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ねむるきみとねむる  作者: 野良丸
第一章
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 目を覚ますと花の匂いがした。いや、花の匂いで目を覚ましたのかもしれない。

 寝返りをうって仰向けになる。青空、太陽、そして僕を見下ろしている色とりどりの花。

 分かっている。ここは夢の中だ。

 上体を起こすと、少し離れた場所にあの女の姿を見付けた。こちらに背を向けていたが、僕の気配に気付いたのか髪を靡かせながら振り向く。

 黒塗りの顔は現実で見たあの顔に変わっていた。現実と違うことといえば、頭に付いている青い花飾りと、しっかり目を開いていることの二点くらいだ。

 睫毛が長いことから想像していた通りの大きな瞳と数秒ほど目を合わせてから、再び背中を地面に着けた。ここが夢だと分かっている今、この女に質問することに意味はない。

 空を眺めているうちに近付いてきた女がぼんやりした表情で僕のことを覗き込んできた。

 小さな口がぱくぱくと動く。だが声は聞こえなかった。声量が小さくて聞き取りにくいなどというレベルではない。

「なに?」

 短く問うと女は再度口を動かした。

 声は聞こえない。

 ここが無音の世界というわけではない。僕自身の声も、風が吹く音も、女がこちらへ近づいてきた時の足音も確かに聞こえていたのだから。

 女の声だけが聞こえない。

 しかし不思議ではない。僕は彼女の声を知らないのだから。顔と同じように、現実世界ではっきりと認識すれば聞こえるようになるのだろう。このままの方が静かで良い気がしないでもないが。

「声が聞こえない。僕の声は聞こえてる?」

 女は頷く。

「何か用があるなら地面に書いてよ」

 女は首を傾げる。

「こんな感じでさ」

 身体を横向きにして、適当な石を手に取り地面に文字を書く。だがどういうわけか、いくら力を込めて石を動かしても地面は綺麗なままだった。土を削っている感触は確かにあるというのに。

 それはルール違反ということだろうか。

 石をぽいと捨てて再度仰向けになると、顔を傾けたままの女と目が合った。

「駄目だ。言葉を伝える術がない」

 女は特に困った様子もなく頷くと右手を差し伸べてきた。

「立ち上がるのが怠いんだ。放っておいて」

 追い払うようにしっしっと振った手を女に掴まれる。しかし見た目通り成人男性を立ち上がらせるほどの力はないらしく、自分で起きろというようにぐいぐいと何度か小さく引っ張られた。

 迷惑だという気持ちを隠すことなく目を合わせると、女は左手で僕の手を掴んだまま右手を横へ伸ばして何かを指差した。

「なに?」

 上体を起こして指先を追うと、ちょっとした傾斜の上に屋根付きの休憩所があった。公園なんかによくある四人掛けのテーブル。そしてその他にはロングソファも置かれている。

 あんなのさっき見たときにあっただろうか。いや夢だから不思議ではないか。

「寝るならあそこでってこと?」

 そう問うと女はこくりと頷いた。確かにここよりはずっと寝心地がよさそうだ。夢の中でくらいのんびりしたい。

 重たい腰を上げると女は僕の手を握ったまま先導するように歩き始めた。繋いだ手からは何も感じない。体温も、感触も。これも声と同じ理由だろうか。

 休憩所に着くと僕はロングソファに腰掛けた。女は無表情ながらどこか満足げに頷いた後、いつの間にかテーブルの上に置かれていたエプロンと麦わら帽子を着用し、小さな如雨露を持って花畑に戻っていった。

 水遣りをするのだろうか。この一面の花畑を、子供がおままごとで使うような小さな如雨露で。

 ソファに寝転んで、水遣りをしている姿をぼんやりと眺める。いつまで経っても水を補給しない、そして蓮口から出る水量がまるで変わらないところを見るに、あの如雨露の水がなくなることはないようだ。便利なような不便なような。水不足に悩まされることはなさそうだけど。

 不意に女が何かに気付いて動きを止めた。如雨露を傍らに置き、エプロンの前ポケットからに右手を突っ込む。

 取り出したのはこれまた小さな、どこからどう見てもプラスチック製のスコップだった。その場に身をかがめて右手を動かしている。そうして立ち上がった女の手には根っこごと抜かれた青色の花。それを両手に持ってこちらへ歩いてきた。まさかくれるのだろうか。いらない。

 しかしそんな予想は外れて、女はその花を休憩所の床の上に置くと元の場所へと戻っていった。

 コンクリートではなく木製の床とはいえ、そんなとこに置いていたら枯れてしまうだろうに。そう思いながら何気なく花を眺めていると、葉の部分に黒い斑点が出ていることに気付いた。

 病気か。根っこから抜いたのは周囲の花に伝染することを防ぐため。

 世界を終わらせようとしている病と同じ。どうしようもない。それが正しい形だ。

 女は水遣りをしながら、時たまスコップを取り出しては抜いた花をこちらへと持ってきた。

 最終的に十本の花が休憩所の中を彩った頃、女は仕事をやりきったというような満足げな無表情で戻ってきた。まぁこの見渡す限りの花畑を一人で水遣りできるなどとは端から思ってはいない。

「その病気の花どうするの?」

 女は質問に答えることなくテーブルの下に潜り込むと、そこから直径三十センチほどの大きな石を取り出した。よく見るとその石はお碗状になっている。まさか彼女が削ったとも思えない。最初からこの形だったのだろうか。それにしては綺麗に窪んでいるが……と、これは夢だった。

 女は先程持ってきた花を一本取って碗の中にそっと入れると、拝むように両手を合わせて目を閉じた。数秒後、碗の中からもくもくと煙が出てきたかと思うと、ボウッ、と一瞬だけ炎が姿を見せた。

 女は目を開けると碗を両手で持って立ち上がり、休憩所を出てからそっと傾けた。零れ落ちた灰が風に乗ってどこへともなく流されていく。それを見届けてから女は再びテーブルに碗を置いて次の花を中へと入れた。

「まとめてはできないの?」

 女は両手を合わせる寸前の格好のまま僕を見て首を横に振った。

 それはできるということなのだろうか。それともできないのか。あるいはやらないのか。

 地道な焼却処分を続ける女を眺めながら、それにしても、と思う。

 水が無限に出る如雨露、炎があがる石碗。そんな不思議な道具があるにもかかわらず、病気に罹った花を治すことはできないらしい。

 流石僕の夢だ。なんとも夢がない。

 ソファから降りて、床に並べられた花の前にしゃがむ。斑点が出ているもの、部分的に枯れているもの、全体的に変色しているもの、腐っているものなどがある。三つ目はどうしようもなさそうだが、斑点や枯れているものはその部分を切除するだけでは駄目なのだろうか。

 そんな風に考えながら、斑点が出ている葉に指先で触れてみた。

 するとどうだろう。花が淡く発光したかと思うと、見る見るうちに葉の斑点が小さくなっていき、最終的には影も形もなくなっていた。

 目を見開き、指先を見つめながらも、まぁ夢の中だから、と自らを納得させる。

 ふと、後頭部に視線を感じて振り返ると、女が大きな目を丸くしてこちらを見ていた。テーブルに置かれている石碗からは煙がもくもくでている。

 女は椅子から滑り降りたかと思うと飛びかかってくるように僕の隣に両膝をつき、斑点の消えた花を目線の高さまで持ち上げて様々な角度から眺めた。そして完全に消えていることを確信したのだろう。興奮するように鼻から強く息をはいたかと思うと、左手で床をぱしんと叩いた。歓びの表現だとしたらなんとも動物的だ。

 しかしそうではなかったらしく、女の動きに合わせて床から植木鉢が飛び出してきた。女はスコップを取り出してその中に土を入れると、斑点のなくなった花をそこに植えた。

 相変わらず鼻息は荒い。興奮している。動物的だ。

 しばらく様子見ということだろうか。植木鉢と女の横顔を眺めながらそう考えていると、女がこちらを向いた。その口元には笑みが浮かんでいるように見えなくもない。

 女の口がパクパク動く。

「なに?」と問うと、女は病気の花を指差した。治せということだろう。

「できるか分からないけどさ」

 言い訳をしながら指先を花に近付ける。すると、触れたそばから花は淡く発光し、健康な姿へと戻った。ほとんど腐ってしまっているようなものも同様だ。

 女は両手で床をぱしぱしと叩いては植木鉢を出現させていく。全ての治療が終わってから僕も一度床を叩いてみたけど何も出なかった。

 せっせと花を植木鉢に移す女から離れてソファに腰を下ろす。

 僕の夢にしては夢がある。

 そう自嘲的に笑った。

 女は植木鉢を綺麗に並べてから僕の前に立ってぺこりと頭を下げた。

 悪い気分じゃない。

 だからそろそろ起きよう。




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