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ねむるきみとねむる  作者: 野良丸
第一章
3/13



 瞼を開くと予想していたよりも室内を視認できた。窓から差し込む月明かりのおかげだ。

 薄闇の中で女は変わらず眠っている。

 ドアに耳を近づけても不良達の声は聞こえない。

 それだけを確認してから部屋を出て、廃ビルを後にした。

 帰り道に偶然見つけた公衆電話で百十九番通報して女のことを伝えておく。

 これでとりあえず最低限するべきことはした。

 安心してアパートへ帰宅した。ベッドの枕元で点滅していた携帯電話で時刻を確認すると午前三時。着信は五十件。メールは二十件。その全てが会社や上司、同僚からだった。最後の着信時刻は十分前。こんなに深夜に電話を掛けてくるなんて非常識な、と思い笑っていると、携帯の画面が切り替わったかと思うと手の中で震え始めた。画面には同僚の名前が表示されている。

「もしもし」

『あ! おい、今まで何してた!』

「不良に絡まれてリンチされて気絶していました」

『馬鹿野郎! こっちはお前がいないおかげでこんな時間まで残業してんだよ! 今からきて自分の仕事くらい片付けろ!』

「ご迷惑を掛けて申し訳ありません。明日は出社しますので。それでは失礼します」

『話聞いてんのか! 俺は今から来いって――――』

 電源ボタンを押して通話を切る。すぐに長押しして携帯の電源を切った。

 入浴や洗濯を済ませようかと思ったが、夜中に音をたてて他の住人から苦情が来ても面倒だ。それらは家を出る前にすることにして、とりあえず退職届でも書いておこう。退職までの二週間は入社以来一度も使っていない有給を消化すればいいか。

 退職届を書き終えてから一時間ほど仮眠をとった。かなり浅い眠りだったと思うけど、花畑の夢は見なかった。

 起きてから家事と入浴、それから手足の切り傷に絆創膏を貼ってから出社した。同僚達の遠巻きからの嫌味(予想していたほど言われなかったのは怪我に同情してくれたからだろうか)をBGMに有給届を書き、出社してきた直属の上司に退職届と一緒に提出した。予想通り「ふざけるな!」とその場で破り捨てられたため、用意しておいた予備の退職届、有給届を置いて踵を返した。追い掛けてきた上司に殴られたり同僚に引き止められたりと妨害はあったが、なんとかそのまま会社を出ることができた。

 これで僕も晴れて自由の身だ。歩きながら見上げた空は曇っていたけど心は晴れ晴れしていた。上司に殴られた頬の痛みも全く苦ではない。

 ふと、横断歩道上ですれ違ったサラリーマンに顔を向ける。炎天下を汗だくのスーツ姿で歩き、電話をしながらぺこぺこと頭を下げて、愛想笑いを顔に張り付けて。

 どこまでも日常だ。世界が続くというのならそれも悪くない。

 だが、終わることが確定した世界の光景ではない。

 世界は狂っている。


 ショップで携帯を解約した後はアパートに戻るつもりだったが、昨日の女の事が気になって廃ビルまでやってきてしまった。もうここにいる筈はないというのに。

 足を忍ばせ、耳を澄ましながら廃ビルに足を踏み入れる。ゆっくり階段を上って三階まで辿り着く。ここまで来て声が聞こえないということは大丈夫だろう。大体、彼らが学生か社会人か知らないが、平日の昼間からこんなところにいることがまずおかしいのだ。僕が言えたことではないけど。

 彼らの溜まり場に誰もいないことを確認してから斜め向かいの部屋に入った。

 密閉状態特有のもわっとした空気に顔をしかめて室内を見回す。

 薄暗く殺風景な部屋。

 唯一置かれているベッド。

 そこで仰向けに眠っている一人の女。

 いや――――、おかしいだろう。

 どうして彼女がここにいる?

 白いシャツのワンピースにジーンズ。服装も昨日と変わっていない。

 救急隊は? 来なかったのか? そんな筈はないだろう。

 ベッドの横に立ち、彼女の肩を掴んで強く揺らす。

 反応しない。だが呼吸はしている。顔色も悪くないし、身体も華奢だが痩せ細っているようには見えない。

 つまり彼女は自らの意思でここに戻ってきたということだろうか。それにしても、こんな昼間からここまで深い眠りについているのはおかしい。昨晩眠っていないとかならまだしも、僕と一緒にずっと眠っていた――――いや、僕なんかよりもずっと長く眠っていた筈なのだから。

 睡眠障害、という言葉が頭に浮かんだ。急な眠気に襲われるものや、普通ではありえないほどの長時間眠り続けるものなんかがあったような気がする。

 だがそれは僕が考えても仕方のないことだ。今するべきことは、とりあえずもう一度救急車を――――携帯解約したんだった。

 電話の機能をなくした携帯電話をポケットにしまってから窓を開けた。涼しい風が室内に吹き込んでくる。

 とりあえず今日は彼女が起きるまで待とう。時間ならいくらでもある。

 そう決めてベッドに背中を預けた。理由は、多分、そこが一番風の当たる場所だったから。

 再度携帯を取り出してゲームを始めた。買った時から入っていたシンプルなゲームだ。僕が生まれる前に大流行したものらしく、確かに今やってもなかなかに面白かった。暇潰しには最適だ。

 そうしているうちに段々と瞼が重たくなってくるのを感じた。

 それなら寝てしまおう。こんな世界で眠気を我慢すること以上に馬鹿げた行為はない。




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