想い出は積み重なって
夕方になると、カルロは急いで家に戻り、着替えて準備をしなくてはと思っていた。しかし、薄暗くなってきた周囲に対し、何故か自分の家が明るい事に気づいた。火事かと思い慌てて駆け寄ると普通に灯りが点いているだけと分かったが、そもそもそれこそがおかしい。一人暮らしのカルロが外出中なら、灯りが点いているはずがないのだ。すわ泥棒かと、立て掛けてあったオールを手にそっと玄関の戸を開けると、中から話し声が聞こえてきた。
「…だーかーらー、んな装飾華美なやつはいらないんだって」
「だが、このレースは彼女に似合うと思って…」
「それは確かに似合うだろうが、あいつには…ん?帰ってきたのか」
カルロはすっかり脱力して床に座り込んでいた。勇んで持ってきたはずのオールも床の上である。泥棒かと思って構えていたのに___いや、一人は間違いなく泥棒なのだが__カルロは二人を睨む事しか出来なかった。
「どうやって入ったんだよ…」
「お前、俺の本業を忘れたのか?コレだよ、コレ」
ミケーレは柔らかそうな黒い猫毛の中からすっとヘアピンを取り出した。どうやらアレで解錠したらしいが。
「うちの鍵、壊してないよね!?」
「馬鹿を言うな。俺くらいの一流なら壊さずとも一秒でカチリ、だ」
ミケーレがピンで鍵を開ける仕草をしたが、カルロの心はちっとも休まらなかった。
「今後家の鍵はかんぬきにしておこう…」
「その方が良さそうだ。ところでカルロ」
レオナルドはカルロの目の前にずい、と何かを突きつけた。近すぎて何か分からなかったので離れて見てみると、それはドレスだった。繊細なレースをふんだんにあしらった水色のドレスは可愛らしい物だった__が。
「それじゃぁいざって時に走れないだろ。裾のところ踏んじゃったらもう着れないし」
足元まで広がったスカート部分は夜会向きだが走りにくそうだった。カルロの指摘を受けたレオナルドはしゅんとしてしまったが、一方でミケーレがふんと鼻を鳴らして自慢げに立っているのが気になった。
「ほら見ろ。今回は帰りに時間をかけられないんだ。こいつにはこれくらいが丁度いい」
そう言ってカルロを姿見の前に立たせると、ミケーレはドレスを宛がってきた。深いスミレ色のドレスはスカート部分がマーメイドラインになっていて、裾のレースには銀糸が織り込んであった。一目で特注と分かるそれを見てカルロは唖然とした。
「あんたどっから金が出てくるんだ?」
「一応言っておくが、盗んだ金ではないぞ」
当たり前だ!と非難するとミケーレはカルロを隣室に追いやり着替えさせた。レオナルドは待っている間にリビングを彷徨いていたが、ふとある物に気づいた。部屋の隅、本棚の本の陰に写真立てが伏せておいてある。立て直すと、一組の男女が互いの間に赤ん坊を抱えて笑ってる写真が入っていた。よく見ると女性の方はこの国の人間ではないようだ。どことなく容姿がカルロに似ているようにも見える。薄い金髪に紫色の瞳はこの女性__母親に似たと分かる。隣に立つ男性は嬉しそうに赤ん坊の顔を撫でているが、父親だろうか。屈強そうな体から恐らく彼も水夫だったのだろう。もう一つ伏せてある写真立ても立て直すと、今より幼いが面影のあるカルロと、満面の笑みで彼女を抱え込んでいる老人が写っていた。年の割にガタイがよく、一目で彼がカルロの父方の祖父だと見て取れた。どちらも幸せそうな写真で、それを伏せていたカルロの悲しみと寂しさが伝わってきた。後ろから遠慮なく覗き込む男も同じだろう、さっきから無言だった。
「そんな所で何してんの」
気づけばすっかり着替え終わったカルロが腰に手を当ててこちらを睨んでいた。口調さえ直せばどこからどう見ても貴族令嬢のようなのだが、長年染み付いた癖はそう簡単には崩れないのだろう。
「下ろしたままでも十分綺麗だと思うが、夜会となるとそうもいかないか」
「心配するな、俺がやる。じっとしてろよ」
ミケーレはさっとカルロの背後に回ると、どこから取り出したのか、櫛とヘアピンを髪飾りを机に並べ、暫し悩んだかと思うとあっという間に髪型を完成させてしまった。本当にこの男、表の職は何をしているのか。
「…なぁ、全部終わったらさ」
徐にカルロの髪を一房掬うと、奴はそこにキスをした。いくらなんでもやりすぎだろうと止めに入ろうとしたが、次の一言でレオナルドは足を止めた。
「皆で写真とるか。この格好で」
カルロが珍しくきょとんとした顔でミケーレを見つめた。いきなりで意味が分からなかったのかもしれないが、レオナルドにはその意図が読めた。
「あの棚いっぱいになるくらいの写真を撮ろう。そうすれば御家族もきっと喜ぶ」
レオナルドがミケーレの意図する所を引き継ぐと、驚くべきものが見られた。終始表情の変わらないはずだったカルロが、微笑みを浮かべて二人を見つめてきたのだ。その笑みは写真に写る母親のものと同じくらい美しいものだった。
「…一つ、我儘言っても怒らない?」
「ん?何だ、言ってみろ」
少しはにかんだ様子のカルロは思い切ってその指をレオナルドの方へ向けた。正確には、彼の持つ水色のドレスを指している。
「あっちのドレスを着た写真も撮って欲しい」
それを聞いたミケーレは苦虫を噛み潰したような顔でレオナルドを睨み、一方のレオナルドは勝ち誇ったようにミケーレに対して鼻を鳴らした。
大変長らくお待たせしました。久々に人物紹介3です。といってもネタバレになるのでちょこっとだけですが。申し訳ございません。
ミケーレ・コンタリーニ…レオナルドとほぼ同世代の青年。長身痩躯、黒髪金瞳の派手な美青年。本編ではまだ登場しないが、コンタリーニの名前も実は重要。カサノヴァの存在も含めまだまだ謎だらけの人物です。