57:盛り上がる
ユフォンの言葉を聞いたセラはこれといって言葉を発することはしなかった。犬猿の仲であるユフォンとテイヤスが昔付き合っていたという事実はそれほど彼女にとって意外なことだったのだ。
「ああっ、だから言いたくなかったんだ」
「え、いや、別にショックとかそういうんじゃなくって……ただ、驚いた」
「まあ、確かに、昔のことだし、今僕の頭にいるのは君なんだけど……」
「もうっ」セラはユフォンの肩口を軽く小突いた。「またそういうこと言うっ」
「ははっ、事実だからね。なんなら、名のある筆師たちがそうしたように愛の言葉を連ねた手紙を書こうか?」
ユフォンのきざな言葉にセラは耳まで真っ赤にして俯いた。そして、申し訳なさそうに訊き返す。
「……わたしとユフォンって、そういう関係じゃ、ないよね…………?」
「おっ……そうだね、ははっ。ごめん調子に乗り過ぎた」
「う、ううん……別に、嫌じゃない、から……ただ」
「ただ?」
「ただ、はっきり、そうだって分かる言葉、貰ってないなって……」
「えっ!?……それって…………」
「いいかっこして、ユフォン」
「……セラ」
二人は青空に見下ろされる屋根の上で見つめ合う。
ユフォンの喉が鳴る。
セラの瞳が潤む。
そして、同じ屋根の上にいて下を見下ろす受付の男と下の人々の大きくなる歓声。もちろん、それは二人に向けられたものではない。
「……ムードじゃ、ないね、ははっ」
「そう」セラの頭に浮かぶのは満月をきれいに映すミャクナス湖の畔でズィプガルと共に過ごしたあの瞬間だった。「だね……」
二人は見つめ合いながら小さく笑い合った。開拓士団の帰還に沸くマグリアの街で、この二人は別の盛り上がりに包まれる。盛大に盛り上がるわけではなく、ほのぼのとした雰囲気。今の二人にはまだ、それで充分だったのかもしれない。
「またの機会にするよ」
「うん。またあの酒場に行ったときにでも」
「いいね。そうしよう」
「ああぁ!」
二人のほのぼのした空間に、一緒に屋根の上にいた受付の男の感嘆の声が刺さった。二人だけの雰囲気はこれで終わりだ。
「二人とも、見てなかったのかい?」男は屋根の縁から二人のもとへ腰を低くして寄ってくる。「もったいないなぁ! 開拓士団勢揃いだよ? それも、護衛もね」
「あ、そういえば……」
「わたし、戦うことになるかもしれない人たちを見るんだったけ……」
「そういうことなら、もう無理かな。一団は帝居に入っちゃうし」
「これもまたの機会だね、ははっ」
「そうだね。ふふっ」
「あぁ……ところで、俺そろそろ戻りたいんだけど、帰りはどっちが送ってくれるだい?」
和やかな二人の雰囲気を申し訳なさそうに壊す受付の男。彼の言葉に二人は目を見合わせて、言葉を交わさずに答えを出した。
「帰りはわたしが。二人とも一緒に跳ぶよ」
「じゃあ、頼むよ。セラフィさん」受け付けの男はまるで姫に相対する騎士のように手を差し伸べた。
それを見たユフォンはムッとする。「お兄さん、気をつけなよ。僕のと違って彼女のは酔うから」
「え?」
「なるべく気を付けます」
セラはそれだけ言ってユフォンと受付の手を取った。
ちょうどその時、帝居の後ろで開拓士団の帰りを祝うマカの花火が打ち上げられた。セラたちがその音を聞くことはなかったが、マグリアの空に色鮮やかな光と碧き花が舞うのであった。
「うっ……確かに、これは酒を飲み過ぎたみたいだ……」
「言っただろ? もちろん、僕は、お兄さんほどじゃ、ないよ。だって、彼女との付き合いはそちらさんより長いもんだからね」
「でも酔ってるじゃん、ユフォン」
コロシアムの前に戻って来た三人のうち二人は顔色が少し悪くなっていた。それでも、三人はそんな顔を見合わせて笑う。主に男二人の方がね。
「俺はニオザ。このコロシアムに勤めてる魔闘士だ。今は受付だけど、トーナメントじゃ実況なんかもやったりする。君のこと応援してるよ。セラフィさん」
「ありがとう」
ニオザと名乗った受付の男はセラに握手を求める。ユフォンは苦い顔をしたが、それも一瞬だった。すぐに笑顔に戻りセラとニオザの握手を見届ける。
「僕はユフォンね」
「ああ、よろしくユフォン」ニオザはセラから離れてユフォンと肩を組みだす。そして、セラに聞こえないように、といっても彼女の超感覚をもってすれば聞こえているのだが、彼女の反対を向いて小声で話す。「俺は手を出すの諦めたから安心しな。でも、ちゃんと繋止めとけよ」
「いや、セラは異空を旅するから繋止めるなんて――」ユフォンもつられて小声で話すがその言葉はニオザの溜め息で遮られた。
「はぁ、まだまだ青いな、ユフォン。心だよ、心。彼女の心」
「セラの心?」
「そ、旅してると何があるか分かんないだろ? 他の世界でいい男見つけるかもしれない」
「あの!」ここまで黙って聞いていたセラが声を上げた。振り向いた二人が見たのは白い顔を真っ赤にしたセラの姿だった。「たぶん、大丈夫ですから…………」
「あれ、聞こえてたのか!?」
「ああ……ははっ、彼女、感覚が鋭いんだ」
「あ、そ、そうだったのか、じゃあ、こういう話はそのうち二人だけの時しようか。じゃあ、お二人さん、俺は仕事に戻るよ。開拓士団のパレードが見れてよかった。ほんと、恩に着るよ。トーナメント、頑張ってセラフィ選手!」
ニオザは手を振りながら、そそくさと二人のもとから離れて行ったのだった。