93:一喝
「いやぁ~、緊張して眠れんで、寝坊焦ったぁ~、人がスゲくて」
だいぶ興奮しているようでドードの口調は少し訛っていた。通訳のチョーカーでもきれいにホワッグマーラの言葉に変換できないようだ。
「もう始まるが、少し待ってもらうか? 息を整える時間が必要だろう」
ブレグが対戦相手を気遣う。
「ふぅ~……だいじょぶっす、もう」言うより早く、ドード少年はボロ衣を整え、息を整えた。「体力には自信あるっすから!」
「そうか、では、行こう。君の戦い、見せてもらうぞ」
「はい! 先生!」
二人は入って来た係りの者に従い控え室を出て行った。
「先生?」ヒュエリが眉をひそめる。
「ああ、ドードくんはブレグ隊長に修行をつけてもらうみたいだよ、大会終わったら」
「それって剣術、だよね? まさかマカを学ぶわけじゃないでしょ?」
「うーん、そこまでは……。でも、ブレグ隊長はマグリア、いや、ホワッグマーラで一番の剣術使いだから恐らく剣だけだと思うけど」
『試合では選手の皆様に思う存分戦ってもらうため、そして観客の皆さまの安全のため、客席と闘技場を隔てる障壁を張らせていただきます』
ニオザの声につられて、客席と闘技場の間が一瞬煌めいた。
セラは観戦用の開口部に手を伸ばす。彼女の手は中空で見えない壁に当たる。その壁をズィーがコンコンと叩く。
「薄いけど、かなりの強度だ」父親と同じく腰に剣を携えたジュメニが三人のもとへ寄って来る。「たくさんのコロシアムの魔闘士が地下で力を合わせてるんだ」
「へぇー、じゃあ、本気出しても大丈夫なわけだ」とズィー。
「ああ。ズィプくんが本気を出したところで、この壁は壊れない。もちろん、父さんでも壊せない」
「そんなに固いんだ」とセラ。
「もしこれを壊したらそれはそれで、大会記録だね」とユフォンが続く。
「お、そろそろみたいだ」
ジュメニの声に控え室にいた選手が開口部に近付く。
『お待たせしましたぁ~! それでは大会の開幕を盛り上げる二人の選手に登場してもらいましょう!』
昨日、セラたちが上がった階段から二つの影が降りてくる。
『予選第一位、ブレグ・マ・ダレ! 予選第十六位、ドード・ワンス!』
会場が歓声に呑まれる。「ブレグ隊長ーっ!」「隊長様ぁ、頑張ってぇ!」「小さいのも頑張れよ~!」「少しは手抜いてやれよーっ! 隊長殿!」
そのほとんどがブレグに向けられた声援。
二人は声のアーチを潜りながら闘技場中央に向かい、そこで対峙する。
「あまりにも不甲斐ないのなら、稽古の話はなしにするからな」と口を開くブレグ。
「はい! お願いします」と頭を下げるドード少年。
歓声の中でも闘技場に集中を向ければ、セラの耳には会話が聞き取れる。どうやら、まだしっかりと二人の師弟関係は結ばれていないようだ。
『開始の前にここでもう一度ルールの確認をさせていただきます。殺さなければ、何をしてもオーケー! 勝敗は片方の戦闘不能、降参の申し出、コロシアム支配人ゲルソウによる判断の三つで着きます!…………それでは、客席の皆さま。対峙するお二人。準備はいいですか?…………』
会場中が息を呑む。
『それでは……トーナメント第一回戦第一試合! はじめぇっ!!!』
どぅおおおおぉおん――――!
実況席から大きな銅鑼の音が響いた。
「よーし、最初っから全力っすよぉ!」
ドードが腰にくくり付けた二本の短い刃物を抜いた。
すると、会場はどよめき出す。最初の試合から本命のブレグの試合が見れるという盛り上がりすらも見せず、客席のほとんどが訝しい表情だ。
彼らの視線の的となっているのはドードが抜いた二本の刃物。それは、誰がどう見ても武器と呼ぶには物足りない。料理道具だった。
包丁。
「あれって、包丁……だよな?」客席で誰かが呟いた。
「ああ、包丁だ」「たしかに」「なんで?」「金がねぇんじゃね? ほら、服も」と続いていく。そしてその連鎖は止まることを知らず、次第に嘲笑めいた笑い声が聞こえるようになった。
それを感じ取ったドードが声を上げる。
「ちょっとーっ! 馬鹿にすんなっす! これはジジが鍛えた刀っすよ! 番刀、春一番! 木枯らし!」
「おいおい、まともな武器も持ってねえのかよ、あのガキは」控え室でもフォーリスが嘲笑う。
「あんたさ、さっきあのブレグって人に言われたろ? 選民意識捨てろって」彼の隣にいたポルトーが鍵束を持ち上げて示す。「俺の武器だって鍵だぜ? 包丁よりまともじゃねえだろ? 武器も、戦い方も人それぞれ。だから世界は面白んだろーに」
「なにをっ、異界人のぶん――」フォーリスは言いかけて、周りの視線に気付いて口を閉ざした。彼へ向けられた視線はセラをはじめとした異界人たちのものだけでなく、ユフォンたちホワッグマーラ人たちからのものも冷たかった。
「世界を股にかけて活躍するのに、自分たちの世界の常識はいらないんだぜ」
とポルトーはフォーリスに歯を見せて笑った。だが、笑顔を向けられた当の本人はバツが悪そうに鼻を鳴らし、開口部から離れ、壁に独り寄りかかった。
「笑うなっ!」
会場でも観客に向けられた喝が入った。
ブレグが腰の剣を抜き、客席を舐めるように切っ先を動かす。
「彼の姿が、武器がどうだというのだ! 彼はその小さな体で予選を勝ち抜き、今、俺の前に立っている! 戦士としての誇りと信念さえあれば、それが何よりの鎧であり、武器だ!! 俺と相対する彼を笑うことは許さんっ!!!」
ブレグはそれだけ客席に言うと、ドードに視線を向ける。
「さぁ、はじめようか」
何事もなかったかのようなブレグの毅然とした態度に、ドードはブレグだけを見て、目を輝かせて二本の“刀”を構えた。