二
善次郎が描き直し終えて顔を上げると、いつの間にか薄暗い。
お栄が行灯に火を入れるところであった。
「出来たよ、お栄ちゃん」
「…ふん、ちったぁマシだ」
行灯から煙管に火を移し、お栄はぷかりと紫煙を吐いた。
机に向かっていない時、お栄は正座をせずにしゃがみ込む。
顎がしゃくれたお栄は、自然いつも顎を引き猫背になる。
北斎が「お~いアゴォ」といつも呼ぶものだから、顎が目立たぬ様に身に付いた所作だ。
それでどてらを着こんで煙管をくわえるから、無愛想な口利きも相まって親爺の様に見える。
北斎の絵にうっかり火種を落として反古にしてしまい、暫く煙草を止めていたが、最近は誰も描いていない時にお栄はまた煙管をくわえる様になった。
「へい、御待たせしやした」
丁度その時蕎麦屋が出前を持ってきた。
この部屋の住人は誰も料理をしない。
朝は残り物を食ったり食わなかったり、昼もそれぞれ勝手に食いに行く。
夜は店屋物、出前を頼むか、煮しめ屋から買うか。
「お代、頂いて行きやすぜ」
「御苦労さん」
長屋の軒先にお栄は笊を吊るして小銭をじゃらじゃら入れている。
その笊から代金を摘まんで取ると蕎麦屋は帰っていった。
笊には『出前代』とでかでかと書いた紙。蕎麦屋など出前の代金はここから勝手に取れと吊るしているのだ。
北斎先生のお宅だからと誰もこの笊からくすねたりしないのだが、一日中吊るしたままというのは、なんともずぼらである。
本当にこの父娘は絵を描く以外どうでもいいらしい。
善次郎は初めて転がり込んだ時、笊を見てそう思ったものだった。
二人して蕎麦をすすっていると戸をホトホトと叩く音がする。
「ごめんくださいやし、近くを通ったもので」
「おや、芳さん。一人かい?」
「……鉄蔵なら居ねぇよ」
顔を出したのは国芳、歌川派一門の若手である。未だ元服前で月代を剃っていない。
初代歌川豊国と北斎は犬猿の仲だ。
北斎が見る人を圧倒するケレン味のある画風に対し、豊国は見る人に寄り添う馴染みやすい画風。
もっともこの二人、画風の違いより性格が合わないのだが。
多分に北斎が豊国を「熊公」呼ばわりするのがよろしく無い。豊国の俗名は確かに熊吉ではあるが、よろず几帳面な豊国は人を画号で呼ばない北斎が嫌なのだろう。馬鹿にされた様に感じるのだ。
…もっとも北斎は先輩である山東京伝の事も伝蔵さんと呼んでいた。死んだ歌麿の事は勇助、気に入った者を俗名で呼んでいる。
懐っこい性格だからか、自分を嫌う者は『憎さ百倍』というやつらしい。
そんな豊国門下の国芳は、先輩の国直共々北斎の画風に惹かれている。