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ねむるきみとねむる  作者: 野良丸
第一章
6/13







 本当にくだらないことを言った。

 足を伸ばせば届くほどに低い天井を見ながら反省する。

 死ぬつもりなんてない。たまに考えて、心の中で軽く笑うだけの冗談だ。人に言ったら引かれるか咎められると分かっていたのに口にしてしまった。彼女なら笑い飛ばしてくれると思ったのかもしれない。

 僕は求め過ぎている。そして悲しませて、怒らせてしまった。

 でもあれが僕の夢であることを考えると、その反応こそが僕の求めたものだったのかもしれない。

 なんて、気持ちの悪い。

 もしかしたら彼女も僕のそんな考えに気付いたのかもしれない。そして気味悪がって姿を消した。あれから二週間も廃ビルに現れないことを考えると、ただ怒っているよりもそちらの方が納得できる。

 壁に取り付けられているデジタル時計を見て部屋から出た。

 一日三回、食事を終えた後に廃ビルへ行って眠る。それをこの二週間続けている。彼女が姿を現さずとも、あの夢を見ることがなくとも。

 ホテルから出ると浴衣姿の男女が向かいの歩道を歩いていた。女性が着ている花柄の浴衣に目を止める。あの柄の花は夢の世界にあっただろうか。あったような気もすればなかったような気もする。

 僕の視線に気付いた女性が気味悪げな表情で男性に話し掛けた。顔を逸らしながら、祭りでもあるのか、と考えるとすぐに思い当たった。地元ではそれなりに規模の大きい祭りが確か毎年この時期に開催されている筈だ。おそらくそれだろう。

 開催地方面へ行くと道が混雑していることは間違いない。頭に浮かべていた店を候補から外し、浴衣の男女とは反対方向へと歩き出す。確かこっちの方にラーメン屋があったはずだ。それならホテル内で売っているカップラーメンでもいいような気がしないでもない。

 それからすぐに見つけたラーメン屋は閉まっていた。腹が鳴る程度には空腹だが、それほど何かを食べたいという気分ではない。この空腹だってあと一、二時間経てば不思議と感じなくなることはこれまでの経験で分かっている。

 そう考えた後、僕の足は自然と廃ビルへ向かっていた。二日に一度はやってくる不良達も今日は祭りに行っているだろう。終わった後に来るという可能性は否定できないが、とりあえず入ることができるならそれでいい。

 思っていた通り廃ビルに不良達はいなかった。階段を上がり三階へ行き、いつもの部屋のドアを開く。

 密閉された部屋特有の生暖かい空気に混ざって、花の匂いがした。

 思わず顔を上げる。

 木製のベッド。

 仰向けに寝ている人影。

 後ろ手でドアを閉めてから近付くと、それは確かに彼女だった。

「祭りに行かなくていいの?」

 問い掛けるが返事はない。

 規則正しく上下する腹部。

 寝袋を床に広げてから腰を下ろし、ベッドにもたれかかった。そうして見える窓の外には月が浮いていた。満月と半月の中間の、どこか不格好な形。

「久し振り。もう来ないかと思ってたよ」

 返事はない。小さく寝息が聞こえるだけだ。

「今日は正式に会社を退職した日なんだ。大学を出てからずっと勤めていたところだ。年月だけでいえば、高校や中学、大学、小学校よりも長い時間を過ごした場所だ。残業時間も含めると余計にね」

 ちょっとした自虐。笑ったのは僕一人だけだ。

「でも何も感じない。ほんの少しの寂しさや、自由になった喜びくらいはあるものだと思っていたんだけど、本当に何も。その事実を寂しく思うくらいに」

 ふと、室内にこもった熱気に気付いて窓を開ける。

「そうなると、この数年間僕は何をしていたんだろうって考えが浮かんでくるんだ。何も感じない、何も残らない場所で、僕は何を――――」

 背中に風を感じながら元の場所へ戻る。

「いや、働いていたんだ。金を稼ぐために、生きるために、自分を殺して」

 何故僕はこんな話をしているのだろう。少し考えたら答えはすぐに出た。当然だ。自分の事なのだから。

「多分、僕の中に僕はもう殆ど残っていない。殺し続けて、残りカスがあるだけだ。もしも君が、君の存在が、そんな僕の生み出した幻想なのだとしたら、きっとそれが世界の全てなんだ」

 だから怖い。今ここで眠って、なにも夢を見ることなく目覚めてしまった時のことが。

「そういえば花屋に行ってみたんだ。一週間くらい前だったかな。生まれて初めて行ったけど屋内は花の匂いがすごいね。何しに行ったかっていうと、夢の中で見た紅い花を探しに行ったんだ。でも見付からなかった。今の時期に咲く花じゃあないのか、それともこっちにないだけなのかは分からないけど」

 多分ないのだろうとは思っている。

「この廃ビルが取り壊されるって前に言ったよね。そのことを教えてくれたお爺さんが後から教えてくれたんだけど、十月の初めには作業が始まるらしいよ。あと二か月もしないうちにここへ来られなくなるんだ。僕も君も、あの不良の子達も。僕らにとって、ここが世界の全てなら、その日、確かに世界は終わるんだ。また新しい世界を目指すのか、そこで終わりにするのか。終わらせたらきっと楽なんだよ。生きていけると思う。楽しく。今の自分に満足しながら。新しい世界を目指したらきっと辛いことが多い。辛いことを乗り越えてその世界に辿り着いたとしてもきっとまだ辛いことはたくさんある。そのうえ、その世界だっていつ終わらないとも限らないんだ。君はどっちがいい? あの花畑の世界が終わったとして。僕はどっちも嫌だ。だからこの世界にいたい。あの世界にいたい。そう思うのは悪いことだろうか。変わらないことを求めるのは悪だろうか。停滞は死と同義だろうか。生とは本当に前進することだろうか。もし僕が、今、この廃ビルで死んだなら、あの世界にずっといられるだろうか。それは本当に死だろうか。僕にとってそれは――――」

 窓の外で花火が打ち上がった。少し遅れて届いた爆発音が空気を震わせる。

「花火だ。祭りがやってるんだよ。君は行ったことがある? 僕は学生の頃は毎年行っていたよ。それこそ、小学生から大学生まで毎年ね」

 再び花火が打ち上がる。その音が届くまでの僅かな静寂。

 彼女の呼吸音だけが聞こえた。

 いつもより荒く、激しい。

 反射的に振り返る。

 その瞬間、花火で照らされた彼女の顔は汗にまみれて紅潮していた。

「大丈夫?」

 問いながら手を伸ばして額に触れた。

 熱い。尋常でない程に。

 病院。に、行かないと。

 そう考えている間に窓の向こうで花火が上がる。

 再び照らされる彼女の顔。

 その左頬に見えた黒い斑点に思わず目を見張った。

 薄闇では見え辛い。だが確かにその一部分のみ異変があった。

 花火が上がる。

 右手の甲にもう一つ。

 花火が上がる。

 両足にはない。

 シャツのボタンをはずして前を開ける。

 花火が上がる。

 思わず息を飲んだ。

 シャツのボタンを適当に閉めてから彼女を抱き起した。そのままなんとか背に担いで歩き出す。体重は殆ど感じなかった。火事場の馬鹿力というやつの仕業だろうか。

 ビルを出て、病院へ向かってひたすら足を動かす。耳元に感じる彼女の荒い息が僕を急かす。

 その途中でタクシーを発見し、手を上げて呼び止めた。

 彼女を座席に寝かせてから僕も乗り込む。

「お客さん、どちらまで?」

 運転手がバックミラーを見ながら呑気に聞いてくる。

「病院に決まってるだろ! 急いでくれ!」

 思わず叫ぶと運転手は少し驚いた表情をしてから「は、はい」と車を急発進させた。

 彼女の頭を膝の上に乗せて覗き込む。頬の斑点は先程よりも一回り大きくなっていた。

 右手で患部に触れる。

 変化はない。

 当然だ。ここは夢じゃない。

 それでも手を離すことは出来なかった。

 そうしている間にも斑点は彼女の身体を少しずつ侵食していく。

「お客さん」

 その声に顔を上げると、タクシーは停止していた。信号じゃない。かといって病院に着いたわけでもない。周囲にはたくさんのライト。

「すいません、渋滞でしばらく動けそうにありませんが、どうしましょう」

「回り道は出来ないんですか」

「今は封鎖されている道も多くて、それ以外はどこも混んでいるような状態なんです」

「分かりました、じゃあここまででいいです。お釣りもいりません」

 メーターに表示されていた金額を札だけで払ってからタクシーを降りた。彼女を背負ってから再び走り出す。

 右前方、先程よりも近くで花火が上がった。

 車の間を抜けて辿り着いた歩道には祭りから帰るところであろう人達が同じ方向へとぞろぞろ歩いていた。

 彼女を背負い直してから人の流れに逆らって走り出す。何度も人とぶつかってバランスを崩したが転倒することはなかった。

 懐かしい祭りの雰囲気、匂い。

 楽しげな表情で歩く人々。

 連続で打ち上がる花火。

 周囲から湧き上がる歓声の中をひたすら走り抜けた。

 夜空に花火が上がらなくなった頃、ようやく人ごみを抜けた。

 体力の限界で足がまともに動かなくなり、一歩一歩ゆっくりと歩き続ける。

 片側二車線の道路。反対側の歩道は海に面していて、そこには先程まで花火を見ていた人達横であろう人影が見える。誰もが身体ごと海の方を見ていて、僕達に気付く人など一人もいない。

「はな」

 その声が聞こえたのはそんな時だった。

 初めて聞く声。想像していたより舌足らずな声。

 でもそれは確認するまでもなく彼女の声だった。

「おおきなはな」

「花火だよ。知らない?」

 息を切らしながら返す。

「みたことある」

「そうなんだ。どこで?」

「まえもいまも、さいて、ちった」

 花火だから。そういうものだから。普段はそう返すであろう言葉は喉の奥で詰まったようにでなかった。

「それがただしいかたち?」

「ち――――」

 違う、とは言えなかった。

 形あるものはいつか崩れる。

 それは石も、ティーセットも、花も、人間も、車も、花火も、海も、この世界も。

 等しく。

 それが分かっていても、僕は、僕らは、

「来年も見よう。この花火を」

「いっしょに?」

「うん、一緒に」

 肩に乗っていた彼女の顔が僅かに動いた。

 首肯。

 僕の耳元で絶えず聞こえていた呼吸が止んだ。

 足を止めて振り返る。

 彼女の顔が、袖から覗く手が、黒く。

 絶叫し、駆け出した。

 焦燥は恐怖に塗りつぶされた。

 怖い。

 彼女を失うことが。

 約束を果たせなくなることが。

 どれだけ走り続けたか、時間が経ったかも分からないまま病院に駆け込んだ。夜間窓口の前で立ち止まった途端足から力が抜けてその場に崩れ落ちる。

「どうされましたか!?」

 それに続いて応援を要請する声をどこか遠くに聞きながらゆっくりと体を反転させて彼女を見た。

「ごめん、大丈夫? 頭打たなかった?」

 何も答えない彼女の頭を撫でる。

 受付から出てきた従業員が僕の前に立って肩を叩いてきた。

「大丈夫ですか!? どうされましたか!?」

「僕は、大丈夫。だから、彼女を」

「彼女? お連れの方がいらっしゃるんですか? 車の中ですか?」

「何を――――」

 近付いてくる複数の足音、車輪が滑る音。

 瞼を開けていられないほどの疲労感の中、何かに乗せられて運ばれているのだということだけは分かった。

「彼女は?」

 瞼も開けずに聞いた。返事はない。

「彼女は?」

 再度聞く。

 手を動かすと何かに触れた。誰かの手だ。それを掴んで、最後の力を振り絞って声を上げた。

「彼女は?」

「彼女? ――――というのは?」

「分かりません。もしかしたらお連れの方がいるのではないかと、現在駐車場を確認してもらっていますが……」




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