7:ゼィロス登場
セラフィは気を失っていた。
エレ・ナパスでの出来事が負荷を掛けたからなのか、ビズラスのナパードがぶれたからなのか……。
セラは、ビズラスの下敷きになる形で倒れていた。
そこは光の降り注ぐ森の中。
嘴の長い色鮮やかな小鳥や、尾が体三つ分はあるだろうリス、それから、渦を巻く角が額に生えたシカ。彼らが、何事かとセラとビズを見つめていると、セラが身じろぎした。
「兄、様……」
目を覚ましたセラは兄の下から這い出ると、兄がどうして自分を下敷きにしていたのか、どうして気を失うほど兄のナパードがぶれたのか、どうして跳ぶ瞬間に抱き付いたのか、その理由を目の当たりにした。
「兄様っ!」
ビズラスの屈強な背中には数本の矢が深々と刺さっていたのだ。
うつ伏せのビズの顔には血の気がなく、呼吸もしていなかった。
セラはどうしていいのか分からず、とにかく兄を助けようとビズの背中に刺さっている矢を全て抜き捨てた。すると、じわじわと鮮血がビズの背を染めていく。
血を止めようとセラは流れる涙を意に介さず、傷口を手で押さえつけた。その血は生暖かく、セラの手をも赤く染め上げる。
「いや……だめ、だめ、いやだよ、兄様……」
セラは視界を歪ませる涙を赤く染まる手で拭う。そして、また傷口を強く、強く抑える。
彼女の顔はビズの血で化粧を施され、流れる涙は赤く輝く。
「ねぇ……! ビズ兄様ぁ! 起きてよ、起きてよぉ……。わたしを、独りに、しない、で……よ」
ビズの血は止まることはなく、ついには地面を、セラの脚を赤く侵していく。それは彼女にエレ・ナパスの燃える城下町を想起させ、彼女は兄の背に顔を埋め、顔が血に濡れることなど構わずに泣き叫んだ。
「うわぁあ゛あああああああああああああああ!!!!」
そんな彼女を見ていた小鳥や動物たちは体を翻し、森の奥へと散開していった。それに伴い、木々も震え枝葉を擦らせる。
風もなく、生き物の声も聞こえず、光は黙って降り注ぐ。音を発するのは彼女の麗しい口だけだった。
彼女はどれだけ叫んだだろう。
ビズの背中から熱は伝わってこなくなり、色白な顔やプラチナ髪に付着した血は渇き、黒くなっていた。彼女の涙も渇き、サファイアの瞳は充血して、まるで彼女自身が血の涙を流したかのようだった。声が嗄れても叫んでいた彼女の唇の端は切れていた。
今はただ静寂。
彼女の耳には己の鼓動のみが単調に響いていた。
そのリズムは彼女の頭を巡る。記憶を巡る。
エレ・ナパスの城下町。
リョスカ山。
ミャクナス湖。
大きな満月。
父の、母の、兄の、姉の、家族の笑顔。
ズィプガルとの青春。
そのすべてに亀裂が走り散り、砕かれる。
燃え盛る城下町。
黒い霧。
青白く暗い穴。
黒い鎧。
赤褐色の大男。
長い間彷徨っていた彼女の意識は、ようやく帰ってきた。
セラは目を閉じたまま顔を上げ、血に黒くなった地面に力強く爪を立て、握りしめた。
ゆっくりと開いたサファイアは輝いていた。涙でではなく、決意でだ。力強い輝きが灯り、兄の愛刀を映していた。
セラがオーウィンに手を伸ばすと、人の声が静寂を打ち破った。
「そいつで何をする気だ?」
低く落ち着いた声は、セラの後ろから問いかける。
セラは振り向かずに応える。その声は少女のあどけなさと姫の高貴さを宿したものだった。
「みんなの、仇を討ちます」
「志だけ褒めてやろう。やめておけ」
「……」
「剣も握ったことのないお前では、死にに行くだけだ。故郷の皆、家族に会いたいというのならここで死んでも変わらん」
「ぉしえて…………」
「ん?」
セラは振り向き、オーウィンを体の前に掲げる。
彼女の瞳の先には、母の兄であり、兄の師匠である男が、赤紫色の雄々しい髪に黄緑色の鋭い瞳を持つ屈強な男が、セラに唯一残された血の繋がった男が、ゼィロス・ウル・ファナ・レパクトが、立っていた。
「教えて! 戦い方を! 敵を倒す力をっ!!」
セラは瞬き一つせず、伯父の瞳を見つめて静かに叫んだ。
ゼィロスは表情一つ変えずに、そんな姪を黙って見返すだけだった。