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二十四話→少女の受難?

「おはようございます、新立先輩」

「おはよ。……家も遠いんだし、無理して朝むかえに来なくてもいいのに」


 靴を履いて玄関を出ると、案の定、そこにいた優月さんに駆け寄る。


「一緒に登下校しないと、先輩が寂しいかと思いまして」

「僕は小学生ですか」


 優月さんは今朝も上機嫌。

 とはいえ、学校を素通りしてわざわざ僕の家を目指してバスに乗るために、彼女のお小遣いを運賃に使われるのはもったいないようで申し訳ない。隣に恋人がいてくれたほうがよっぽど気分がいいのは当然なのだが、相手の負担を考えるなら、それははせいぜい下校の際くらいで結構だ。


「昨日の今日で、ちょっとだけ心配なものでしたから」


 昨日の一大事と言えば、やはり僕に生理が訪れたこと。

 姉の励ましもあって生理に対する衝撃は乗り越えられたようで、優月さんには、僕がまだ立ち直りきれていないように見えたのかもしれない。小心者な僕のことだから。

 心配要らない。姉のおかげで、母のおかげで、優月さんのおかげで、僕はわりと元気だ。

 これからを考えれば、むろん案ずるべきことは山ほどあるかもしれない。事実、一番の問題については、解決の目処すらちっとも立っていない。


「大丈夫」


 でも、いまは心配ない。

 とりあえず、生きてるから。


「ありがと」


 みんなのおかげで。


「……なら、よかったです――すごく」


 昨晩の姉に言われた通り、優月さんに感謝を述べると、彼女は微笑んで、どこか誇らしげに頷いた。

 二人で笑顔を交わすと、ふと僕は空を見上げる。この行動に理由をつけるのなら、気分が浮わついたからとしかいえない。それくらい、いまの僕の頭は、悩み以上の愉楽で満たされているのだ。

 なにも、この身体が気に入ったわけではない。直視もできないし、未だ男の頃の習慣が抜けきれない部分もある。あぐらをかいたり、椅子に足を開いて座ったりするたびに姉に注意されている。いまの性別にあった下着を履くだけにも、少し躊躇いがあるのだ。女としての生活を長い目で見るのは、僕にとってまだ難しい。

 ただし、こんな僕を甘受してくれる人がそばにいるという事実は、それだけで僕の心に余裕をもたらしてくれる。

 当の僕がそれを心得たときには、上を向きはじめた少女の小鼻から高めの音色が漏れるのは致し方ないといえよう。


「……どうしよう。私の先輩が、私の手に負えないほど可愛くなってる」

「ん、なにか言った?」

「いえ、先輩がご機嫌なようで安心しまして」


 ご機嫌かと問われれば、そうかもしれない。

 優月さんは何かを取り繕うように咳払いをしている。


「ところで先輩、調子はいかがですか?」


 家で姉に尋ねられてからというもの、これといって変化はない。


「微妙かな、今のところは」

「学校で気分が悪くなるようなら、遠慮せず、私に相談してくださいね」

「うん、そうする」


 体調については、これからしばらく不安が募る。生理が二日目に突入した時点で、体調にはさほど影響はないのだから、過ぎるまでそうだと思いたい。

 家族や恋人の存在は本当に大きいものなのだと再認識させられる。周りが常に僕の身を案じてくれているからこそ、独りで泣く泣くネットの情報ばかりに頼るようなことが無くて済むのだから。


「話は変わるけど、優月さんって猫は好き?」

「はい、動物は全般」


 即答するあたり、相当と思われる。


「触れるんだったら、触ってみたい?」

「それは勿論ですけど、……もしかして、週末のお誘いですか?」


 期待混じりといった表情で、優月さんは首を傾げる。

 僕も猫に限らず動物はたいてい好きだ。デートと称して、動物園に行くのも悪くない。


「それもいいけど――猫だったら、今日すぐにでも会えるよ」


 それで察したらしく、優月さんは前髪の奥にある瞳を輝かせる。


「もしかして、先輩の家にいるんですか?」

「きのう拾ってさ。放課後、一緒に遊ぶ?」

「ぜひ!」


 よかった。もし優月さんが猫嫌いだったらという懸念はあったが、杞憂に過ぎなかったらしい。

 身を乗り出す勢いで誘いに乗ってくるのだから、よほど猫との触れ合いに憧れていたのだろう。ちょうどいい――戯れるときには、子猫の名付けにも協力してもらうことにしよう。


「よしっ、今日は気合いが入ります」


 やや高い位置できゅっと拳をつくって、有り余るほどに湧いて出る元気を僕に見せつける優月さん。

 僕が彼女に魅了された一因としては、たおやかな身ごなしの中に持ち合わせている茶目っぽい一面だろうか。


「僕も、今日のところは乗りきれそうかな」


 そんな恋人を見ては、僕も頑張らざるを得まい。

 


「おはよ、新立君」

「うん、おはよう」


 直前に深呼吸をしてから、教室に入り、窓際の自席に鞄を置いたところで、隣の席の女子と挨拶を交わす。

 隣席どうしが故にたしょう会話する程度で、別段仲が良いわけではない。ところが、今週に入ってからだろうか――先方から話しかけられる機会が増えた気がする。話題自体は他愛のない話ばかりだが。


「新立君ってさ、お洒落とか興味あるの?」

「無いよ、どうして?」

「いや、べつに深い意味は無いんだけど」

「そう」


 彼女は、女になった僕をイメチェン程度に変貌したと認識している。その理由を、垢抜けたと考えたのかもしれない。

 男のころと比べ、ずいぶん容貌が変化したのは事実だ。かといって、それは僕が望んだ出来事では決してないのだが。何事においても、僕はどちらかといえば保守派なのである。


「そういえば、今日の時制、ちょっと入れ替わるんだって」

「そうなんだ」

「ああでも、日中の科目は変わらないらしいよ」

「うん。……それを教えてくれるのはありがたいんだけど、もののついでみたいに僕の頭を撫でてくるのは余計かな」

「あっ、ああ、ごめん! 手が勝手に動いちゃって……」


 病気が疑わしいですね。

 優月さんや姉もそうだが、いちど僕の頭に触れた人間は、気をよくするのかどうもその所業を繰り返す傾向にある。それはすなわち、撫でるという行為において、僕の頭とは格好の対象であり、また中毒性が高いということなのだろうか。失礼な、人の頭を魔性みたいな扱いしおってからに。

 とりあえず、僕の頭を離れたその手が、微かながら切なげに震えるのを見て、僕の心にはわずかに罪悪感が生まれてしまう。


「……ちょっとだけね」

「――あ、ありがとう!」


 他人の心の底からの謝辞を向けられたのは、優月さんに親切したとき以来である。

 なぜこうも、事というのは僕の予測しない方向に転がるのだろう。人のいう不運とは、こういうことを指すのだろうか。

 この場合においては、恥ずかしいのを除けば、さほど悪い気はしない。


「……あの、新立君」


 隣人とは別の声に話しかけられて、撫でられたままその声の主に目をやると、そこには眼鏡を掛けたおさげの女子が立っていた。クラスの中でも物静かな雰囲気を持っていてさほど目立たないが、今まさに僕の頭を撫でている人と共通の趣味の話で盛り上がっている様子を見掛けることはある。

 めったに話したことのない相手なのに、なぜいま声をかけられるのか。

 彼女はおずおずと、僕の頭の上を動く隣人の手を指差して。


「私も、ちょっといい?」

「……ほんとうにその気なら」


 何を思って真似しようとしたのかは定かではないが、先人を許した手前、二人目を拒むことはできずしぶしぶ頷く。


「気持ちいいよね、手触り」

「うん、すっごく」

「羨ましいなあ、シャンプーとかはなに使ってるの?」


 近所の庶民派スーパーで買える比較的安価な代物ですがなにか。


「ええ、それでこんなにさらさらなの!?」

「はえ~、すっごい……」


 眼鏡の子はすごいという呟きととともに熱のこもった吐息を漏らすばかり。

 二人の女子に囲まれて、わけもわからないまま頭を撫でられて、僕の顔の火照りは留まるところを知らない。優月さんに迫られるまで、異性とのまともな交流などありはしなかったのだ。免疫などあろうものか。

 そんな僕に追い討ちをかけるように、二人のはしゃぐ姿を見たクラスの女子という女子が、僕の頭に触れるだけでも触れたいとこぞって僕のもとへ集まってくる。

 男子が無言で浴びせてくる嫉妬のこもった冷ややかな視線と、女子が有言で浴びせてくる小動物でも見るような暖かい視線の両方に僕がとれる唯一の対処としては、肩をすぼめて地獄とも天国とも呼べるこの一時が過ぎ去るのをひたすら待つだけだった。


「わっ、ホントにさらさら!」

「ほとんど何もしなくてこれなんてずるい」

「髪こんなに長かったっけ?」

「いつの間にか変わったよね、新立君」

「なんていうかさ、ぶっちゃけ可愛くなったよね」

「女子力上がってない?」


 クラスメイトの道徳的に育ったがゆえの悪意の無い暴言が新立吉海を襲う!

 接着剤も生乾きな修繕直後の心の柱をぶち折られていくような気分である。

 あり得ないことなので、さすがに僕の性別を疑う人はいないが。


「肌も白いし、何かあったの?」

「私にも髪触らせて~」

「私も私もっ」


 お願いです。

 欲しいならこの髪は差し上げますので、どうか。

 どうか、もう勘弁してください。


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