません。



なんで、、、私がそこまで反論するかというと、、


実は

この

猛禽捕猿図の大目貫を持っています。

真鍮製?かと思われる幕末~明治ころの作品ですが。

タテ4cm ヨコ6cmの大きなものです。


そこでは鷲は大きく羽を広げて

猿を襲っています。

鷲は目を見開いて、、すさまじい形相で

子ザルの首を爪でつかみ締め付けています。


更に猿の頭に嘴を突き立てています。

頭に嘴が食い込んでいます。


猿は必死の形相で

死にも物狂いで断末魔で

最後の抵抗でしょうか鷲の足にかみついています。

、、、が、その抵抗も所詮かなわないでしょう。



これが

猛禽捕猿図


の真実


なのです。


自然界は弱肉強食


武士の日常もまた食うか食われるか

生死の境を渡世としている

それが武士です。


毎日が死に瀕している

武士は死と対峙して生きている。


そういう日々生死と向き合っているという厳しい環境をを著わした図柄


それが


猛禽捕猿図なのです。


武士も明日はしれません、


「武士道とは死ぬことと見つけたり」


「生か?死か?迷うなかれ、かならず死を選べ」



それが武士道です。


そういう死が日常茶飯事の世界では


この「猛禽捕猿図」は生死の厳しい深層を著わしたものとして刀の目貫に好まれたようです。


まさに「死は日常茶飯事」


「日々。死をもって渡世する」


という武士の刀の目貫や鍔の意匠として


まさにふさわしいものだったのでしょうね。




付録  野ざらし図   考証



さてここからは話が変わります


同じような意匠として「野ざらし図」があります。


「かつては勇猛果敢な武士が戦闘で命を落とし今では薄の生える場所で朽ち果てた姿をさらす図柄。

侍として力を尽くした証左であり感銘を受ける図柄であります。」カッコ内は引用です。



秋草の野にしゃれこうべが野ざらしになってる図。

みんな、いつか、はこうなるんだよ、、。

という無常観を著わした図柄です。


秋草が茂り、、

そこにしゃれこうべと

骨が散乱してる、、


そういう図柄です

まあ縁起でもない?図ですよね


そんな物をなぜ武士は刀の目貫で身に着けたのか??


それは日々生死に向き合う明日も知れぬ身を

自戒としたからです。

あなたも私も今いくら元気で金持で美貌で権力があり

有名人でも

結局最後はこうなるんだよ、、っていう

人生の無常さ、

だから?


今精いっぱい生きるんだよ、

むかしの武士は、

日々戦いに生き

武勲のために死をもいとわなかったという、

その結果

無残に殺されて死んだとしても

悔いはない、と自戒していたという


そういう武士の生き方を著わしたもの

それがこの野ざらし図だったのです。

たとえ無残に死に


野に朽ちようとも悔いはない、



「死して屍拾うものなし」


それが武士の本懐である。



これも刀の目貫や

小柄の図柄などに見かけますね。


要するに


猛禽捕猿図と同様に



明日をも知れぬ


生死の無常を描き

人きりを渡世とする武士の

無常観を著わしたものです。



「野ざらしを心に風の染む身かな」  芭蕉



芭蕉もまた家を捨ててあてどない旅に出ました

まさにこの心境を詠ったものです


猛禽捕猿図   にしろ


野ざらし図  にしろ



はっきり言って不吉な、、というか  縁起でもない図ですよね?


こんな情景見たくもない、、、ですよね。


でも?


武士たちは好んで?


こういう図柄を


刀の鍔や

小柄の柄に付けた、


なぜか?



それは繰り返しになりますが。。


武士という明日は死ぬかもしれない

生死をこととする渡世への


自戒

戒め


としてのものであったということなのです。

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