三
「良かったら蕎麦食いなよ芳さん」
「いや、悪ぃですよ。北斎先生の分でしょう?」
途端に腹の虫が鳴いた。
「……のびるよ蕎麦」
国芳は月々の納金のせいでカツカツである。親元を離れ国直と一緒に暮らしていた。
「ほらお栄ちゃんもこう言ってんだ、先生は帰らないんだから余ってんだよ。片付かねぇからさ、助けると思って食ってくれ」
「すいやせん、じゃあ頂きやす」
育ち盛りの国芳だ、国直は豪気な男だからソレ食えヤレ食えと国芳に食わせているらしいが、いつもは遠慮しているのだろう。
さっさと食べ終えたお栄がまた行灯から煙管に火を点ける。
国芳が蕎麦を食べていてもお構い無しだ。
「今日は国直は?」
「直さんは〆切間際で詰めてまさ」
大抵、国芳は国直に連れられて北斎宅へお邪魔する。
国直は大酒呑みで、一人で歩かせると善次郎や北斎を連れ回して呑むものだから、元服前で呑まない国芳がお目付け役なのだ。
だから国芳一人は珍しい。
「御馳走様です」
国芳が食べ終わると善次郎はどんぶりを流しで軽くすすぎ、重ねて土間の脇に置いた。
善次郎がやらないと誰もやらない。居候の仕事と善次郎は思っている。
ならばこの部屋のごたごたした風情も何とかしたら良さそうなものだが、これは北斎が嫌がる。
一度片付けようとすると、みっともないから止めろと怒られた。
部屋中要らなくなった下絵や反古を丸めた紙屑だらけで畳の目が見えない状態だ。こっちの方がみっともないでしょうと言うと。
『馬鹿、版元が顔出した時まるっきり仕事してねぇみてぇじゃねぇか。とっ散らかってる方がいいんだ』
などと、北斎に言われた。
片付け終わり国芳の方を向けば、仔犬と戯れている。
この犬も部屋の同居人である。
北斎が写生の為にと置いているが、餌をやっているところを善次郎は見た事が無い。恐らく長屋の何処かで残飯でも漁っているのだろう。
「直さんが急がしくしてるんで北斎先生と話でもしようかと思ったんですがね」
「なんだ芳さんは手伝わねぇのか?」
「直さんは速描きなんですよ。手伝うと逆に邪魔になる」
国直は〆切処理の達人で、急ぎの仕事がどんどん廻される。
小飼の弟子も同じく筆が速い。筆の速さが違うから、国芳が手伝わないのも仕方の無い事だろう。