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四十四話→優月さんの弱点 ※挿絵有

 放課後を迎えるころには、雨はからっと止んでいた。

 ちぢれた雲が這う並木道のなかを、さらに道を選ぶような足取りで行き交う人々。僕はそれを窓越しに、コミックが並ぶ商品棚を挟んだところからぼうっと眺めていた。一分ほど前に奥のお手洗いへ駆けて行った恋人が戻ってくる様子はまだない。

 本来ならば校門前で別れるところを、学校から最寄りのコンビニに足を延ばすことを提案したのは僕である。もう少し優月さんと声を交わしたい欲が働いたためのくだらない口実だったのだが、優月さんは快く頷いてくれた。自分の家に招く選択肢もあったものの、姉が在宅している場合、二人が手を組んで僕をおもちゃにする未来が予想できたため、避けられるリスクは避けたかったのだ。


「…………」


 何かを探すでもなく、目線が雑多な商品棚を泳ぐ。女性向けのパッケージを今まで以上に忌避するように。あてのない視界は小腹の空く放課後ともあって、冷凍食品に向けられた。


「お腹が空いているんですか?」


 いつの間に化粧室から出てきた優月さんが僕の隣に立っていた。彼女としては自然な行動なのだろうが、僕は不意打ちを食らって思わず頷いてしまった。


「お夕飯入らなくなっちゃいますよ」


 優月さんには、ここ数日ですっかり胃を掴まれてしまったわけだが、昼休みを迎えるたびに手渡される彼女とお揃いの弁当箱とその中身だけで満足してしまっているあたり、僕も随分と小食になってしまったのだろう。とはいえ元からの食欲と今の空腹が釣り合わない以上、一つファストフードを買おうにも二の足を踏んでしまうのが今の僕なのである。

 ただでさえ最近は愛しい妹のために、料理に精を出している姉がいるのだ。奮発した皿の上が残飯に変わって泣き崩れられても、それはそれで申し訳が立たない。


「……肉まんですか?」


 などということを考えながらも、欲を隠し切れない視線は優月さんに見透かされてしまう。

 男のころはお世話になっていた味なのだ。戻る手立てもなく元の性別に執着しすぎることが気に毒なのはわかっているのだが、少しくらい思い出に浸るくらいは許してほしい。


「気持ちはわかります」

「……うん」

「なら、こうしましょう」


 そう口にした優月さんは、まっすぐレジに向かっていった。


「肉まんを一つ、ください」


 並んで店を出たときには、優月さんの手には一つの肉まんが収まっていた。彼女は包みから取り出したそれを、おもむろに半分に裂き、片方を僕に差し出した。条件反射的に受け取ろうとした僕の手からいたずらに遠ざけたかと思うと、ふと微笑んだ。


「どうぞ」

「え」


 訳が分からず、首をかしげる僕。

 優月さんは、鈍いですねと言わんばかりに僕の口元に肉まんを押し付けてきた。


「あーん」

「うっ……」


 思い出されるかの昼休みのこと。まさかこんな人目のある空間で仕返されるとは思わなかった。

 みるみるうちに頬が熱くなるのを自覚するものの、こみ上げていた食欲は空いた小腹を鳴らしてやまない。湿った口はどうしようもなく魅力的な断面に吸い寄せられてしまう。


「美味しいですか?」

「……美味しいです」

「それはよかったです」


 無駄に何度も噛みしめながら、自分の歯型を見つめる。隣で愉快そうに僕のと同じものにかぶりついている人の顔は、少なくともこの手の内の食べかけを胃に収めるまでまともに見られそうにない。

 小さな二口目を口にしながら歩きだした僕。優月さんは何も言わずにその横をついてきた。

 二人が肉まんを食べ切るころには、さよならの分かれ道にたどり着いていた。

 まばらな雲が色づき、日は家屋の隙間から僕らの顔を覗き込もうとしている。

 優月さんから取り合げた肉まんの包みと袋を片手に、僕は彼女に小さく手を振る。


「ごちそうさまでした。また明日」

「はい。こちらこそ、お値段以上の表情をありがとうございました」


 茶化されて顔をしかめるものの、次の瞬間には惜しい気持ちが眉をゆがめてしまう。

 彼女といられる時間がもっと欲しい。家が地味に離れているのが残念で仕方がない。


「……またね」

「さようなら、先輩」

「……うん、さよなら」


挿絵(By みてみん)


 優月さんが僕に背を向けて歩みだしてからも、僕は無意識にその場で手を振り続けてしまっていた。


「…………」


 優月さんは何だかやりにくい様子でそれをちらりと肩越しに何度か見やっていたが、ふと振り返った。そのまま踵を返し、俯き加減で僕に近寄ってくる。そして僕の目の前で立ち止まるや否や、僕の両肩に手を置いたかと思うと、僕の名前を呼んだ。


「新立先輩」


 さすがに情けないと思われてしまっただろうか。

 内心戸惑って返事しあぐねていると、優月さんが顔を上げ、彼女にしては珍しく声を荒げた。


「そんな顔されたら帰るに帰られないじゃないですか! お別れの度に私の心を鬼にさせるのはやめてください!」


 必死になって懇願している様子が、前髪の隙間からちらりと見える瞳孔からも伝わってくる。

 これはある意味、優月さんにも僕の"今の顔"が効いているという証拠なのだろう。

 女になってからというもの、散々弄ばれてきたのだ。今さら彼女相手にこの見た目を利用することに抵抗など無い。


「……なんか、さみしくて」

「分かりました、分かりました。分かりましたから、もう少しここでお話しましょう。おうちに帰った後も電話していただいて結構です。いえ、私から掛けますから待っていてください」

「本当?」

「誓って本当です。お願いですから、私の弱点を増やすことだけは勘弁してください」


 にへらと笑いだす僕を見て、優月さんは満更でもなさげにため息を吐いた。


 

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