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二十九話→つまりはいつもの

 教室に入るや否や、席に着く前に、こぞって押し寄せてくるクラスメイトから投げかけられる挨拶と物欲しげな視線に、まず応えることを強いられた。

 クラスメイトというのも、今の僕にとって同性の方々である。無論、それについては、僕と身内限りの秘密で、彼女らが知りえることではないが。これについても、当面は、と飾るべきか。

 せいぜい残り一年弱の付き合いだが。その内に、知れ渡る事実だ。

 お世話になった学校を、欺いたまま卒業するのは、僕の良心が許さない。

 

「おはよ、新立君!」

「お、おはよう」

「ねえ、ねえ?」

「……ほ、ホームルームまで時間無いし」

「そっか。じゃあ時間あるときに相手してね!」


 さりげなく約束を取り付けて、彼女らは僕から離れていく。僕は、その場で溜め息を吐いた。今日は、何回、吐くことになるやら。

 "相手"というのは、言わずもがな。

 しかし、昨日の時点で、頭を撫でてくるだけに留まらない輩はいた。頭が埋まっているからと、頬をつまんできたり、持っていた髪留めゴムで髪を結ってきたり。

 僕が対応に困って、行う抵抗も程度が小さいのをいいことに、彼女らは僕が望まぬままに手に入れた女子力を大いに弄んだ。時には複数のゴムを用いて僕の髪型を変えるたび、耳元で聞こえる可愛いを意味する感想に、心にある大事な何かを打ち壊されていくようだった。とっくに崩れ去ったその残骸を調べてみれば、きっとプライドという結論に至ることだろう。

 そうとなれば、今さら可愛がられたところで、傷心する余剰はもう無いというものだ。これこそ、身を削り、削られてこそ得られる成長といえるのではなかろうか。

 ええ、そうですよ。ただの強がりですよ。


「……人気者だな」


 出入り口で竦んでいた僕の背中に、加邉が話しかけてくる。

 皮肉のつもりか、この野郎。


「……代わってくれる?」

「断る」


 僕の背を押して教室に入り、加邉は自席へと向かっていく。僕の懇願を、ぶっきらぼうにあしらって。

 畜生め。クラスメイトの少なくとも半数から、不本意とはいえ持て囃されてる人間のお願いだぞ。ちょっとくらい聞き入れようとしてくれたって。

 ああ、なんだか──僕も僕で、性別的によくわからない立ち位置に落ち着き始めているような気がする。


「……涙よ、出るんじゃありません」


 そう言い聞かせるまでもなく、涙は瞼の裏で大人しくしていた。

 席に着き、教材や筆箱などを鞄から取り出して、机の引き出しに収める。空になった鞄に、組んだ腕でのしかかると、また溜め息が出てしまう。教室内を見渡すと、右前方に加邉の背中が見えたので、んべと舌を出す。こっちだってお前から頼み事されたら無視してやるもんね、一回だけ。


「あっ、……可愛い」


 すぐ傍で、まろび出たような小さな呟きが聞こえた。見やると、隣人が丸い目でこちらを見つめていた。僕のいまの仕草を、目撃したらしい。

 しまった。この一件で、彼女の上げてはならないゲージを上げてしまった気がする。

 窓の外へ顔をやって、誤魔化す。ところが、隣人は僕の行いを信じて疑わなかった。

 

「ねね、あたし見た」

「何を?」

「あのね、さっきね、新立君がね」


 そこまで会話が繰り広げられたところで、僕は慌てて振り返り、口元へ人差し指をやって、隣人に暗黙を要求する。これ以上、彼女らが抱く僕の印象が小動物に寄ってはたまったものではない。

 隣人は、一瞬ばかりは留まってくれるも、どうしても告げ口したげな様子。仕方なく、僕は上目遣いに打って出た。


「……お願い、しーっ」


 ついでに、顔よりちょっと下の位置で手も合わせる。


「……うん、うん」


 効果はてき面だったらしく、隣人は何度か深く点頭すると、閉口した。その始終を見ていた例の眼鏡のおさげ女子は、追及してくるかと思いきや、彼女もなぜか真顔で頷いていた。

 僕はふうと満足して、鞄を片付ける。隣の席で抑え気味に弾む熱のこもった会話に耳を傾けていれば、先刻の僕の抵抗はむなしいもので、結果的状況にはさほど変わりが無いことに、僕は気付けたのだろう。気付いたところで、それこそ抗ってどうにかできる状況ではないのだが。

 根本こそ見抜かれていずとも、クラスにおける僕という存在の認識は、着実に変わりつつあるのだった。


「皆、席に着いてね」


 そこへ、凛とした掛け声と共に、担任教師が教室へ入ってくる。うなじ辺りで結い、左肩から胸に垂らした髪も揺れぬほど、優雅な所作で教卓まで歩み寄り、両腕に抱えていた書類等をそこに置いた。それから、ぱんと打ち鳴らした拍手と、(具体的な数字は避けるが)ご年齢のわりに低い背から発された幼げな声は、教室内にしっかりと響き渡った。

 生徒が着席したのをしかと確認してから、話し始める。


「えっと、ホームルームを始めます。でも、その前に、一つだけ注意しておきますからね」


 教室内の弛緩気味な雰囲気を引き締めようと、努めているつもりではあるのだろう。ところが、容姿を裏切らないおっとりとした口調のせいで、あまり生徒の腰骨は立たない。しかし、全員が沈黙をつくって、次の言葉を待っている。


「最近、他の区域で、不審者が見掛けられているそうです。暖かくなってきたからでしょうか、ちょっと怖いですよね」

「先生、ストーカーなんてしちゃダメですよ」


 最前席の女子からあらぬ水を差されたせいで、落ち着いた様子から一変、先生は仰天する。


「ち、ちち違いますよ、先生じゃありません! たしかに、旦那さんはまだいませんけど……」

「え、いないんですか?」

「うっ、……ええ、そうです。でもでも、私にだって、未来を約束していた異性がいたんですから!」


 過去形。


「それって、いつの話ですか?」

「……ほ、保育園のころ?」


 予想以上に過去の話だった。

 語った本人が首を傾げているし、話自体が定かではないのかもしれない。


「と、とにかく──周りと比べて、この辺りは治安が良いですけど、油断しすぎては危険ですからね! いつ犯罪に巻き込まれるか分からないんですから」

「先生も気をつけてくださいね、起こさないように」

「起こしません!」


 生徒が顔を見合わせて、くすくすと笑いあう。

 子供にからかわれた不甲斐なさか、あるいは、誘導尋問にまんまと乗って独身という身の上を吐露してしまった恥ずかしさからか、哀れな赤面をさらに真っ赤に染め上げて先生は怒鳴った。


「ホームルームを始めます、はやく起立しなさい!」


 これはこれで、見慣れた幕である。

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