表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/48

二十五話→大目

 午前はよどみなく流れるがごとく過ぎ去り、むろん昼は恋人と屋上でお天道様に見守られながら昼食を取ろうとしている。しだいに暖かくなるにつれ、街並みに紛れていた緑もはっきりしつつある。

 昨晩の出来事をさっそく優月さんに話すと、彼女は可愛らしい手提げバッグから弁当箱を取り出しながら目を丸くした。ご丁寧に手ぬぐいで包み、結び目に箸箱を挟んであるそれを僕に手渡して、優月さんは羨ましげな表情をする。


「先輩に拾われるなんて、その子たちも幸せ者ですね」


 頭を下げてお弁当を受け取り、僕は不安げに眉を下げてみせる。


「飼ったことないから、ちゃんとお世話できるかわからないんだけどね」

「猫は勝手と聞きますし、トイレとか爪とぎとか最低限の躾をすればあとは気まぐれに付き合うだけでいいと思いますよ。もし暴れん坊なら、手を焼くこともあるでしょうけど」

「そうだといいけど」

「心配しすぎですよ。先輩ならきっと大丈夫です、なんてったって可愛いんですから」


 それだけで何もかもが解決できるような紋所でもないんだよ、可愛げは。

 そもそも身内や恋人がそう連呼するほど自分が目に入れても痛くない存在である事自体、あまり認めたくない事実だよ。

 生まれついてから育んできた素質なら誇れるのも然り。しかしながら、そうではないのだ、僕は。


「得てしまったからには、上手に活かしたほうがお得ですよ」


 その通りだが、僕ごときにそんな器用な真似ができないことは優月さんもよく分かっているはずだ。


「メイクを覚えろとまでは言いませんよ。顔を飾らなくても先輩が可愛いのは、私が保証します。私が気をつけて欲しいのは、振る舞いです」

「振る舞い?」

「そうです。先輩の異変を知らない人と接する場合には、男性の頃の自然体でも構いません。でも、先輩の今の性別を異変と認識できない人と接する場合には、先輩が男らしく振る舞っても、むしろ違和感しか無いんです」


 それもそうだ。

 クラスメイトなど僕を男として接している相手には、しおらしい態度や淑やかな仕草を見せたところで下手すれば不快感を与えるだけ。たとえ中性的な見た目と捉えられていても──性別に相応しい物腰というのは強要されやすい。

 しかし、あくまで僕を男として認識しているのは、今はともかく、僕が元は男であることを知っている人物だけ。僕を知らない他人の目からすれば、僕がたしょう男らしい服装でいたり男らしい振る舞い方をしても、せいぜいボーイッシュという印象しか持てないのだ。今の僕にとって、男らしさというのはもはや身の丈に合わないのである。


「分からないようでしたら、私が手取り足取り教えて差し上げますから」

「……どうかお手柔らかに」


 今日の放課後にでも、二人の講師によって教室が開かれそうな気がする。

 もしそうなろうものなら、いっそのこと拾った子猫を身代わりにばっくれたい。あれ、雄だったっけ。


「いただきます」


 箸を取り出して包みを開き、手を合わせる。

 小さめの弁当箱の蓋を持ち上げてみると、昨日とは若干ちがった色合いの中身があらわになった。お肉や野菜などが几帳面に詰めてあり、弁当箱の半分を占める白米の上には海苔が敷かれてある。昨日に続いて、今日もなかなかの出来である。作品と称しても過言ではない。


「どうですか?」

「幸せ」


 優月さんはもとより曇りなど欠片も無かった表情をより和ませた。

 僕にとって、性転換とは不幸である。しかし、それが優月さんとの仲が深まるきっかけになったという事実は、いうまでもなく幸福である。ある意味、不幸中の幸いといえる。とはいえ、不幸を得ずとも得られていた幸福ではあるのだが──その段階があってこそ、彼女の底知れない器の底を垣間見ることができたのであろう。不幸とは、一概に余計とは言えないのかもしれない。

 不幸と幸福。それはコインの裏表のようなものだが、裏と表とで繋がっているが故に、人の運命とははそのどちらからも逃れられないのであろう。つまり、幸福に好かれる人間とは、幸福を踏み越えた先で遭遇する不幸に対し、妥協でき、またそれを乗り越える力のある人間といえる。

 はっきり言って、僕はそれを持ち合わせていない。

 だからこそ、僕は周りの助力を乞うことを覚えた。

 たとえば、家族。

 たとえば、恋人。

 たとえば──それも近い未来であろう、クラスメイト。


「……考えとかないとなあ」

「なにをですか?」


 学校内で性転換が表沙汰になった場合の対応。

 故意か過失か。それによって、その折においての僕自身の精神状態も変わってくるだろう。なにより心配なのは、学校側の措置。僕を男性あるいは女性として扱うか、はたまた当事者の判断に委ねるか。前代未聞の問題なのだ──混乱はして当然だろう。

 しかしながら、現状はそう願っていても、未来の意向が今とまったく変わらないとは限らない。少なくとも、それこそ周りの助力によって、僕の、自身のこの身体に対する観念はだいぶ捻じ曲げられた。取りも直さず、慣れたのである。

 時が経つにつれ、僕はなおさら現状に慣れていくことだろう。

 そうとなれば、校内に性転換が知れ渡るころには、僕もおそらくうまい言い訳を考え付いているかもしれない──


「んん、なんでもない」


 ──自分ひとりで。


「そうですか?」


 僕が泣きつこうものなら、喜んで手を差し伸べてくれる存在は居る。

 だからといって、なにもすぐに縋る必要は無い。

 僕は情けないけど、今以上に情けなくなるのは嫌だから。

 それでもきっと、姉や優月さんは許してくれる。

 それというのも、僕自身が、許すべきではないのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ