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三十七話→つくづく良い人たち・後

「どうですか、先輩」

「おいしい」


 食べ歩く帰路。凝った色合いの歩道を行く僕らの影は東のほうへ伸びつつある。

 前方に気を配りつつ、黙々とクレープを食べる僕。すでに食べ終えたらしい優月さんが、それを右隣から微笑まし気に眺めている。彼氏であるはずの僕が彼女に可愛がられているこの状況、いい加減なんとか打破できないものだろうか。打開策があるとすれば、それは僕が男に戻ることが一番手っ取り早い──しかしながら、それは一番遠い道のような気もする。

 そろそろ駅も間近といったところである。

 僕が両手に抱えるクレープも残り半分とちょっとといったところ。

 それを不意に残り半分弱にまでしてしまったのは、視界の左端から現れた姉の口だった。


「あっ、ちょっ」

「久しぶりに食べたけど……。んん、私も買っときゃよかったなあ」


 戸惑う僕をよそに、僕の三口分ほどの量を一口で横取りしてしまった姉は、中のものを大げさに咀嚼してから飲み込むと、後悔したような口調で首を傾けた。

 姉に難色を示す。


「なんで何も言わずに食べるのさ」

「我慢できなくなっちゃって」

「言ってくれればちゃんとあげたのに」

「あっ……」


 姉は何かに気付いたかのように声を上げたかと思うと、なにやら露骨に肩を落とした。


「どうしたの?」

「……いや、どうせなら吉海にあ~んしてもらえばよかったなって」


 姉妹同士はあ~んとかするものなんでしょうか。するものだとして、それが常識かどうかも問いたい所存です。

 教えて全国の妹さん。特に僕のような元弟の妹さん。

 いるわけないですよね。

 分かってますよ、同じ苦悩を分かち合える同胞なんて探そうとするだけ無駄だってことは。そりゃもう嫌ってほど分かり切ってますよ。それほどまでに僕という存在が、人間および科学社会の異端になり果てたことも。

 僕って、魔法でも掛けられているのでしょうか。

 はたまた、呪い?

 ネットオークションあたりに解呪の秘宝とか売ってないかしら。駄菓子くらいのお手軽価格で。

 ちなみに、僕は姉ほど騙されやすい性質ではないのであしからず。


「僕が食べさせたくらいで何が変わるのさ」

「上目遣いの吉海が見られるチャンスだと気付いたのよ、今更ね……」


 そもそも、なぜ自然に頼んでいれば僕が素直に口元に差し出していた状況が前提になってるんですかね。あなたに堪え性があったなら、無意識に行っていた可能性はたしかに否めないですけれども。

 ここ最近、実の姉に対して身構えることを覚えつつある。

 姉弟という特権を持った変態に毒を吐くことこそすれ、変態でありながら姉らしくもある、頼りがいのある存在にたびたび泣きついてしまい、大いに励まされてしまうのも事実。

 しかしながら、やはり変態なのだ。

 無防備な妹を前にした姉は。

 生粋の性別を相手に偏愛ぶりを発揮するならまだしも、元弟である妹に対して上目遣いを期待してくる。これはもはやシスターコンプレックスとしての度を越し、偏向的家族愛の新境地すら築きつつあるのではなかろうか。

 その対象が僕であるという事実に対しては、甚だ身の毛のよだつ思いである。

 毛なんて生えてないだろとか思ったセクハラ予備軍は遠慮なく口に出してみろ、訴えてやる。


「……ねえ吉海、今日の晩ご飯のときにしてくれたり」

「駅着いたし、ついでに何か買って帰ったら?」

「答えてすらくれない!?」


 吉海のいじわるーっ、と喚きながら駅の中にあった和菓子屋さんへ駆けて行く姉。

 わざとらしく露骨に拗ねるあたりが一周回って愛嬌でもあるのだが、時おり変態的な愛を向けられる側の僕としては、思わず舌の毒気が抑えられない部分は否めない。

 まあ実の姉弟というこれ以上ない関係性がある以上は、決して腐るような縁ではない。

 悪戯でじゃれ合っているのとそう変わらない。

 ただ、お互いの認識が、普通の姉弟から逸脱しているだけ。それというのも、特殊な事情が、図々しくも二人の間でとぐろを巻いているが故。

 僕の性転換について、姉に非はない。

 責任の一端はあるため、微塵もない、とは言い切れないが。

 それでも、僕が性転換して尚、僕の姉でいてくれる人を責めることはできない。姉の寛容さこそが、不幸中の幸いそのものだったのだから。優月さんも同様。

 こうして、以前より低くなった目線で、店内の色々な小綺麗な甘味たちに目移りしている背中を眺めていられることが、もはや幸運と言えるのではないだろうか。おまけに、こんな僕を甘受してくれている恋人も、戸惑いながらも必死に受け入れようとしてくれている親友もいる。

 これ以上の幸せは、そうそう味わえるものではない。

 この上、あわよくば自身が男であればと願うのは、我儘なのだろうか。


「ねえ、加邉」


 我儘なら、それでいい。

 愚直に生きてやる。


「……どうした?」 


 僕の左後ろにいた加邉が、僕に呼ばれて左隣に歩み出てくる。

 気まずげな表情。


「はい」


 その口元に、僕は残り半分弱ほどのクレープを差し出した。

 気まずげだった表情が、わずかに怪訝そうに歪む。


「……まだなんか根に持ってることでもあるのか?」

「んん」


 首を横に振って、また感情表現の乏しい表情に目を据える。


「ただ、お願いしたくて。僕、絶対男に戻ってやるから。こんな身体になっちゃって、悩むことはまだたくさんあるだろうけど、何とかするから。姉ちゃんや、優月さんもいるから、何とかなると思う」

「…………」

「それに、加邉だっている。生活面じゃ、女じゃない加邉に手助けしてもらうことはないだろうけど。でも、僕がこんなになったことを知ってるクラスメイトはお前だけだからーーだからさ、お願いしたいのは、なるべく前みたいに、僕が男だった頃と同じように接してほしくて。それで、もし僕がヘマしちゃったときは、フォローしてほしいんだ」


 無茶なことを言ってるのは分かってる。

 でも、それでも、お前なら聞き入れてくれそうだったから。

 姉という家族がいたから泣けた。優月さんという恋人がいたから癒された。

 加邉という知音がいるから、我を張れるのだ。

 身勝手なのかもしれない。

 でも、それを皆が受け入れてくれるからこそ、運命の勝手に振り回されても、僕は壊れずに済むのだ。


「ーーお願い」

「…………」


 加邉は僕を見つめて、押し黙っている。

 僕の台詞が支離滅裂だったから、頭の中で整理しているのかもしれない。あるいは、迷ってくれているのかもしれない。

 最悪、聞き入れてくれなくてもそれでいい。少しでも聞き入れようとしてくれたのなら、それだけで救いになる。

 加邉が返答するまで続くかと思われた膠着。

 しかし、二人の間の時計の針を動かしたのは、優月さんだった。


「私からもお願いします、加邉先輩」


 僕の右隣から覗き込むようにして、優月さんは加邉を見た。


「新立先輩の言う通り、私や香波さんは新立先輩の生活の手助けならできます。でも、私たちじゃ、生活面でのサポートはできても、精神面のサポートは難しいんです。私や香波さんは、男心を知りません。だからこそ、加邉先輩には、私たちとは異なる面での、新立先輩の拠り所になって頂きたいんです」


 優月さんは、深く頭を下げた。


「お願いします」

「……お願いします」


 続けて、僕もクレープの位置は保ったまま頭を下げる。

 体感的には、約十秒後といったところだろうか。

 温かいとも、冷たくないとも言える声が、僕の頭に降りかかった。


「……無茶言うな」


 一瞬、全ての音が耳から遠退いたような感覚を覚えた。


「……ッ」


 そうだよね。無茶だったよね。

 思わず、喉から嗚咽が出る。

 クレープを持つ右手は震えだし、徐々に下がっていく。

 視界が滲み出す。この身体は、やけに涙腺が脆い。

 小粒が明るい床に黒い染みをつくるのも、そう遠くない出来事だろうーーそう予想したところで、いつの間にやら、右手が軽くなっていたことにようやく気づいた。


「ーー……?」


 顔を上げると、ほんの数秒前までクレープが収まっていたはずの包み紙が加なべの手の中で丸められていた。

 そして、加邉の頬が膨らんでいた。

 もごもごと咀嚼している。

 何やら強敵にでも立ち向かっているかのような必死の形相で。


「か、かなべ……?」

「無理はなさらないほうが……」


 狼狽える僕と優月さんをよそに、加邉は喉に詰まらない程度に噛み砕いたのだろう内容物を、喉を鳴らして少しずつ飲み込んでいく。

 別にここまでしてくれとは……。

 加邉がすべてを飲み込み終えるのに、三十秒ほど要した。成し遂げた直後の彼は、心なしか息が荒い。


「どうして……」

「……お前の問題なんだ。俺が下手に悩まなくてすむなら、その方がよっぽどいい」


 そこへ、入店前とは売って変わって、上機嫌な姉が戻ってきた。

 片手には、姉の単純な舌によって厳選されたのだろう和菓子が詰められた袋。口には試食の後が。白餡だろうか。


「いやあ、たまには街に出てみるもんだね」

「……僕らの住んでるとこだって、田舎ってわけじゃないよ?」

「それはそうなんだけどね」


 苦笑いする姉だが、加邉の異変に気づいたらしい。


「どうしたの加邉君? 顔が青いような」

「……いや、何でも」


 本人はあまりしゃべる余裕がないらしい。

 そこまで無茶なら一気に食べなくてもよかったのに。


「そう? まあ疲れたようなら、はやく帰ろっか」


 そう言って歩きだす姉に、優月さんが駆け寄っていく。離れ様に、僕に微笑みかけて。


「そうですね。夕方になっちゃいますし」

「あ、千佳からメールだ」

「千佳さん面白い人ですよね、お友達になりたいです」

「ん、千佳も可愛いお二人さんと仲良くなりたいんだってさ」

「わあ、是非!」


 会話の弾む二人の背後に、僕と加邉。

 優月さんがわざわざ僕から離れた意図は何となくわかる。一旦はと、気遣ってくれたのだろう。

 僕が、加邉に礼を言いやすいように。


「……ありがとう、加邉」

「そう思うなら水をくれ」

「甘いものは牛乳と一緒に食べたほうが美味しいよ」

「ああ、帰ったら試すから、まずは水をくれ」


 苦い薬じゃあるまいし。

 求む謝礼は元男の澄んだ謝辞より百数十円の天然水か。


「苦手なのに、一気に食べちゃうからだよ」

「どうせなら全部横取りしてやろうとな、……失敗だったよ」

「へえそうなんだ、僕もせめて半分以上残しとくべきだったって、たったいま後悔してる」

「すぐに手のひらを返すな」


 ああ確かに、彼は僕の無茶を聞き入れてくれている。

 自然に、僕の隣を歩いてくれている。


「僕、思うんだよね」

「……何をだよ」

「加邉ってさ、つくづく良いやつだなって」

「そう思うならジュースを寄越せ」


 要求がグレードアップしとるがな。

 お気に障ろうとしたつもりは毛頭ないんです。

 しかしながら、加邉なりに自然に接そうとしてくれているのは、鈍い僕にもわかる。

 気を遣いすぎなんだ。

 不器用なくせに。

 

「はいはい」


 ……僕も人のことは言えないや。

 渋々、僕は財布を取り出して前の二人を呼び止めた。

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