66:三日月は微笑んで
「マサ・ムラだ」
「前、ケン・セイ様に負けて落ちぶれたって、あれ?」
「落ちた剣士……」
「落ちてなどおらぬわっ!!」
ひそひそと話す縁側の人々の声にマサ・ムラは突然声を張った。人々は息を呑み、所々では縁側を離れ始める者もいた。
「見ていろ、ケン・セイ! この俺が、この戦を終わらせる!! ぶはははははははっ!!!」
マサ・ムラは高々と笑いながら集会所を離れて行った。
その後ろには剣士が続く。
「……あの人、大丈夫なの?」
セラは虚ろな瞳の剣士の後姿を見つめながらケン・セイに訊いた。
すると、ケン・セイは興が醒めたのか刀を納めて応える。「マサ・ムラ、道を踏み外した。強者ではあるがな」
「俺の元師匠だけど」テムが二人に近付く。「師匠に道場破りされたあとから憑りつかれたよう剣を極め出してな。あれで普通に道場の師範に戻ってれば問題なかったんだけど」
「今じゃ、弟子という弟子は全くいないんだよ」イソラが幼女に手を振って別れを告げてから話に加わる。「というか、誰も弟子入りしないよね、何も教えてくれそうにないもん」
「俺もそんなマサ・ムラに元に戻ってほしかったから師匠のとこに道場破りしに行ったんだけどよ」
「あたしに負けて帰ったら殺されそうになって、お師匠様のところに弟子入りしたんだよね」
「どうして、ケン・セイのとこに弟子入りしたの?」セラはオーウィンを納めて、額の汗を拭った。「ずっと気になってた」
「そうそう、邪道だ邪道だって言ってたのにね」
「うっせぇ……。ヒィズルで一、二を争う名門道場の師範に殺されそうになったんだぞ。それを破った道場に弟子入りでもしなきゃ、町で出くわしたときに何も出来ずに殺されんだろーが」
「テム。邪道言う割に、筋が良かった」
「なっ……師匠!」
「イソラとの相性も、悪くない」
「うぇっ! お師匠様ぁ!」
ケン・セイの言葉に顔を赤くするイソラ。黙り、俯いているがテムの耳も赤くなっていた。
そんな二人の様子を見て、セラは音もなく微笑み、師範は首を傾げる。
「何を赤くなる。連携の話しだが?」
「お師匠様!」
「師匠!」
二人の弟子の声は重なり師匠に向けられたが、これまた首を傾げるケン・セイ。
セラはそんな三人を見て、さらに微笑むのだった。
その日の夜。
縁側に腰かけ、ヒィズルの三日月を見上げる二人の少女の姿があった。
湯上りなのか二人とも火照り、プラチナの髪も暗茶の髪も全て下ろされ、少しばかり湿気を帯びている。そして、二人とも風通しの良さそうなガウンに似た着物を着ていた。
火照りを取るにはちょうどいい服だと思ったのと、雲海織りの服をずっと着ているとケン・セイとの戦いの興奮が冷めないのでそれを一度脱ぐという意味合いも込めてこの服を着たセラだったが、やはりズボンではないことに違和感を覚えていた。
「イソラはいつもこういう服着てるんだよね。脚とかスース―しない?」
「するよ? でもそれが普通だから、気にならないかな。ねぇ、セラお姉ちゃん」
イソラは服に関して話を広げる気はないらしかった。セラ自身も特にというわけでもなかったので素直に応える。
「何?」
「なんでもなーい、にしししっ!」
「なーに、それ?」
「嬉しいんだ。セラお姉ちゃんがまた来てくれて。ただそれだけだよ!」
「あたしもイソラにまた会えて嬉しいよ。目は、驚いたけど」
セラはそう言ってイソラの光のない瞳を見つめる。するとすぐにイソラが溌剌とした笑顔で見返してきた。
「このおかげで、強くなれたのかも!」胸を張るイソラ。
「どういうこと?」
「ほら、ほら、あれだよ、あれ! えーっとね、超感覚! 目が見えないからか、すごい研ぎ澄まされるんだ。この感覚だけならセラお姉ちゃんにだって負けないよ、絶対!」
「ふふっ、そうかも」セラは小さく笑って同意すると、イソラの顔に手を伸ばす。
イソラは声を出すことなく首を傾げた。セラの手はイソラの輪郭を額からなぞり、顎まで行くと折り返して目の横に刻まれた傷跡に触れる。
「くすぐったいよぉ~」
「痛く、ない?」
「うん、全然。斬られたときは死んじゃうかと思ったけど……」
「時間が経ってる傷だから、完全には消えないと思うんだけど、薬あるよ」
「あ! セラお姉ちゃんの薬! あるの? 使ってみたい!」
「ちょっと、待ってって」セラはそういうと碧き花を二度散らした。与えられた自室から薬カバンを取って戻ってきたのだ。
「ふぉおおっ! さすがに速いね。でも、見えてたよ。机に脛ぶつけてた」
「部屋が暗かったから……」セラは少し恥ずかしくなって俯いた。でも、すぐに笑顔で顔を上げる。「それにしても、そこまで感じ取れるんだ。すごいよ、イソラ!」
「えへへ、それほどでもぉ。いつも感覚だけで生きてるからね。セラお姉ちゃんも鍛錬すれば楽勝だよ!」
「どうだろ? イソラ、独特なんだよね。イソラだから出来てるのかもよ?」
イソラが独特だということはケン・セイが言っていたことだ。見たものを自分流にして覚える。セラとは違った彼女の才能だ。
「ふーん……そうかな? 簡単だよ?」
「ふふ、じゃあ、練習しとく。さ、薬塗ってあげる」
セラは薬カバンから、主に傷口を塞ぐのを助ける効能、つまりは肌を修復する作用がある傷薬を取り出し、その軟膏を指先に取った。
「お願いしまーす、先生!」
「ふざけないの。目、閉じて」
セラは差し出されたイソラの顔、真一文字の傷跡に優しく薬を塗り込んだ。そして、それが終わると薬の入った小瓶をイソラの手に握らせる。
「これからも、使って。この薬、ヒィズルで作れるか分からないけど、医者の人に作り方教えておくから毎日塗ってね。そうすれば、完全には消えなくても、目立たなくなっていくから」
「うん、ありがとう、セラお姉ちゃん」
空に浮かぶ三日月は微笑むように二人を見下ろしていた。
翌日、セラフィはイソラ、ケン・シン、テムと共にヒィズルの崩れた町を巡回した。
『夜霧』はいつ、どこに現れるか分からない。唐突に攻めてきて、それなりに時間が経つと前触れもなく撤退していくという繰り返しだという。だから、こうして剣士たちが数人で代わる代わる見回りをしているのだ。
「何か、技術を盗まれたりとかしてないの?」セラは隣りを歩くケン・セイに訊いた。
エレ・ナパスに攻めてきた赤褐色の男の部隊は『記憶の羅針盤』を持つナパスの民を攫った。そして、侵攻できる世界を増やした。
ビュソノータスでヌロゥが指揮する部隊は雲海織りの技術を手に入れていた。恐らくは黒い鎧を纏うより雲海織りの衣服の方が軽くて動きやすく、様々な世界の環境にも馴染む。なおかつ雲海織りの耐久性ときたらそこらの鎧よりも明らかに高い。
さらに、ヌロゥの部隊かは定かではないが、海原族の技術力を持ってしてロープスの巨大化も成功させていたのだろう。それは侵攻の速度を上げることに繋がる。
つまり、『夜霧』がヒィズルから何かを得ているのではないかとセラは考えたのだ。
「ないな」
ケン・セイからの返答はセラの期待には沿えなかった。
「じゃあ、ただ侵攻して滅ぼすのが目的になった……?」
「知らん。俺は楽しむ、それだけだ」
「それにしても、敵は慎重だよな。何で一気に来ないんだ? しかも、いったん引き上げると次くるまでに何日か空白があるしな。向こうも態勢を整えられっけど、それはこっちもだろ? 意味がわかんねぇ」
「……」
真面目な話に入って来たテムをセラは呆気に取られて見つめた。
「なんだよ」
「……テムって、そういうこと考えるんだね」
「はぁ!? ったりめえだろ。伊達に作戦会議まとめてねえよ」
「え、あれってテムがまとめてるの!?」セラは驚きを隠せない。「てっきりケン・セイがやってるんだと思ってた」
「テム。観察する力、優れている。だから任せた」
「お師匠様は面倒だからテムに押し付けたんだよ。まあ、でも、確かによく見てるよね、そして的確に指摘してくる。たまにうるさいって思うんだよねぇ、あれ」
「ああ、そういえば、わたしと戦ったときもパターンが読めるとか言ってたね。戦い舐めてるとか言われたし」
「んだよ、二人して。俺が責められる筋合いはねーだろ。間違ったことは言ってねーんだからよ」
「確かにな。うるさいのも含めて」
「なっ、師匠まで!?」
こんな平和なやり取りをしながら、太陽が真上に昇る時分まで四人の巡回は続いたが、『夜霧』が現れることはなかった。