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ねむるきみとねむる  作者: 野良丸
第一章
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 左半身に感じる柔らかさ。僅かに身体が沈んでいる感覚。いつもより遠い花の匂い。

 目を開けると彼女の背中があった。腰をかがめて、植木鉢の花に水をやっている。

「あのさ」

 身体を起こし、ソファに座り直しながら話し掛けると彼女は驚いた様子もなく振り向いた。

 現実の君はなんであんなところにいるんだ、と聞こうと思ったが、すぐに止めた。やっぱり僕の夢の中で質問することにはなんの意味がないし、わざわざ現実のことを持ち出す必要はないと思ったから。そんなことを聞くくらいなら、どうして花飾りの色が青からピンク色に変わっているのか聞いた方がまだ意味がある。聞かないけど。

「いや、なんでもない」と首を振る。彼女は特に反応を見せることもないままに近付いてきたかと思うと僕の手を掴んでぐいぐいと引っ張り、もう片方の手で植木鉢を指差した。

「なに?」

 腰を浮かせながら植木鉢の花をよく見ると、それらにはまた病気の症状が表れていた。

 彼女に引っ張られるままに植木鉢の前に立ち、自分の手を眺める。

 一時凌ぎにしかならなかった。

 その事実にショックを受けている自分に気付き、思わず自嘲した。

 そんなものだろう。僕は僕に何を期待していたんだ。

「治した方がいいの?」

 斜め後ろに振り返って問うと彼女は不思議そうに頷いた。

「また病気になるのなら同じことだ」

 彼女は更に不思議そうに首を傾げた後、何かに気付いたように口を小さく開けた。そして再度僕の手を掴むと、今度はソファの方に引っ張る。

 そうして彼女が指差したのはソファの裏手にいつの間にかできていた自然石の花壇だった。規模は小さく、植えられている花は十本だけ。

 十本?

 振り返って植木鉢の数を数えてみる。八鉢。

 彼女は隣で僕の顔をじっと見た後、花壇と植木鉢を指差してから顔の前で腕を交差させてバツを作った。言いたい事は何となく分かる。

「あれが昨日治した花で、あれは新しく見つけた病気の花?」

 彼女はこくこくと力強く頷いた。

「そっか」

 勝手に早とちりしてふてくされていたことが恥ずかしくて右手で顔を隠す。でもそんな僕の気持ちなど彼女にはどうでもいいらしく、三度手を取られて植木鉢の前まで引きずられた。

 手を離した後に『よろしくお願いします』とでもいうように一礼。

 それを見て少し誇らしげな気分になった自分に嫌気がさす。

 腰をかがめて花に指先を触れる。その寸前に少しだけ不安がよぎったが、昨日と同じように病気を消し去ることができた。

 全ての花に触れてから腰を上げると彼女は二度頭を下げた。再び浮かんできた誇らしい気持ちを押し込みながら首肯だけ返す。

 さて、僕がこの世界でできることは終わった。かといって現実を思い出すと目を覚ます気にもなれない。散策でもしてみようか。でもこの世界に花畑以外の景色があるのだろうか。

 そんな風に考えていると彼女がテーブルを指差した。

「座れって?」

 二度頷く。

 指示されるままに腰掛けると彼女はテーブルの横に立った。そして腰の高さまで上げた両手をテーブルにぽんと乗せた瞬間、僅かな風と共に赤いギンガムチェックのテーブルクロスが現れた。彼女は更に両手を上げて、今度は交互にぽんぽんと数回手を置く。それに合わせてテーブル上には料理やティーセットが出現した。

 彼女は両手の動きを止めると、どうぞ、とでもいうように掌を料理に向ける。

「食べていいの?」

 彼女は頷いてからティーセットを手に取って空のカップに紅茶を注いだ。

「君も食べなよ」

 いいの? というように首を傾げる。

「多分一人じゃあ食べきれないし、それに食事は複数でした方が楽しいっていうし」

 現実でそう感じたことはもう何年もないけど。

 彼女は頷くと向かいの席に腰掛け、手をテーブルに置いた。取り皿と箸が現れる。それを見て僕も真似してみたが、やっぱり何も出なかった。

「君はどうしてこの世界にいるの?」

 サンドイッチ片手に問うと、彼女は数秒間僕をじっと見てから花畑を指差した。

「花を育てるため?」

 彼女は首を横に振る。

 違うのか。それ以外にどんな理由があるというのだろう。

「じゃあどうして?」

 彼女は困ったように表情を固める。

 どうしたものかと考えて、ふと思い付いた。

「じゃあこうしよう」

 左手を前に伸ばす。彼女は首を傾げながらその上に手を乗せた。

「いや、そうじゃなくて、掌に文字を書いてほしい。それならなんとなく分かるんじゃないかな」

 我ながら良いアイデアだと思ったが、彼女は再び表情を固めた。

「まさか文字が書けないとか?」

 日本の識字率は九十九パーセントなのに。

 彼女は申し訳なさそうに目を伏せてからコクリと頷く。

「いや、君は悪くない。多分、そういうルールなんだよ」

 文字での意思疎通自体が禁止なのか、あるいは現実で彼女の書いた文字を見れば夢にも反映されるのかは分からないけど。

 少し気まずい空気の中での食事を終えた後、彼女は麦わら帽子をかぶって如雨露片手に花畑へと入っていった。テーブルの上にあった食器は空っぽになったものから消えていき、今ではテーブルクロスが残っているだけ。

 右頬をテーブルに置きながら彼女を眺める。相変わらず無表情だが、水遣りをしている最中はどこか楽しげな様子だった。

 顔の前に手をポンと置いてみる。一応頭の中で携帯電話をイメージしていたけど何も出ない。

 彼女の力があれば、花の世話よりも楽しいことなんていくらでもできるだろうに。

 例えば……――――。

 なんだろうな。意外と思いつかない。

 まぁ、だからこそ、僕はこの世界にいるのかもしれない。

 ふと彼女がこちらに顔を向けた。目が合うとちょいちょいと手招きする。

 重たい腰を上げて日陰から出ると日差しの強さに思わず目を細めた。熱気は感じないが、ひたすらに眩しい。右手で顔に影を作りながら近付くと、彼女は右手で自らの頭をぽんと叩いた。すると麦わら帽子の上に更に別の麦わら帽子が現れ、それを手に取って差し出してきた。

「どうも」

 頭に乗せると不思議なくらい眩しくなくなった。多分そういう道具なのだろう。

 彼女は満足げに数回頷いた後、腰をかがめて一点を指差す。

 葉に黒い斑点が表れている花。僕が指先で触れるとあっという間に治った。

 頭を下げてから水遣りを再開した彼女を見て不意に思い付く。

「あのさ」

 彼女は振り返る。

「なんでも出せるならスプリンクラーとか出せばいいんじゃない? そうすれば自分で水遣りをする必要もなくなる」

 彼女は首を傾げる。

「知らない? スプリンクラー」

 首肯。

「水を出してくれる機械なんだけど……」

 彼女は何か考えるように虚空を見つめた後、空を仰いで胸の前でぱんと両手を合わせた。

 つられて空を見上げていた僕の鼻先にポツと水滴が当たった。今の今まで晴天だった空には分厚い雲が現れている。

 ぽつぽつと振り始めた雨はあっという間に本降りとなった。

 ぼんやりした表情で雨に打たれるままになっている彼女の手を取って休憩所へ避難する。

「違う違う、雨じゃなくて」

 びしょ濡れになった服を絞りながら言うと、彼女はもう一度手を合わせた。するとあっという間に雲は消えて元の晴天に戻った。

 いくら夢の中とはいえ若干呆気にとられながら花畑を眺める。

「でも、天気を変えられるのなら、水遣りをしたい時は雨を降らせればいいんじゃない? ほら、もうこれで今日のところは水遣りの必要はないわけだし」

 彼女は無表情のまま花畑を見た後、休憩所内の植木鉢に水を遣ってからテーブルの席に座った。

 さっきの僕のように頬をテーブルにつけて花畑を眺めながら足をぷらぷら動かしている。その目はどこか無気力だ。僕の真似だろうか。いや、多分これは単純に――――、

「退屈なの?」

 彼女はテーブルに頬をつけたまま首を横に振る。でもどこからどう見ても退屈そうだ。

 悪いことをしてしまった気分。

「他に何かやりたいこととかないの? 例えば――――」

 そう言いながら向かいの席に座ると彼女はテーブルに顎を付けてこちらを見た。とことん退屈そうだ。

「テレビを見るとか」

 彼女は首を傾げる。知らないらしい。

「漫画とか小説は?」

 彼女は首を傾げる。そもそも文字を読めるのだろうか。

「音楽――――は、プレイヤーとかが分からないか……」

 麦わら帽子をへっこませたり戻したりし始めた姿を見て罪悪感が増す。

「えっと、普段は何してるの? 花の世話以外でさ」

 彼女は僕を見ると目を閉じて首を傾けた。

「寝てる?」

 目を開けて首肯。

「寝て、起きたら花の世話をして、終わったら寝る?」

 首肯。

 一昨日までの僕と同じようなものだね。そう思ったけど口には出さなかった。きっと彼女は僕と違い好きでやっているのだから。

「あぁそうか」

 思わず口に出すと彼女は顔を上げた。

「君がこの世界にいる理由は、花が好きだから?」

 彼女は僅かに顔を綻ばせてから頷いた。

 なんだ。すごく簡単な答えだった。

「君が一番好きな花は?」

 彼女は思案顔をしてから両腕を大きく広げた。

「ん? あぁ、そう。この世界の花の中で」

 彼女は首を横に振り、ふんふん、と更に両腕を広げようと胸を張る。

「うん?」

 ふんふん。

「えーと?」

 ふんふん。

「それ以外にヒントないの?」

 ふんふん。

「ないのか」

 彼女は再び思案顔をしてから不意に立ち上がり、休憩所の中央に立つと両腕を広げてくるくる回り始めた。

「なに? 踊る花でもあるの? そんなの玩具でしか見たことないけど……」

 サングラスを掛けていてウェイウェイ動くやつだ。

 彼女は首を横に振ると、植木鉢の花をびしりと指差した。

「それが好きなの?」

 なんか自棄っぽいけど。

 しかし彼女は答えることなく隣の花を指差す。

「それが好き?」

 答えず更に隣を指差す。

「それも好き?」

 首肯してから再度両腕を大きく広げる。

 それでようやく理解できた。

「全部好きってことか」

 ふんふんと鼻息荒く首肯。

 テーブルに座りなおすと、一仕事終えたように長い息を吐いた。

 またしても簡単な答えだった。にもかかわらずすぐに出てこなかったのは、好きだからとか、全部好きとか、もうずっと考えたことがなかったからだと思う。

 仕事も食事も睡眠も義務のようにおこなっている。今を生きることすらも。

 不意に眼前で振られた掌で我に返った。彼女はテーブルに乗せていた身体を引いて席に座りなおしてから僕を指差した。

「僕が、なに?」

 問うと、僕を差していた指を自分に向けてから先程のように両腕を広げた。そして再度僕を指差す。

「僕が好きな花? それとも好きな物?」

 彼女は二度頷く。

「どっちも?」

 首肯。

「好きな花……。って言われても、正直今まで花に興味なかったんだよね。見たら『綺麗だなぁ』くらいは思うけどさ。その中で強いて言えばあれかな。なんとなくだけど」

 植木鉢の中の紅い花を指差す。当然、なんという花かは分からない。

 彼女は頷いてから首を傾げた。

「次は好きな物?」

 首肯。

「特にないかな。子供の頃は絵を描くのが好きだったよ」

 首を傾げる。

「今はやってない。もう何年もね。仕事で忙しかったから……じゃあないか。大学に通っていた頃からもう描いていなかったし。友達に誘われてサークルに入って、そこのメンバーと毎晩飲み歩いていた。別に酒が好きだったわけでもなければ、飲み会のような席が好きだったわけでもないんだけど」

 彼女は首を傾げる。

「一人になりたくなかったんじゃないかな。一人でいる方が楽だっていうことに気付いた今の僕からすれば無駄な時間を過ごしたとしか思えないけど――――、でも、きっと世間的には今の僕より昔の僕の方が良い人なんだろうとは思うよ」

 ふと、自分の事なんかをくどくど語ってしまっていることに気付いた。

「まぁ今となってはどうしようもないしどうでもいいことだよ」

 早口で言ってから前を見て「君は花の他に好きなものないの?」と問うと、彼女は僅かに俯いていた顔をそっと上げた。

 その表情はどこか寂しげに見えた。

 理由を探すとすぐに思い当たった。

「一人が好きって言っても、それは現実の話だからさ。ここは別だよ」

 その言葉には反応しないまま、彼女は自分を指差した。

 自分が好きということだろうか。すごいな。

 形はそのままに右手は動き、今度は僕を指差す。

「あ、うん。どうもありがとう」

 咄嗟にそう答えると同時に彼女が再びテーブルに身を乗り出した。

 さっきよりも深く。

 乗り出して。

 僕の頬に。

 そっと口付けた。



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