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六話→私が彼氏になった理由

「起立、礼!」


 号令に従い、ようやく本日の授業が終わる。荷物を持ってそそくさと教室を出ていく生徒や、別れるのが惜しいのか友達と会話を始める生徒がいる中、僕は自分の鞄に教材を詰めながら、今日一日で溜まったストレスを少しでも発散するように、大きな溜息を吐いた。


「…………はぁ」


 一つ溜息を吐けば、一つ幸せが逃げる。

 その言葉はあながち間違いではないのか。ストレスを逃したつもりが、逆にどんどん陰鬱な気分になっていく気がする。それはそうだ──たとえ、今ここで盛大に暴れて鬱憤を晴らしたところで、この先もこの身体の不憫に振り回されることは変わらないのだから。

 と、そこへ、隣の女子が話しかけてくる。


「新立君」

「え、何?」

「ノート、ちゃんと写して、明日返してね」


 それだけ言うと、彼女は去っていく。僕がその背中に礼を言うと、彼女は止まらず振り向き、笑顔で手を振っていった。

 生徒一人一人が愛想良く、思いやりを持った学校づくり。普通なら口だけのところを、この学校は、本当にそれをモットーに努力している。いじめは根絶やし、喧嘩は程々、ただし暴力厳禁──一見、どこの学校も掲げているような三句だが、重みが違う。それを生徒が律儀に守れているのも、道徳心を育むに相応しい街で育ったことと、特に人権を重んじるこの学校の雰囲気にしっかりと影響されているからだろう。


「お、新立、じゃあな!」

「うん、また明日」


 おかげで、こんな僕も救われた。

 そんな中で、周りを信じられず、欺こうとしている僕は、おそらくこの学校に相応しい生徒ではないだろう。


 僕は根暗になりそうな気分を口笛で誤魔化しながら、早歩きで廊下と階段を抜け、下駄箱で靴を履き替え、校舎を後にした。そのまま校門を出よとすると、付近で僕を呼ぶ声が聞こえる。目で探ってみると、その声の主は優月さんだった。


「新立せんぱーい!」


 彼女は手を振りながら僕の元まで駆け寄ってきて、隣に並び、僕に微笑みかける。


「新立先輩、お疲れ様です。今日は特に」

「……うん」


 気のせいかな。これからはその台詞(主に最後)を毎日耳にしなきゃいけない気がする。


「どうしたの?」

「先輩と一緒に帰りたいと思いまして」

「方向は?」

「全然違いますけど、問題ありません」

「それは問題あるんじゃない?」


 と言いながらも、とりあえず校門を出て帰路に着く。

 しばらく歩き、他生徒もまばらになってきたところで、僕は優月さんに疑問を投げかける。


「そういえば、なんで今さら一緒に帰ろうって思ったの? 少なくとも、この前まではそうじゃなかったのに」

「だって私、もう先輩の彼女じゃないですか」


 平然と言い放った優月さん。

 驚愕する僕。


「え、えぇ!?」

「先輩、私に相談してくれましたよね」

「あの、昼休みの?」

「はい。そして私はそれに頷きましたよね」

「う、うん」

「その時から、先輩と私は恋人同士の関係になったんです」


 平然と言い放った優月さん。

 さらに驚愕する僕。


「え、なんで!? あれがそうだったの!?」

「じゃあ先輩は、あれがそうじゃなかったっていうんですか?」

「いや、その、えぇ!?」

「ひどい! 私はそのつもりで返事したのに!」


 道端で泣き崩れる優月さん。傍から見れば、彼氏に裏切られた彼女の構図。通行人がいないのが幸いだった。


「で、でも、僕のあれはべつに、そういうつもりじゃ……」

「先輩が違っても、私はそういう覚悟だったんです!」


 そういう覚悟だったんだ!?

 恋人認定されるにしてもちょっとばかし台詞が特殊すぎない!?

 そう思うのは僕だけじゃないはず!


「まさか先輩が軽い気持ちで私に相談してただなんてぇ!」

「いやあの、だからといってそういうわけでも──あぁあ、もう!」


 とはいえ、この状況が続くのも困るわけで。

 仕方なく、僕は、蹲っている優月さんに手を差し伸べる。


「分かった、僕も優月さんが好きだ! 僕と月さんはもう付き合ってる!!」

「ほ、本当ですか?」


 別に妄言ではない。

 優月さんが僕に近づいてきてからというもの、僕自身、彼女をまったく意識していなかったかと問われると、頷けない。満面の笑みで挨拶され、手作りチョコまで貰ったのだから、気にはなっていた。それが、今日いきなり迫られ、隠すつもりだった性転換をあっさり見破られ、おまけにジョーク好きという意外な一面も知れれば、印象も大分変わるというものだ。それに、容姿に惚れた部分もある。

 自分を大いに慕ってくれる可愛い後輩と付き合えるのなら、こちらとしても本望だ。

 ただ、付き合うとしても、今の僕には問題がある。


「ただし、こんな僕でよければ!」


 性別。それに伴い、男らしさを失った外見。

 表面上は、女と女にしか見られない。そんな中で恋人の関係になったとして、優月さんは本当にそれでいいのだろうか。


「……もちろんです」


 優月さんは、涙をぬぐい、はっきり頷いた。

 

「私は、先輩の外見だけが好きになったわけじゃありません。テレビに映るアイドルみたいな愛し方はしませんよ」

「優月さん……」


 あぁ、彼女はきっと良い人だ。

 育ちが良いとか、そういうんじゃない。

 彼女が口にする言葉は、彼女が、彼女自身で育てた純粋な恋心そのものなんだ。


 僕にはもったいない。


「好きな人が不幸に苦しんでるのに、上辺だけを見て幻滅したりなんてしません」

「……ありがとう」


 僕が礼を言うと、優月さんは僕の手を取って立ち上がり、軽くスカートを払ってから歩き出した。僕がその背中を追おうとすると、不意に優月さんは振り返り、ほくそ笑む。


「それに、今の先輩も無駄に可愛いですから」

「無駄には余計だよ!」


 反論せざるを得まい。


「そうですか」

「…………」

「…………」


 …………ん?


「今の先輩もかわ」

「ち、違う! 可愛いも余計!!」

「じゃあ愛らしい」

「愛らしいも」

「キュート」

「キュートも!」


 (元)男としてのプライドは削られまい必死な僕を見て、味を占めたらしい優月さんは、次々と似たような単語を挙げてくる。そのたびに僕がそれを否定する。


 それを繰り替えしながら歩いていると、いつの間にか僕の家の前まで来ていた。


「さて、愛くるしい先輩と話せるのは、今日はここまでみたいですね」

「断じて愛くるしくないけど、そうだね」

「さようなら、チャーミングな新立先輩」

「うん、さよなら。君がなんと言おうとチャーミングじゃないけどね」


 そう言って、僕は家のチャイムを押す。

 その途端、玄関の扉が勢いよく開いたかと思えば、


「──うむっ!?」

「おかえり吉海! 女の子になったって聞いたから驚いちゃったわ!!」


 出てきた母親に強く抱きしめられた。


「二人とも信じて家のことを全部任せていたのに、まさかこんなことになるなんて! 私、母親失格ね……!!」

「む、──んー、んむー!!」


 自分を責める母の胸の中で、僕は息が出来ずにもがいていた。

 このままじゃ死んじゃう、離してほしい。

 

「先輩!?」


 背後で優月さんの驚く声が聞こえる。そんな彼女は、僕が母親に軽く殺されかけていることに気づいたのか、僕を胸の中にあーだこーだ懺悔する母をなだめようとしてくれるが、依然としてこの死ぬほどの息苦しさは変わらない。


「吉海!」


 しばらくして、突然名を呼ばれたかと思えば、今度は肩を掴まれる。息苦しさはなくなったが、今度は握られた肩が痛い。それでも死ぬほどではないので大人しくしていると、母から質問を投げかけられた。


「本当に、女の子になっちゃったの!?」


 息子が娘になったことがどうしても信じがたいのか。姉から話を聞いた様子ではあるのが、自分で確認しないと事実として受け止められないらしい。きっと、望んでいるのだろう──冗談であってほしい、と。子ども達が、母親に帰って来てほしいがために吐いた可愛い冗談に過ぎないのだと。息子は、息子のままなのだと。

 僕だって、これが冗談であれば、夢であれば、どれだけ救われたことか。頬をつねれば目が覚めて、いつも通りの日常が送れることができたら、どれだけ喜んだことか。


「…………」


 救われたかった、喜びたかった。

 でも、救われなかった、喜びべなかった。

 どんなに頬をつねっても、夢であることを望んでも、性別は変わったままで、目の前の現実は変わらなくて。


「先輩……」


 優月さんとだって、男のままで付き合いたかった。僕には笑顔で見えるけど、彼女だって、本当は男の僕と付き合いたかったはずだ。でも、優しさゆえに、女になってしまった僕を受け入れてくれて。

 ある意味、救われたけれど。


 でも、それは同時に。

 僕が女になってしまったことを、僕自身が自覚することに繋がって。


「……母さん、たしかに、僕は」

「あぁ、もうじれったい! 確認するから脱いで、ていうか脱ぎなさい!!」

「えっ」


 答えることを躊躇う僕にもどかしさを感じたらしい母は、玄関先で僕の制服を脱がそうとする。いきなりのことで抵抗できず、あっさりと制服のボタンをはずされ、下着(シャツ)まで見える。そしてその下着までもが持ち上げられ、お腹どころか胸までご開帳されそうになったところで、ようやくその現状に僕の頭は追いついた。


「ひぁっ!? い、いや、ちょっと母さん!?」

「下を見るのはあまりにも可哀想だから、胸を見せなさい!」

「だ、だからって!」

「いいから見せなさい! ちょっとでも膨らんでたら信じてあげるから!!」


 い、いやたしかにちょっとは膨らんでるけど!

 信じてもらえる程度の素材にはなるけど!

 場所考えて、場所!

 あと後輩もいるから、そこも気づいてほしい!


「胸を見せないっていうのなら、下見ちゃうわよ! いいの!?」

「ちょ──いやあああああああッッ!!!」


 なぜか鼻息を荒くしてまで、娘のあんなところやこんなところを見ようとする母親と、顔を真っ赤にしてそれに手向かう娘。傍から見れば異様な光景である。その上、その娘が元息子となれば、よっぽどである。おまけにそれは玄関先。傍から見られたっておかしくない。

 事実、僕の後輩──もとい彼女は、そのやり取りを最初から目撃していた。


「先輩、見せなきゃ信じてもらえないんですから、見せちゃってください! お母さん、頑張ってください!!」

「まってまって、なんで応援してるの!?」


 ついでに僕の服を脱がそうとする変態を応援している。やめて、この人、人の言葉に影響されやすいタイプだからやめて。


「おらぁ!」

「にゃあっ!?」

「うへへへへへ……」


 娘程度の力では、母親に逆らえず、ついに下着を胸の上まで持ち上げられる。

 思わず変な叫び声を上げてしまう僕。一方、気持ちの悪い笑声を出しながら、僕の上半身を舐め回すように凝視する母。なんでだろう。母に見られただけなのに、汚された気がする。


「さて、我が息子は本当に女の子になっちゃったのかしら!」

「どうなんでしょう!」


 嬉々として叫び、僕の胸に目を向ける母……と、なぜか優月さん。

 ほんの数秒ほど眺めて、僕の胸の育ちを確認したのか、二人はしばし目を合わせる。そのあいだ、下着を持つ母の手を振り払えず、ただただ赤面しながら目に涙を浮かべる僕。

 辱められた。よりによって、実の母と彼女に。

 玄関先で、女になった自分の胸を見られてしまった。

 死にたい。


「……割と」

「……膨らんでますね」

「……そうね」


 いっそ殺して。


「……まさか、本当に私の息子が……」


 性転換の事実に驚愕したらしい母は、ようやく僕の下着から手を離し、涙目の僕を見つめながら、一歩二歩、後ずさりする。僕はあわてて下着を元に戻すが、すでに胸を見られた後では手遅れだった。


「そんな、まさか、吉海が……」


 背を向け、ぶつぶつと独り言を言い始める母。自分の息子が女になってしまったのだ、ショックは大きいだろう。僕としても、母親に無理やり胸を見られたのはかなりショックだった。


「そんな、先輩のが、私のより大きくなってるだなんて……」


 こちらもなんか違う方向でショックを受けているらしい優月さん。僕の胸だって少ししか大きくなってないのだけど、彼女はそれ以下だったのか。なんか申し訳ない。できることなら譲ってあげたい。


「あぁ、吉海、おかえり。って、どうしたの?」


 そこで家のリビングから顔を出す姉。しかしこの状況が読み取れないらしく、首をかしげている。

 玄関先で蹲り、俯いてなにやら呟いてる母親と一人の女子生徒。そしてその間で、制服がはだけたまま赤面している弟。一目見ただけでは、こうなった経緯が理解できないのも当然だった。


「……本当に、本当に、女の子になっちゃったのね……」


 母の、僕に言ったともとれる呟きが聞こえる。

 誤魔化しようは無いし、そもそも母親相手に嘘は無しだ。胸まで見られてしまったからには、素直に肯定するしかあるまい。


「……うん」 

「……本当に、そうなのね……」

「……どうしてかは、分からないけど」

「それならッ!!」

「えっ?」


 すると、いきなり母は立ち上がり、振り返る。

 どこから取り出したのか、その手には、ワンピースやスカートなど、どこからどう見ても女物の服が握られていた。


「あ、それ私のお古」


 姉が言う。


「ま、まさか……」


 それをなぜ、ここで母が引っ張り出してきたのか。理由は聞くまでもなかった。


「それなら、身も心も女の子になってもらうしかないわね……!」

「やっぱり!?」

「さぁ、可愛くしてあげるわ! こっちへ来なさい!!」

「先輩、よかったですね! きっと先輩なら似合うはずです!」

「え、なんで、どうして優月さんも賛成してるの!?」

「あらあなた優月さんっていうのね。丁度いいわ、優月さんも手伝って!」

「了解です!」

「二人して何を──ちょっと、待って……! 嫌だああああ! 離してええええええ!!」

「き、吉海!?」

「いやああああああああ!!!!!!」


 我が家に轟いた悲鳴は、哀切なるものだった。

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