オーディションの幕が上がる
輸送船の使用予約を取り付けた翌日、いよいよ三女神の選出日となった。カスケードの象徴としてそれぞれ「花」「星」「海」を司る三女神は、この街の女性にとって憧れの役であり、選出されることで見合いの成功率も上がるとかなんとか。街中の若い女性が集っているのではないかというぐらい控え室はごった返しており、カルロは既にやる気を無くしつつあった。しかし言い出したのは自分であり、なにより親方を含む多くの知り合いが応援の為に駆けつけてくれている。ここで逃げたら女が廃る、と男前な気合を入れ直してカルロは会場へと向かった。
三女神は担当ごとにオーディション会場が分かれており、カルロが選んだ「海」は泉の広場の前で行われた。正直なところ、カルロにとって他より優れていると想える部分は思いつかなかった。故に、幼少より続けてきた賛美歌と舟歌の技術を活かすしかない。
「おいこら、顔を上げろ」
「は、ミケーレ?」
会場に入る前、最後の支度をしていたカルロの前に現れたのは、眼鏡を掛けたミケーレだった。彼はカルロをくるりと後ろに向けると、ちゃっちゃと髪を整え始めた。鏡に映る所々光っている物は真珠のピンだろうか。さすが社長をしているだけあって太っ腹である。最後にカルロの瞳の色と同じ紫水晶のペンダントを首にかけ、ようやく完成したらしい。
「これはツェツィから。美人の中の美人にしてやれってさ」
「ハードル上げすぎじゃないか?」
「胸張って行けば充分魅力的だ」
ポンと肩を押す男を振り返ると、そこにはもう誰もいなかった。カルロは1つため息をつくと、会場へと一歩踏み出した。
「カスケード中を湧かせてやるよ、畜生め」
あぁ、と嘆息する声は雑踏の中に埋もれて消えた。陽の光に照らされて輝く銀の髪も、希少価値の高い紫の瞳も、白く映える肌も、男にとっては懐かしい物ばかりだった。
厳しい教育の下、淑女らしく育ったはずの一人娘が、初めて親に逆らって家を出たのは二十年近く前のことだ。何度か送られて来た手紙が途絶えたのは十年程前で、不安になった男は急ぎカスケードまで足を運んだ。聞いていた家は粗末な物で男は瞠目した。蝶よ花よと育てられた侯爵令嬢の住む家とは到底思えなかったからである。しばらく呆然としていると、家から厳つい初老の男と、その手に引かれた幼子が出てきた。帽子のつばの下から覗く美しい紫が娘によく似ていた。思わず駆け寄りたくなる気持ちを抑えて様子を伺っていると、初老の男は家のすぐ横の水路の前で幼子に綱の結び方を教えていた。水路に舟があることから、彼はこの子に水夫としての技術を身につけさせるつもりなのだろう。ふと強い風が吹き、幼子の帽子が飛ばされた。内に隠されていた長い髪に、男は目を見張った。幼子は女子であるにも関わらず水夫として育てられていた。男は怒りの余り出ていって初老の男を問い質そうと思ったが、幼子の真剣な表情を見て思いとどまった。親は我が子可愛さに茨の道を避けさせたがるが、あの子どもは自らその道を歩むことを決意したのだろう。同じように苦難の道を選んだ娘の血を色濃く受け継いでいる幼子の姿に、男は何も言えずその場を去った。
今こうして成長した孫の姿を目にして、かつての娘の面影がよりはっきり現れていることに涙が溢れた。男は投票用紙に記入し終えると、郵便局へ寄って手紙を書いた。病床ゆえに見に来られなかった妻へ、写真を添えて。