五
「全身に過労の症状が現れています」
そう切り出した医師はその詳細を説明してくれたが、とにかく身体中で何らかの不具合が出ているということくらいしか分からなかった。
「お子さんが生まれたばかりで焦る気持ちはあるかもしれませんが、ここで無理をしても何一ついいことはありません。しっかりと治していきましょう」
「はい」
「しかし周囲にご家族がいたのは不幸中の幸いでした。一人の時に倒れていたら、最悪命に関わっていたかもしれませんから」
「はい。あの」
「なんでしょう」
「診察をお願いしたい先生がいるんです。数年前精神科に通院していたことがあって――――」
先生の名前を言うと医師は「分かりました。話をしておきます」と言って病室を出て行った。
「精神科の先生に診てもらうの?」
ベッド脇の丸椅子に座っている妻が心配そうに言う。
「昔のこともあるし、念のために。自分では大丈夫だとは思うんだけど」
「そっか」
妻は自らを納得させるように一つ頷くと「それでね」と話を変えた。
「あんなこと言うから私も気になっちゃって、いろいろ検査してもらったんだけど、何にも問題はありません、って」
「そっか。よかった。君は検査した?」
「私は大丈夫だって。元気だし」
「一応しておいた方がいいよ。というか、してください。お願いします」
妻は呆れたように口を尖らせてから「はいはい、分かりました」と言った。
「人のことより自分のことを心配してほしいところですけどね」
「僕はもう医師に任せるだけだから」
「そんな状態にならないよう自分のことを大切にしなさいって言ってるの」
「はい」
面目なく頭を下げたタイミングでドアが開き、義両親が入ってきた。お義母さんの腕には娘が抱かれている。
「大丈夫かい?」
そう尋ねてきたお父さんに「はい」と返してから頭を下げる。
「ご心配をお掛けしてすみません」
「いいからいいから! 気にしないで!」
お義母さんが快活に笑いながら娘をこちらへ渡してきた。
「はーい、待ちに待ったお父さんですよー」
受け取った娘をお腹の上に座らせる。娘は何か言いたげな瞳でじーっと僕を見上げてきた。
「ほら、心配かけるなって怒ってる」
茶化す妻に苦笑しながら娘と向き合う。
「心配かけて、ごめん」
娘は言葉になっていない声を発したかと思うと、無表情が徐々に崩れていき、最後には口を大きく開けて泣き始めた。
「やっぱりこうなった」と妻が苦笑しながら娘を抱きかかえようとする。
しかし、その動きは途中で停まった。
大泣きしながらも娘の手は僕の病衣をがっちりと掴んで離さなかったから。
仕方なく手を離した妻の代わりに娘を胸の中へ抱き寄せる。
なかなか泣き止んではくれなかったけど、服を掴む手の力はずっと感じていた。
精神科の男性医に再会したのはそれから三日後のことだった。
「――――そうですか。そんなことが……」
「もしかしたら、いつか妻が言っていたように、自分でも知らないうちに夢の中の出来事を現実と繋がるように作り変えているんじゃないかとも思ったのですが……」
「いえ、それはないでしょう。私が聞いた話とも確かに一致します」
数年前と変わらない笑みを浮かべて男性医は言う。
「とても、不思議なことですね。そこまで来ると一精神科医がどうこう言えるようなものでもないようにすら思えます。予知夢、など、超常現象の類の話になってしまう。――――そうですね。今回のことに関して、あなた自身はどう考えていますか?」
「正直、あまり深く考えたくはありません。僕は、数年前の事は全て幻覚や妄想と思って生きてきたんです。深く考えようとすると、また、そこが揺らいでしまうような気がして……」
男性医は僕の目をじっと見たままゆっくりと頷き相槌を打つ。
「だから、単純に考えてみることにしました」
「単純に、というと?」
「『娘が僕を助けてくれた』と。ただ、それだけ」
医師は両の目を丸くしてから柔らかく笑った。