村娘10歳は悟っていた。
生まれ落ちたのだと理解した直後、自分が淀みなく思考することができる経験をしたことがあるだろうか。
私こと、リーシャ・ステルラは、今世において初めてそれを経験した。
ぶっちゃけていうときつかった。
赤子の見えない目ながらにも輪郭やら、雰囲気やらで、リーシャである前の記憶から導かれた答えと、自分の惨状を目にした途端、大声で泣き叫んでしまった。
後に私を取り上げてくれた産婆のおばあちゃんが、生まれたての私が眩しそうに目を開いた後、しばらくキョロキョロと辺りを見回し、自分の姿を目にした途端、盛大に泣き始めたから驚いたよと笑いながら話してくれた。
笑って話せる産婆のおばあちゃん大好き。普通そこは気味の悪い赤子として見られてもおかしくないと思う。
とにもかくにも私は前世の記憶というやつを持って生まれてきたのだ。
そこで思い付くのが、胸躍るチート人生というやつだろう。幼少期に自己投資をして、スタートダッシュを誰よりも早く切ってバラ色の人生に王手をかけるという王道ともいえる将来設計図。
だが、私の思い付きは初っ端から木端微塵にされた。
両親だと思われる人たちが、泣き疲れて眠りそうになっている私へ、普通の大人に話す口調で語ってくれたのだ。
曰く、この村では生まれる前の記憶を持つ者は大勢いると、そして残念だけど前の記憶から生かせるような知恵はそうそうないわよ、と。
最後の言葉は苦笑じみていて、私の前にそれを思い付き、実行に移した者がいることを物語っていた。
眠りに落ちる寸前、黒歴史を作らなくて良かったと心底安堵しながら、優しい両親の祝福の言葉に耳を傾けながら眠りについた。
○
私が生れたのは、王国クレシュマイアにある最南端の森の中にあるど田舎の村だった。
村に住む者たち全員が家族という認識で成り立つ小さな村は、一番近い村に行くだけでも三日間かかることもあり、村の外から人が訪れることもなく、陸の孤島といってもいいほど外の世界とは隔絶されている土地だった。
そんな田舎暮らしは物資も乏しく、娯楽も少なく、ないない尽くしの非常に息が詰まるものかと思いきや、そんなことはなかった。
前世の恩恵生活に比べるとも劣らぬ快適な暮らしがそこにはあった。いや、下手をすれば、前世よりも快適な暮らしを送れているかもしれない。
その快適な暮らしを支えるものは、魔力だ。
この世界に暮らす者たちは誰しも大なり小なりの差はあれど魔力を持っており、魔力を用いて暮らしを便利に豊かにする。
その魔力の使用方法というのが。
「火の精霊さん、ふっくらこんがり美味しい美味しいパンケーキが作りたいの。あなたの力を貸してちょうだい」
澄んだ鈴の音が転がるような、素晴らしい声音で歌いながら、私の妹―ミリアム・ステルラ、愛称ミリーが油を引いたフライパンにパンケーキのたねを入れる。すると、何もないところからぽっと赤い炎が生まれ、フライパンを熱し始める。
その合間にも、ミリーは歌いながら、風の精霊や水の精霊に呼びかけ、料理を仕上げていく。
水を周囲にまとわりつかせ、風にエプロンをそよがせ、舞いながら歌う我が妹は実に美しかった。
自分の魔力と引き換えに精霊の力を貸してもらい、暮らしを送る。
それが、この世界での一般的な暮らしだ。
おかげで、何をするにでも非常に便利だ。作物を作るにしても、服を作るにしても、料理を作るにしても、精霊たちの力を借り受け、驚くほど快適な暮らしを送れている。
特にミリーはこの村一番の精霊の使い手であり、ミリーがひとたびお願いすれば、精霊たちは喜び勇んで力を貸してくれる。
そして、その力を借り受ける時のミリーはとても幻想的で美しい。
毎日毎日、それこそ何度見ても飽きない。
月の光を集めような長い艶やかな銀髪をお下げにし、髪の毛を落とさぬように頭に白い布を巻き、村娘の一般的な格好である長袖シャツと長いスカートに、白いエプロンをつけ、私のために朝ご飯を作ってくれる美少女。
あぁ、実に。
「……可憐だ」
ほうぅっとミリーの見事な美少女っぷりとその献身的で慎ましやかな愛情を一心に受け止めつつ、その姿を愛でていれば、隣で幸運にもミリーの朝ごはんを共にする栄誉を受けた幼馴染が辟易した声をあげた。
「お前さ。いい加減にその妹馬鹿止めろ」
身内びいきも大概にしとけと頬杖をつき、こちらを睨む、これまた美少年を、私は鼻で笑った。
「うっさいわね。ミリーの美しさと優しさと心根美しい姿は、毎日見ても見飽きないの。その都度新たな感動を呼び起こして、この胸を焦がし、一層私に力を与えてくれるそれは、まるでこの世に奇跡をもたらすべく舞い降りた天」
「はいはいはい。オレが悪かった。オレが悪かった。お前に妹の話するなんてどうかしてた」
ここからがいいところだったのに、幼馴染は私の言葉をぶった切り、私から視線を外した。
薄紫の瞳と薄黄色のいかにも儚げ美少年であるこの幼馴染の名は、フルール・フロースという。
五年前に瀕死の母親に連れられてこの村にやってきた薄幸美少年だ。
村に着いた途端、この子を頼むと息を引き取った母親に託され、私の家のお隣にある、フロース家の養子としてこの村の一員となった。
始めこそ、このフルール、愛称フルーは、見るものすべてに怯え、恐怖し、泣いてばっかりいたが、この村の献身的な優しさと愛に触れ、物怖じすることがなくなったばかりか、五年経った今では実に小憎たらしい存在となってしまった。
昔は自分のことを僕と呼び、家にこもってばかりだった彼を問答無用で森に連れ出しよく遊んでやったものだ。妹のミリーへの土産にすると綺麗な花や珍しい虫や、果物を取りに行った時は、常にびくびくして私の服を掴んで離さなかったし、何もないとことでこけては痛いとぽろぽろと綺麗な涙を零していた。その度に励ましおんぶして連れて帰った。おまけに私のことを姉のように慕い、どこに行くにしてもついて回っていたのに、今では私の行動にいちゃもんをつけるオカンと化してしまった。
私が何かしようとすればフルーが突然現れる。そして阻止しようとしてくる。
腕試しに森のイノシシに単身で挑もうとすれば大人を呼ばれ、滝行をしようとすれば大人にちくられ、ハニ―ベアという熊みたいなものの巣から蜂蜜を盗みに行こうとすれば先回りした大人たちによって捕獲される。そして、怒った顔で言ってくる。
「女の子なんだから危ないことすんな!」と。
うっせうっせー、危ないことする女の子だっているし、狩人のマーヤさんだって元女の子だし(今は立派な女性です)、私がそんなへまするわけないじゃない。は? 顔に傷? んなもん、どってことないじゃない。それこそ全身に傷ついても後悔なんてしないもんね。
縄でぐるぐる巻きにされ、大人の腕に抱えられた私はフルーにそう言ってやるのだが、フルーはむっつりと黙ったまま怒りの眼差しをこちらへ向けてくる。
その目は執念に満ち溢れており、これからもお前を監視するぞという気概に満ち溢れていた。
危ないことすんな、あっちに行くな。変なもん呼ぶな、ハンカチ持ったか、飯食ったか、傷はちゃんと消毒しろなど、フルーはまるで手のかかる子供を相手にするように私にお節介を焼こうとしてくる。
自慢ではないが、私は前世もちだ。ということはだ。前世の記憶のないフルーよりかはよっぽど精神的なお大人であり、自分に出来ることと出来ないことの区別は当然つく。
それなのにフルーは過保護なママのように、危ないからダメ、女の子だから駄目と、色々なものから私を遠ざけようとしてくるから時々嫌になってくる。
それが原因で、フルーと取っ組み合いの喧嘩になったことも一度や二度では足りない。だが、お互いそこは譲れずに、年に二度くらいの頻度で今もバトっていたりする。
まぁ、悪口ばかりになってしまったが、フルーが私を心配してくれる気持ちは正直有り難いし、彼がここまで執拗に危険なものから遠ざけようとする理由も少しは分かっている。
そして、彼は私の前世の記憶からある重要な情報を思い出させてくれた恩人でもある人だ。
さて、乙女ゲームというものをご存じだろうか。
前世の記憶では、若い乙女から匂い立つ貴婦人まで幅広い世代で支持されている、ありとあらゆる美少年や美青年、はたまた壮年のおじさまと恋に落ちることを旨としたゲームである。
その乙女ゲームの中で、『聖霊物語』というゲームがある。
中世ヨーロッパの世界を下敷きにした、魔法剣ありのファンタジーな世界観になっており、プレイヤーはその世界の中で、主に三つのルートを選び、どういう結末を選ぶかを決めることができた。
攻略対象者と友情を築くもよし、恋愛するのも良し、はたまたライバルになっても良しと、関係性はプレイヤーに委ねられていた。
そこそこ人気を博し、推しキャラによる歌などが作られたりもしたが、前世の私はといえば、恋愛色の少ないルートで現れるモブキャラに心を奪われ、攻略キャラを押しのけ、モブキャラにどうにか絡めないかと苦心していた覚えがある。
だがどうあってもモブはモブ。プレイヤーが動かす主人公とは絡みようがほとんどなかった。
その悔しさから一人妄想小説を書き、ネットにあげて、数少ない賛同者さんたちと日々の萌えを分かち合ったものだ。
話が逸れたが、とにかく、その『聖霊物語』という乙女ゲームは、私にとって生死を分かつゲームだったのだ。
何故なら、このゲームの攻略対象者が、私の隣にいる。
そう。
このフルール・フロース。『聖霊物語』で攻略者の一人として登場するキャラであり、とんでもなく暗い過去を持ったが故に、攻略者とは名ばかりの「だが、しかし男」と呼ばれた難攻不落キャラだったりする。
そして、本日、フルール・フロースの誕生日である今日、この村は蹂躙され村人は虐殺される運命です。
ええ。
私は、気付いてしまったのです。
フルール・フロースと初めて会った、五年前に。
この世界は乙女ゲームの世界であり、この村はその五年後に壊滅し、そして、主人公の行動如何では、この世界は滅ぶ運命を持っているのだと。
もう、お分かりですね?
死ぬはずだった村娘である私は、真に村を救うためには、世界を救わなければならないのです。
見切り発車です。
気長にお待ちいただければ、嬉しいです。はい。