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ねむるきみとねむる  作者: 野良丸
第一章
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 強い日光に目を細めながらも僕は町外れの廃ビルを見上げていた。ここへ来た理由は特にない……なんてことはないだろう。数秒間目を瞑って思考する。そうして出た答えは『子供の頃から気になっていた場所だから』だった。

 まぁ、だからどうってことはない。どんな答えが出ようと、そこへ不法侵入することを止めたりはしないのだから。ただ自分の言動の意味くらいはしっかり自覚していたいだけだ。

 何の役にも立たない無駄なこだわり。そのせいで、僕はその時にしっかり考えるべきことを失念していることが多々ある。そしてその例外に洩れることなく、今回もそうであった。

『子供の頃から気になっていた』にもかかわらず、一度もここへ足を踏み入れたことがなかった、その理由。

『あそこは不良の溜まり場だから』

 誰かの声、言葉が脳裏によぎったのは、不良達に財布を取られて散々サンドバッグにされた後のこと。

 こんな汚い所に集まるなよ。心の中で悪態を吐くが、それを口に出すほどの勇気も余裕もない。

 殴られ、蹴られ、壁や床で頭を打ち、そして床に散らばっていたガラス片で顔や身体を切って、ひたすら全身が痛かったから、そっと意識が薄れていくのを感じた時は思わず安堵した。


 意識がはっきりしていくうちに気付いたことは三つだった。

 肩に感じる生暖かさ。

 身体を軽く揺すられていること。

 そして花の匂い。

 瞼をゆっくり上げると見知らぬ女と目が合った。でも相手が女であることは雰囲気でなんとなく分かっていたため、驚きで目を見開くようなことはなかった。むしろ一度は開いた瞳を再び細めた。その理由は考えるまでもなく、単純に眩しかったから。女の背後に広がる青空が。そして俺のちょうど真上で燦々と輝いている太陽が。

 太陽?

 眉を顰めながら再び目を開く。相変わらずこちらを覗きこんでいる女の顔は、逆光のせいでよく見えない。

 その背後に青空と太陽は変わらず在る。

 だがしかし、これも驚くほどのことではなかった。意識を失った後、不良達にどこか外へ運ばれて捨てられた。そこをこの女が見つけた。そう考えれば何も不思議ではない。

 不意に女が腰を上げた。それを自然と目で追っていると、周囲を色とりどりの花に囲まれていることに今更ながら気付いた。花には全く詳しくないため名前などは分からないけど、どこかで見たことがあるようなものばかりだった。

 女はそっと踵を返した。足の踏み場もないほどの花畑なのに、女の足が花を蹴飛ばしたり踏ん付けたりということは一切ないように見えた。そんなことありえはしないのに。

 小さな背中から顔を逸らし、痛みを覚悟しながら身体に力を入れる。しかし思っていたほどの、いや、それどころかほんの少しも痛みを感じなかった。流石におかしいと思いながら上体を起こし、両腕を凝視する。あれほど殴られたというのに傷一つ、痣一つ残っていない。ズボンの裾を上げて両足を確認しても腕と同じで無傷だった。

 有り得ない現実に脳内は小さなパニック状態になる。そんな頭でまず思い付いたのは、この状況を説明してくれそうな人間をみすみす逃がすわけにはいかないということ。

「あの!」

 両手を地面について立ち上がりながら叫ぶと女は足を止めた。

「ここはどこですか?」

 女がそっと振り返る。

 そのタイミングで風が吹いたせいだろうか。周囲の花がこちらへ振り返ったような錯覚を覚えた。

 そして、こちらを見た女の顔は、逆光でもないというのに塗りつぶされたように真っ黒だった。

「なんだ」

 思わず口からこぼれる。

「夢かよ」

 女は、真っ黒な顔をゆっくりと傾けた。


 ぼんやりと瞼を開く。それと同時に痛みを感じて思わず顔をしかめた。

 再度瞼を開き、寝転がったまま周囲を確認する。

 静まり返った廃ビルの廊下。割れた窓から差し込む夕日。目の前に置かれている財布。

 不良達はもういないらしい。安堵しながら財布を手に取る。案の定、札も小銭も全て抜き取られていた。カード類を取られていないのは不幸中の幸いだろうか。

 痛みのせいで起き上がる気力が湧かない。でも早くここから出ないと、もしかしたら不良達が帰ってきてしまう可能性だってある。でも身体が痛い。

 一つ寝返りをうつ。それだけで身体の至る所に痛みが走る。

 その時、不意に鼻をくすぐった匂いが、一瞬だけ痛みを忘れさせてくれた。

 花の匂い。

 一瞬感じただけだ。それがどこから香ってきたのかなんて、犬でもない僕に分かる筈がないのに、気付けば床に腕をついて、廊下の先の曲がり角を見つめていた。

 両手を床について立ち上がろうとしたらガラス片が掌に刺さった。それを引っこ抜いてから立ち上がり、壁に寄り掛かりながら廊下を進む。角を曲がる際、壊れて開けっ放しのドアの向こうにスナック菓子の空袋や空き缶、煙草の箱が散乱している部屋が目に止まった。そういえばあの不良達はこの部屋から出てきた気がする。

 角を曲がって一つ目の部屋が目に止まる。つまり不良達がたむろしていた部屋の斜め向かいの部屋だ。近付き、ドアノブを掴んで回す。一切の抵抗はなくドアは開いた。

 大きな窓から差し込む西日によって橙色に染められた室内。

 殺風景な部屋に唯一置かれている木製のベッド。

 そこで仰向けに眠っている一人の女。

 長い髪。白いシャツのワンピース。ジーンズ。

 でも顔は黒塗りではなかった。

 小顔、長い睫毛、小さい鼻と口。

 寝顔を見る限りでは整った顔立ちのように思える。しかし、目を閉じているせいだろうか。年齢は推測できなかった。いい大人にも、大人びているだけの子供にも見える顔。それが第一印象だった。体格が割かし小柄であることもそう感じる一因となっているのだろう。

「なんだよ」

 思わず呟く。そんな演技をしたけど我ながらどこかわざとらしかった。

「これも夢かよ」

 目を閉じて十秒数える。

 目を開ける。

 周囲を確認。

 今度は目が覚めない。今までの経験上、夢の中で夢と気付けば好きなタイミングで目を覚ますことが出来る筈だ。

 やはり現実。しかしそうなるとこの女はなんだというのだろう。顔以外は夢の中で見た女と完全に一致している。よくよく見ると服装も同じだった。

 真っ先に浮かぶのは予知夢。不良達に殴られたせいで不思議な力に――――なんて現実離れしたことを本気で考えるほど若くはない。

 他に可能性があるとすれば、覚えていないだけで、気を失う前にこの女の姿を見ていたのだろう。あまりそうは見えないが、不良グループの一員と考えればまったく不思議ではない。

 しかしそうだとすれば、不良達は間違いなくここへ戻ってくるだろう。眠っている女を残して帰るような真似はいくらなんでもしないだろうし、僕の財布から抜き取った金で買い出しにでも行っていると考えるのが妥当だ。

 早く帰ろうとドアを閉めようとして、再び硬直する。

 この女が不良の仲間である可能性は低くない。だけど、もし違ったら? 正直、容姿や服装、雰囲気的には不良達とは異なる人種のように見える。僕と同じように何気なくこのビルに入って、そしてウトウトして眠って……ってそんな頭お花畑の女がいてたまるか。

 だがしかし、夢の中とはいえ倒れているところを起こしてもらったのも確かだ。一対一のこの状況なら仮に不良の仲間でも逃げることくらいは出来るだろう。

 一つ呼吸をしてから部屋の中に入ってベッドに近付く。とりあえずこの女が何者であろうと僕が不審者と思われることは覚悟しておく。まぁ実際服はズタボロで身体も傷だらけだから不信は不信だろう。そもそも不法侵入者ではあるのだし。

「あの」

 とりあえず小さく呼び掛けてみるが反応はまるでなし。

「あの!」

 反応なし。

 耳元に顔を近づけて再度呼び掛けても反応なし。

 死んでるんじゃ、と思ったが耳を澄ませば寝息は聞こえるし、それに合わせて腹部も上下していた。

 一応救急車を呼ぶべきかと思ってポケットに手を当て、携帯電話を家に置いてきたことを思い出した。たったそれだけで途端に面倒くさくなってくる。もう放っておこうか。そのうち勝手に目を覚ますだろうし、もしかしたら今だって実は起きているけど変な男が傍にいるから寝ているフリをしているだけかもしれない。

 踵を返し、わざと足音を立てて歩く。ドアの前に立って一度振り返ってみたけど、やはり女の寝顔に変化はなかった。

 知るか、と心の中で吐き捨ててドアを開ける。左足を廊下に出した瞬間、聞こえてきた話し声に心臓が大きく跳ねた。素早く身体を引っ込めてドアを閉める。何度か意識的に呼吸をしてからドアに耳を近づけると、話し声は徐々に近付いてきていた。さっきの不良達が戻ってきたのだろう。斜め向かいの部屋に入ったのか、少しだけ声が遠くなった。

 ドアから顔を離して小さく息を吐く。

 ここから出れば高確率で見つかってしまうだろう。他に出入り口はないし、ここが三階だということを考えると窓から飛び降りるなんていうのもなし。

 頭をがしがしと掻いてから顔を上げると、窓から差し込んでいた西日はいつの間にかすっかり弱くなっていた。外の世界、そしてそれ以上にこの部屋が暗闇に飲み込まれていく。まさか点けるわけにはいかないけど電灯は点くのだろうか。そもそも電気は通っているのだろうか。そう思って天井を見上げると、蛍光管のついていない蛍光灯カバーがぶら下がっていた。なんとも分かりやすい答えだ。

 立ち上がり、窓の前に立って外の景色を眺める。廃ビルの前を通っていく車は少数だが、遠くの道路に連なっているライトを見るに街の中心の方では軽い渋滞を起こしているらしい。日没時刻ということは、今は七時前後といったところだろうか。僕が勤めている会社でこんなに早く帰れる日は一度だってない。

 窓枠に手を置き、長い息を吐きながらしゃがみこむ。反転して壁に背中を預けると不良達の馬鹿っぽい笑い声が小さく聞こえた。

 しばらくドアを眺めてからベッドに顔を向ける。

 寝顔を見ていると僕も段々と瞼が重たくなってきた。

 今日は眠ってばかりだ。でもたまには悪くない。



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