タダでは入れません
屋敷内を歩いている途中で見つけた倉庫に隠れた一行は、すばやく衣装に着替えた。よく見ると昼間着ていた訪問着とはまた違う、夜会向けのスリーピースだった。胸に薔薇を飾り、仮面をつければ準備完了だ。
「こっそり会場内に紛れ込んでオークションに参加するの?」
「紛れ込むのは合ってるが、会場内じゃない」
ミケーレは先ほど舟から取り出したケースを掲げてニヤリとした。すぐに嫌な予感を覚えたカルロはすばやくレオナルドの方を見た。どう見たって顔面蒼白である。
「俺たちが紛れ込むのは、ここだ」
どこから入手したのか、屋敷内の見取り図を広げてミケーレがある一点を指した。この時カルロはまだ気づいていなかったが、後にとんでもない役割を任されレオナルドと同じ顔になるのだった。
「ねえ、今日はカーニヴァルの初日でしょう?もっと面白い見世物はないの?」
「うーん、私は特に聞いていないが」
「オークションも面白いが、始まるまでが退屈だしな」
会場にいる客たちはダンスにも飽きてきていて、退屈しのぎの噂話に花を咲かせていた。すると、急に場内の明かりがふっと消え、周囲はざわつき出した。
『紳士淑女の皆様に、ここで一つ余興をお届けいたします』
よく通るテノールが響くと、辺りは静かに続きを待った。すると、ステージ上にスポットライトが当たり、一人の少女を照らした。流れるような銀の髪、白く透明な肌に菫色のドレスを纏った美しい少女はそっと腰を折ると後ろを見た。影になった背後には長身の青年が二人控えていた。司会は片方が務めている。
『それではお聞きください。“星に祈りを”』
穏やかなピアノのメロディと品の良いヴァイオリンの音色が前奏を紡ぐと、少女の瑞々しい唇から讃美歌の如く澄んだ歌声が流れた。“星に祈りを”はカスケードで古くから親しまれている民謡の一つで、元々は水夫たちが歌う恋歌だったらしい。水夫の家に生まれたカルロも多くの舟歌を覚えているが、歌唱力だけは学校の賛美歌隊で学んだ。正直仲間の水夫たちが酔っ払った時に合唱する舟歌だけでは音程も速さもバラバラで、上達はしなかっただろうと思う。
ちらと両脇の青年たちを見やる。貴族のレオナルドがヴァイオリンを弾くことができるのは何となく分かる。一方で軽やかにピアノを奏でるミケーレはどうなのだろう。軽口ばかり叩いている割にこの男の品性はそこらの貴族と比べても遜色ないレベルである。ますます謎の深まるばかりの男に睨みをきかせたまま、カルロは伸びやかに歌い続けた。
「素晴らしい!」
歓喜のあまり立ち上がった多くの客のうちの一人が、彼らに声を掛けてきた。こちらも仮面をつけているが、身に着けている物を見る限りかなり身分の高い者と分かった。
「良いものを見せてもらったお礼に特別な場所へ案内しよう」
男はレオナルドの肩を軽く叩くと、ダンスホールを出て広い廊下を進み奥まった場所にある部屋へ連れてきた。ドアを開けてすぐ脇に立っていた屈強な男たちに何らかの封筒を見せるとすんなり通してくれた。あれはVIP用の招待状か何かだろうか。
見上げた場所はある意味で別世界だった。コインを混ぜる音、そこかしこから聞こえるコールの合図、おしゃべりに興ずる人々のざわめき。案内されたのは遊技場だったのだ。
「オークションが始まるまでまだ時間があるからね。良かったら君たちもここで遊んでいかないか?演奏のチップを軍資金にするといい」
そう言って男はカルロの手に布袋を載せ、自分は好きなテーブルへと向かった。ミケーレは袋を軽くつまむと、人の悪い笑みを浮かべた。
「元々来るつもりだったが、軍資金まで得られるとはな」
「なんで遊技場?」
「オークションだぞ?金もないのに入れる訳ないだろ」
袋を揺らしてじゃらじゃら音を立てる男を見つめてカルロは開いた口が塞がらなかった。後ろで同じ顔をして突っ立っている男もいる。
「アテがあったんじゃないのか!?」
「そんな物持っているように見えてたのか?余分なものは持たず、現地調達は怪盗の基本だぞ」
足もつきにくいしな、と言いつつミケーレはスタスタと歩き出した。全く場慣れしていないカルロはついていくしかない。レオナルドも大人しくついてきているが、苦虫を潰したかのような顔をしている。
「ゲームにも向き不向きがある。もう決めているのか」
「当然」
ミケーレは迷うことなくテーブルにつく。椅子の傍らに二人が立つ。親はカジノ側の人間のようで、テーブルには残り二人の男がいた。手早くカードを切ると、親がカードを配る。回ってきた5枚の手札を前に、男は不敵な笑みを浮かべた。