???「殺さないという選択」
俺は数々の人々、妹すらも犠牲にして大魔王がいるであろう大広間の扉を開けた。
「いない……のか?」
灯り一つ点いていない広間に入り、周囲を見回す。
しかし、そこにはネズミ一匹おらず──
「くっ、あーはっはっはっ! ついに! ついに現れましたね魔壊の勇者!」
「! な、なんだお前……誰だ!」
いくつもの明かりが独りでに点灯し、俺の背後からどこから現れたのか甲高い声で笑い声を上げる女の姿があった。
コウモリのような漆黒の羽根、漆黒のスペードの形に似た尻尾を持っていることからサキュバス系の悪魔だということが理解できた。
「誰だ? 何を仰るのかと思えば、あなた──いえ、あなたたちが待ち望んだ大魔王・デスラスカオスではありませんか」
「大魔王……デスラスカオス、だって? はっ! 寝言は寝て言え! お前が大魔王のはずがない!」
「なぜ、わたくしが大魔王ではないとわかるのです? 出会ったこともないのでしょう?」
「簡単だ。俺がデスラスカオスと面識があるからさ。デスラスカオスは女じゃない、男だ」
シラを切ろうとした自ら大魔王・デスラスカオスを名乗る女に俺は決定的な事実を突き付けた。
俺がデスラスカオスを見たことがなければ騙されていたかもしれない。
そう思わせるほどの迫力がこの女にはあったからだ。
この異様な……魔王級以上がその身に帯びる暗黒魔力が視認できるほどのもの……なかなかお目にかかれるものじゃない。
「……なーんだ。面識があったのですね。それはわたくしの情報収集不足でした。あなたを侮っていた点の一つですね」
「それより、聞かせてもらおうか。あんたは何者だ? とてもじゃないがただのサキュバスの纏える魔力じゃない」
「それはそうでしょう。わたくしはただのその辺にいるような有象無象なサキュバスなどとは格が違うのですから!」
女はその華奢な体躯で鎌を振り回す。
その見た目に反して威力は絶大だ。
剣で受ければ確かな重みがあり、かわせば床が抜けんばかりだ。
普通ならば床など簡単にぶち抜いていただろうが抜けないところを見るとさすがは魔王の城。
だがそれでもあれだけ勢いつけたわりには引っ掛かったりしないところを見ると、こいつ自身の持つ力だけではなくあの鎌自体も相当な業物に違いない。
「このわたくしが殺意を以て武器を振るっているというのに分析とは余裕なことですね」
「おっと、わかっちまったか? 悪いな。お前の攻撃速度が遅すぎてぬるすぎて余裕が有り余ってるんだ。それにしても眠くなってきたな……ふあぁ、」
「なっ!? 勇者ぁッ! わたくしと刃を交えているというのに何をノンキにアクビなどッッ!!」
「へっ……良い顔になったじゃねぇか。良いぜ、楽しくなって来やがった」
動きが見切れているのは確かだ。
だがそれはこいつがまだ本気になっていないからだ。
魔王特有の余裕か何か知らないがこいつの実力で必死な奴の動きを見切れるほど実力は低くない。
それはこいつがあえて目に見える目視できるほどの魔力のオーラ──魔力圧として見せてきたことからも明らかだ。
まだ余裕を見せる気ならこっちも余裕を見せるだけだ。
てめえのへなちょこな攻撃なんて全然聞いてないってな。
「……楽しい? な、何を仰っているのですか?」
「何を言ってるってお前が正に口にしたじゃねぇか。楽しくなってきたんだ。魔王! お前との戦いがな!」
「おかしいです……狂っています! わたくしも数多くの勇者を見てきましたがあなたのような、魔族との殺し合いを楽しいなどと形容する狂った勇者は見たことがありません!」
「……悪いが生憎、アースガルナの勇者ってやつはそれがデフォでな。楽しくなくて勇者なんてやってられるかよ!」
「そんな私利私欲で戦うなどッ! それに……あなた、わたくしを魔王と、わたくしは魔王などと一言も、」
「あぁ、それは俺たち、勇者が魔王だってその身で肌で感じるんだ。てめえは魔王だってな! ……そりゃあ最初は違ったさ。だが次第に、どうして大聖女・アースガルナの直系の一族ってやつはどいつもこいつも、魔王との戦いにこだわるのか疑問に思っていた。別に王族なんだから他の勇者に任せておけばいいのにな」
「それは、アースガルナ王国が勇者の国と呼ばれているからではありませんか!」
「確かに、アースガルナ王国にはなぜか勇者が集まる。だがそんなことは正直、どうでもいい。魔王と戦えさえすればな!」
「あなたという人は!」
「……だがな、それでも俺は、そんなことは抜きにしても、てめえら魔王をぶっ殺したいと思っている」
「へえ……それはなぜでしょうか?」
怯んだかと思えば恐れ、恐れたかと思えば笑みを浮かべる。
待っていましたと言わんばかりに魔王の女は先を促してきた。
「お前に言うことじゃないが……祖国を滅ぼされ、クローンを差し向けられ、更には先祖の、アルケイドやアースガルナを辱しめた奴らを俺は許せない。だから俺は──」
「くくくっ、あーはっはっ!」
「? な、何がおかしい」
「いや、ほんと、もうすみませんっ! くすくす、なんというか、わたくし自身が犯した悪事というものが、あはははっ! そ、そこまでぇ、あなたを苦しめていたとは思わず、どうしようもなく、ふふ、笑いが込み上げてきてしまいました」
「な、何を言ってるんだ……お前は」
俺が大魔王に向ける感情を吐露すると、目前の奴は笑い声を上げる。
まるで俺が笑い話をしているかのように奴は楽しそうにくすくすと、時には大袈裟なまでパチパチと手を打ちながら笑う。
目の前の奴は確かに魔王だ。
それは間違いない。
だが、どういうことだ? こいつは自らの悪事がどうこうと言った。
俺には考えが追い付かない。
でももし奴が言ってることが正しいなら、正しいなら!
「そういえば自己紹介がまだでしたね? わたくしは大魔王軍幹部の一人、デスラスリリィ。あなたたちが恐れている大魔王・デスラスカオスの娘にして、あなたの祖国であるアースガルナ王国を滅亡に追い込むだけでは飽きたらずかの土地で大魔王国家・デスラールを建国したのは、誰でもないわたくし、デスラスリリィなのですから」
「なん、だと……貴様あああああ!!」
「ですがもう遅い。あなたはもはやわたくしの魔法、呪術の領域圏内」
「ぐっ!? な、なんだ……? 体が動かな──」
俺は奴の言葉に我慢出来ず剣で斬りかかっていたはずだった。
しかし、奴の瞳が赤く光ったと同時か後かそれ以前かはっきりとはわからないが体がまるで石化攻撃を受けた後のように、麻痺攻撃を受けた後のように動かない。
だが感覚としてはその二つのどちらにも該当しない。
体が石のように硬くなることも体が痺れることもない。
ただただ原因不明の体が動かないという状態が続いてるだけだ。
ただ一つ、わかることがあるとするなら、この大魔王の娘だというデスラスリリィが俺に何かしたということだけだ。
「やはり、あなたは危険なようですね。その思考能力、六千年前、先代の大魔王・デスラスカスが敗れた孤独なる大勇者・アルケイドをも凌駕するその力、あのお父様が恐れるわけです」
「……やっぱり、アルケイドを甦らせ、魔王に仕立て上げたのはお前か」
「少し違いますが。まぁ、だいたいはそんなところです。あなたと同じく魔王適性がずば抜けて高かったので呆れるくらい簡単に大魔王化の呪縛に掛かっていただきましたよ。どうでしたか? 手合わせしてみてのご感想は? 楽しかったですか?」
「楽しいわけないだろ! 大陸が一つ、消し飛んだんだぞ!?」
アルケイドとの戦闘は文字通り生きた心地がしなかった。
あんな化け物の生まれ変わりだなんて信じたくないが夢を通してアルケイドの記憶を見せられてきたんだからアルケイドという存在を否定もできないが。
あのときばかりは死神・アルケイドというのは恐ろしいくらいピッタリな二つ名だと感心したもんだ。
「ですが、あなた──いえ、あなた方はそれを倒してみせた。その事実だけで脅威に値します。ですからわたくしはあなたを殺すことは諦めました」
「は? 俺を殺さない? どういうことだ?」
「お父様なら恐れながらもあなたを殺す道を選んだことでしょう。ですが、わたくしはそんな愚かな選択は致しません」
「……なぜ、俺を殺せないと思う? 今、俺の心臓を貫けば殺せるはずだ。なのになぜそれをしない?」
「あなたが脅威だと言ったでしょう? それにあなたのその殺されてもいいという余裕。もしや、自らが死んでもわたくしを殺せるという何か秘策があるのですね?」
「……さあな」
なんて頭が切れる奴だ。
俺が死んでも俺の力はクーアディアに継承される。
それはアースガルナの受けた呪いが片方が死ねば解除され、力は生きてるもう片方に受け継がれるという情報がとある書物に書かれているのを見つけたからだ。
それはつまり、最悪、俺かクーアディアのどちらかが死んでも魔壊の力でこいつを葬れることに他ならない。
当然、絶対倒せるという保証はどこにもないが可能性は今の状況よりは高くなる。
「ふむ……やはり、あなたを殺すのはやめておきましょう。ハイリスクは避けたいところですからね」
「はっ! 避けたところでどうにもならないぜ? もうすぐここにクーアディア、それに他の勇者たちもやってくる。悪いが、最後に勝つのは俺たち、人間だ」
「えぇ。もちろんあの方々があと少しでここに到着するのは理解しています。ですからそろそろあなたには眠っていただきます。時間もありませんし」
「眠る? 催眠魔法でも掛ける気か?」
「正解です。但し、ただの睡眠魔法ではありません。催眠、幻覚、幻聴、そして未来視の幻惑系魔法と強力な催眠呪術の複合魔法呪術です」
「な、有り得ない……魔法と呪術の複合なんてできるわけがない!」
そもそも魔法と呪術はまったく別物だ。
体内魔力だけならまだしも、体内魔力を用いることのできない呪術で、それも、呪術は空気中に漂う悪気を媒介にしてしか発動できない。
そんな呪術の対になるのは魔法ではなく妖精術だ。
妖精術は妖精や精霊なんかの力を借りて発動する。
だから体内の魔力で発動する魔法とはまったく別物だ。
それを掛け合わせたところで出どころ自体が違い、力の根源そのものも違うのだから合わせるのは土台無理な話だ。
それに、魔法と呪術を掛け合わせるのは現代魔術界、呪術界では共に不可能と言われてるどころか行使したその瞬間に命を落とす危険性がある。
そんなものが安易に使えるわけがない。
「確かにあなたの言う通り、普通の凡人なら不可能でしょう。それどころか命を落としかねません」
「だろ?」
「ですが、有能で天才で才能の塊であるところのこのデスラスリリィちゃんにはできてしまうのです! ぶいっ! 」
「おい、ここに来て自画自賛かよ……ぶいって、」
「何と言われようと構いません。今、あなたはその有り得ないが有り得たという事実をその今も開き続けるその瞳でしっかりと目の当たりにするのですから」
「その両手の光は……まさかお前、正気か!?」
「もちろん。あなたはこれから数百年もの眠りにつきます。そして数百年後、あなたが目覚めたそのときには全世界がこの真の大魔王・デスラスリリィの完全なる支配下となっていることでしょう」
「はっ……お前の願望なんか聞く気はない」
デスラスリリィは両の手の掲げて左手、右手にはそれぞれ別種の力が宿っていた。
片方は魔法由来、もう片方は呪術由来であることがわかった。
デスラスリリィは本当にやる気だ。
魔法と呪術の混合魔法呪術……
それを今、合掌するかのように手を合わせる。
「一応完成、です。どうですか? 魔壊のアーク。これを見てもまだあなたは不可能だと言い張りますか?」
「本当に完成させちまうとはな……まるで悪い夢を見ているみたいだ」
「残念ながら夢ではありません。そしてここに未来視を見せる妖精術を合わせたらおしまいです」
「未来視? そういえば未来視とか言っていたか……だがなぜ、未来視など──はっ! ま、まさか……」
「ふふっ、察しが良い人は好きですよ。えぇ、あなたの考え通り、未来視は数百年もの時間を眠り続けるのは退屈だろうおつらいだろうと思い、このデスラスリリィがご用意しました! さあ! あなたには眠りながらわたくしたち、魔族が統べる世界を未来を! 見ていただきましょう! あなたたち人間──いいえ! 魔族を除いた全種族が絶望する未来をね!」
「やめ──」
「あなたが眠りから目覚めて絶望した顔を見るのが楽しみです。ではではおやすみなさーいっ」
言葉を止める暇もない。
その何色かも判別できない禍々しき球状の何かに包まれて俺の意識はデスラスリリィの笑顔と楽しげな声を聞いたのを最後に遠ざかっていった。