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ねむるきみとねむる  作者: 野良丸
第一章
7/13




 暖かな風。

 花の匂い。

 半身に感じる柔らかな感触。

 瞼を開ききるよりも先に飛び起きた。

 休憩所の中央に立って周囲を見回す。

 彼女の姿は見えない。

 駆け出す。

 どこかに彼女はいる筈だ。

 花畑を走り続けるうちに、前方に休憩所の屋根が見えた。

 一周してきた?

 別の方向へ再び走り出す。

 しかし、それをいくら繰り返しても、彼女の姿が見つかることはなかった。

 休憩所に戻り、テーブル席に腰掛けて頭を抱える。

 彼女は消えたのか? 現実で死んだから? いや、これは僕の夢だ。彼女は死んだと僕が思っているからそれが反映されているだけだ。

 彼女は生きている。生きている。呼吸が止まったからといって、心臓の鼓動が聞こえなくなったからといって、身体が冷たくなったからといって、死んでいるとは限らないだろう。そこから生還した前例だってあるだろう。あるだろう? だから生きている。彼女は生きている。

 顔を上げて周囲を見る。

 彼女はいない。

 片手をテーブルにぽんと置いた。

 続けて両手を、最後は両の拳を思い切り叩きつけた。

 それでも世界に変化はない。

 ふと、彼女が作った花壇が目に止まった。

 ろくに動かない足で近付き、花壇の前に両膝をつく。

 病気に侵されていたとは思えない綺麗な花。

 何故僕は、さして好きでもないこの花達を救えて、彼女ひとり救うことが出来なかったのだろう。

 先程よりも心なしか冷たい風が吹き、花を小さく揺らした。

「僕は君達を助けてやったろう?」

 風に揺られて、花が頷いたように見えた。

「だったら次は、君達が僕を――――彼女を助けてやってくれよ」

 花は答えない。ただ揺れるだけだ。

 瞬間、唐突に周囲が薄暗くなった。それに合わせて周囲には冷たい空気が漂い始める。

 空を仰ぐ。

 太陽は、青空は、分厚い雲に覆われていた。

 鼻先で水滴が弾ける。

 雨。

 視界の隅で青色が舞った。

 前に向き直る。

 色とりどりの花弁が空に舞っていた。

 散っていく。

 雨粒が当たったものから。

 雨足が強まる。

 あっという間に視界は花弁で埋め尽くされた。

「ま、待ってくれ」

 手を伸ばす。それでも無数にある花弁の一枚も掴むことができない。

「君達がいなくなったら、彼女は――――彼女が――――」

 本当にいなくなってしまうような、そんな気がした。

 ふと、足元から花の匂いがした。

 視線を下げる。

 僕が好きだといった紅い花。

 消えないでくれ。

 それだけ思って、その上に覆いかぶさった。

 大粒の雨が背を打つ。

 僕の中に残っている彼女さえも掻き消すように。



「初めまして」

 病院のベッドで目を覚ましてからすぐ、笑みを浮かべた男性医がやってきた。入れ替わりで看護師が出ていく。

「彼女はどこですか? さっきの看護師さんに聞いても何も答えてくれなかったんです」

「そうですか。それは申し訳ありません。ところで彼女というのは、あなたの恋人でしょうか?」

「違う。知り合いです。彼女はまだ目を覚ましてないんですか」

「――――あなたと一緒に、ここへきた」

「はい、もちろん」

「どうやってここへ?」

「これは記憶の確認か何かですか? 背負ってきたんです。祭りの渋滞にタクシーが捕まってしまったから、ここまで背負って」

「彼女の名前をお聞きしてもいいですか?」

「知りません」

「――――あなたと、その彼女は、どこで知り合ったのでしょうか」

「廃ビルです。もうすぐ取り壊される予定の。その中で彼女は眠っていたんです。先生、もしかして彼女はここに入院していないんですか?」

「いえ、していますよ。だから安心してください」

 嘘だ、と思った。

「それなら会わせてください。起きていなくてもいいです。顔を見させてください」

「申し訳ありません、今はそれが出来ない状態なんです」

「何故ですか。なんなら窓越しに見るだけでもいいです」

 そう詰め寄ると、一瞬、男性医の表情が強張った。

 やっぱり嘘だ。

「帰ります」

 腕に刺されていた点滴を引き抜きながらベッドから降りようとすると男性医が「待ってください」と肩に両手を置いてきた。

「彼女さんのことは大丈夫です。今はあなたの身体について話しましょう」

「僕の身体? 何も問題はありません。倒れたのだって、普段運動をしていなかったから疲れただけです」

「確かに運動不足ではあるようです。しかしあなたはそれを差し引いても疲弊しきっています。身体も、心もです。検査と休養を兼ねて一週間、いや、数日だけでも入院しましょう」

「経済的に余裕がないんです。会社を辞めたばかりですし……」

「会社をお辞めになった。それはいつ頃ですか?」

「正式に辞めたのは昨日です。退職届を二週間前に出して、あとは有給を使って……」

「それは随分急なように思うのですが、何か理由が?」

「理由……。いえ、特には。強いて言えば、急に面倒になったというだけです」

「そうですか。お辞めになった会社ではどのようなお仕事を――――」

 それから一時間ほど男性医と話をした後、検査入院するということを伝えた。そうすれば、医師や看護師も油断すると思ったからだ。

 医師がいなくなった後、先程の看護師がまた入ってきたが、ナースコールの場所等を説明すると退室した。

 ベッドから降りて病院の窓から外を見る。曇り空。窓を全開にしようとしたが、十センチほどしか開かなかった。

 部屋を出てナースステーションの前を通ると見知らぬ看護師に名前を呼ばれ「どこへ行かれるんですか」と笑顔で声を掛けられた。

「この格好は落ち着かないので、着替えを買いに行こうかと。家に取りに戻るのは駄目だと言われたので」

「そうですか。売店の場所は分かりますか?」

「いえ」

「一階に降りて、階段を右に曲がったところです」

「ありがとうございます」

 出来る限り愛想よく対応してから立ち去る。

 売店でTシャツとトレーナーパンツを買い、一階のトイレで着替えてから病院を出た。


 廃ビルの前でタクシーを停めてもらい、本当にここでいいのかと尋ねてくる運転手に料金を払って降車した。

 ビルの中に人気はなかった。

 いつもの部屋にも誰もいなかった。

 ベッドすらなかった。

 寝袋だけが床に広がったまま。

 その上に腰を下ろし、ゆっくりと仰向けになった。



 雨の音。

 瞼を開き、上体を起こした。

 周囲を見る。

 何もない殺風景な部屋。

 窓を叩く雨粒。その向こうに広がる分厚い雲。

 立ち上がり、窓の前に立った。

 もしも君が、僕の生み出した幻想なのだとしたら、きっとそれが世界の全てで。

 今確かに、それは終わったのに。

 世界は続いている。

 停滞を許すことなく。

 窓を開け放つ。

 強風と共に雨粒が吹き込んでくる。

 目に入り込んだそれが涙のように頬を伝った。

 この雨はいつ止むのだろうか。

 止んだら、何か変わるのだろうか。

 変わるに決まっている。

 この世に在って不変なものなど、死以外にないのだから。






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