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ねむるきみとねむる  作者: 野良丸
第二章
8/13





 ブラインドから差し込む日光。診察室の隅に置かれた観葉植物。椅子ごと身体を僕に向けていつもの笑みを浮かべている男性医。

「そうですか。お仕事が」

「はい。決まりました」

「何のお仕事をされるんですか」

「バイト先で正社員として雇ってもらえることになって……」

「そうですか」

「結局、あの夢と現実を完全に切り離すことはできませんでした」

 男性医は笑顔を浮かべたまま大きく頷く。

「夢だとしっかり認識できるようになって、なお、その選択をしたのですから、大丈夫。私はそう思いますよ」

「ありがとうございます。それで、ここへ通院するのは今日で終わりにしたいと思っているのですが、先生から見てどうでしょうか」

「――――そうですか。今日で……。そうですね、もうお薬も飲まれていないですし、日常生活にも問題は見られません。今までのような定期的な通院をする必要はないかもしれませんね」

「そうですか。今まで本当にありがとうございました」

「お大事に。あ、通院終了といっても、また何かあれば気軽に来てくださいね」

「はい」

 最後に笑顔を返してから診察室を出る。廊下まで出て見送ってくれた男性医に再度会釈をしてから歩き出した。

 病院から出てバス停に立ったところでスマホを取り出して時間を確認する。バイトの時間には間に合いそうだった。

 バスに揺られること二十分。それから徒歩で三分。

「あ、おはよーう」

 花の匂いを感じると同時に聞こえてきた声。

 店先で店長の奥さんがこちらへ小さく手を振っていた。動作が小さくても声が大きいと何の意味もないような気がする。僕が頭を下げると「ほら見て!」とまた大きな声で近くに置いてあった鉢を胸の前まで上げた。

 その行動の意味はすぐに分かり、小走りで駆け寄る。

「入荷したんですね」

「そうよー。好きだって言ってたから見せてあげようと思って。えーと、好きな色はどっちって言ってたかしら。白系? 赤系?」

「紅です」

 燃えるような夕焼けの。


 シャツとチノパンツに着替え、店名のロゴが入った黒いエプロンを着けるとスタッフ出入り口を通って店内へと出た。せっせと働きながらも、こうして花に囲まれていると不意にあの夢の世界を思い出すことがある。

 彼女の存在は僕の夢。妄想。幻想。幻覚。

 僕は先生にそう言った。

 それでも、たまに。

 あの世界が、彼女と意思を交わしたやり取りが、廃ビルで眠っていた彼女が。

 全て僕の作り出した幻覚だったとしても。

 この世界に彼女の存在を感じるような。

 そんな気持ちになることがある。

「すいません、店員さん」

 呼び止められて振り返る。そこには若い女性が立っていた。

「はい。如何されましたか」

「あの、会社の方に花束を贈りたいんですけど……、あ、その人、店員さんと同じくらいの歳の男の人なんですけど、私も花に詳しくないから、どういう花を贈ったら喜ぶか全然分からなくて……」

「何かお祝い事でしょうか」

「あ、はい。そうです。怪我をしてずっと入院していたんですけど、少し前に退院されたのでそのお祝いにと思って」

「それならやはり明るい色のものがおススメです。えぇと、個人的に渡すものでしょうか」

「はい、そうです」

「そうですか、そうなりますと、この時期だと――――」

 店内を歩きながら気に入った花を選んでもらい、そこから予算内に収まるよう更に選別する。そうして最終的に残った五種類の花を束ねてお客さんに渡した。

 嬉しそうな笑みを浮かべて店を出るお客さんをお辞儀して見送る。なかなか顔を上げられなかったのは、こういう時ついつい浮かんでしまう自分のにやけ顔が恥ずかしいからだった。

 気を引き締めて顔を上げ、再び花の世話に戻ろうとすると、

「すいません」と再び声を掛けられた。

「はい。如何され――――――――」

 思わず、言葉が途切れた。

 長い髪。

 小顔、長い睫毛、小さい鼻と口。

 花飾りをしていなくても、記憶よりどこか大人びていても、ピシッとしたスーツを着ていても。

 それは確かに彼女だった。

「店員さん?」

 彼女は首を傾げる。僅かに眉をひそめた怪訝な表情で。

「す、すいません。如何されましたか」

「父がもうすぐ定年退職をするので、その時にお祝いの花束を贈りたいんです」

 店内に飾られた花を見ながら言う彼女が僕に気付く様子はない。

「分かりました。希望の花や色などはございますか」

「あぁそれなら――――」

 彼女は肩からぶら下げていたバッグに手を入れると中から白い封筒を取り出した。

「写真です。私の父と母の趣味がガーデニングで……」

 そう言いながら封筒から出した写真は、真新しいものからパッと見ただけでも分かるほど古いものもあった。それを僕に差し出してくる。

「拝見してもよろしいでしょうか」

「勿論です。その中から今回の花束にあった花を選んでいただけると助かるんですが……」

「成る程。かしこまりました」

「勝手を言ってすみません。お忙しければ今すぐでなくても大丈夫ですが」

 その言葉に甘えて一応店長に確認を取ってみたが「今は人手もあるから大丈夫」と言ってくれた。しかし店の中で写真を見ていては流石に他のお客さんの迷惑になるため、休憩室に入ってもらうことになった。

「ソファもなくてすみませんが」

「いえ」

 テーブルを囲んでいる丸椅子の一つを勧めて、彼女が座ったのを見てから僕も向かいの席に腰掛けた。

 早速写真を見ていく。撮影場所はどれも同じで、おそらく庭の一角を写したものなのだろう。中心にある花壇。そこに咲いている花の中にはあの世界で見掛けたものもあった。たまに映り込んでいる夫婦は、写真をめくるごとに少しずつ年老いていく。花壇は途中で新しくしたようだけど、その変化だけは逆らうことができない。それでも、そこにいる夫婦の笑顔は変わることなく輝いていた。

「あの、どうでしょうか」

「とてもいい写真だと思います」

 顔を上げてそう言ってから、何を言っているんだ僕は、と思った。

「す、すみません」

 頭を下げると彼女は口元に手をあててクスクスと笑った。

 夢の中で見た笑みとはまるで違う。

 でも綺麗だった。

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

 彼女は目尻に溜まった涙を拭ってから「ふー」と深呼吸する。

「それ、私が撮ったものなんです。子供の頃から写真を撮るのが好きで」

「そうなんですか。今でも続けてられるんですか?」

「えぇ。仕事にはできなかったんですけど趣味として。休日なんかはよく遠出します。店員さんはやっぱり花が好きでここに? 男性の店員さんって珍しいですよね」

「よく言われます。そうですね、花は確かに好きです」

 でも、今でこそそう言えるけど、バイトを始めた頃は彼女に会いたいという気持ちだけだった。花のある場所にいれば彼女が来ると思っていたから。

「なにやら含みのある言い方ですね」

 彼女は興味を引かれたような笑みを浮かべて僕の顔を覗き込んでくる。

「そんなことはないですよ」

「いえ、絶対にありました。もしかして彼女さんの影響とかですか? あ、それとももしかして奥さん?」

「寂しい独り身アラサーですよ」

 左手の甲を向けながら言うと、彼女は「それは私への暴言と受け取っていいですか」と同じように左手を上げた。陳謝してから気を取り直すように咳払いをする。

「でも、そうですね、女性の影響ではあります」

「あー、元カノかぁ」

「違いますよ」

 その場は笑って誤魔化し、話をしながら選別していた写真を彼女の前へ差し出す。

「今の時期ですとこちらの写真に写っている花がお選びいただけます」

「これ全部にしたらいくらくらいになりますか?」

「えっ。と、とんでもない額に……」

 一応電卓でざっと計算して金額を見せてみると彼女の顔がさっと青くなった。

「もう少し減らしましょうか」

「お、お願いします……。花束って高いんですね。ホールケーキのほうが安い……」

「はい。そこは花の種類やボリュームにもよりますが、意外と高いんです」

 その後、写真を再度確認して花壇に植えられている回数が多く、さほど値も張らない花をいくつか選んでから店頭に出て他の花束を見ながら完成イメージを聞いた。

 それらが終わり、予約を受け付けてから店外に出た時には夕暮れ時になっていた。

「それでは一週間後お待ちしています」

「はい、よろしくお願いします」

 互いに頭を下げ合ってから彼女は踵を返して去っていく。


 彼女は、彼女であって彼女ではなかった。

 当然、悪い意味ではない。

 ただの事実。

 花ではなく写真が好き。

 よく笑う。

 よく喋る。

 滑舌だっていい。

 彼女であって彼女ではない。

 それが分かっていて、なお、惹かれている。

 いや、むしろ――――、

 だからこそ、惹かれているような。

 妙な感覚。

 でも確かにこれは、

 夢の中で彼女に感じたものや、先程紅い花を見た時に感じたようなものとは違うけれど。

 確かに、好きという感情だった。




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