46:落ちて、堕ちて、零れる
「うぁわぁああっ!」
三人が変な舞いを見せている中、甲板から大勢の男たちの悲鳴が聞こえた。甲板に降りていたプライが回帰軍の仲間と共に海原族を圧倒しているのだ。攻め込んできていた海原族も徐々に逃げ腰になり、ついには自分たちの艦隊に戻り始める戦士が出始めた。それをきっかけに敵艦隊から「退却!!」の声が回帰軍の帆船にまで届くほど大きく叫ばれた。
「っく、おらっ、離せっ!」
退却の号令を聞き入れたセラともみ合う海原族が徐々に船べり向かって足を運び始めた。セラも離せばよかったものを、負けず嫌いが高じてなんとしてでも目の前の男を、友達に危害を加えようとした男に負けるわけにはいかないと思ってしまっていたのだ。
「セラ、もういい! 離せ!」
ジュランがそう言うと時を同じくして、帆船を囲む大型船三隻の船首の前に黒く縁取られた青白い閃光が稲妻のように発生し、それが蒼天に黒々と巨大な穴を空けた。大型のロープスだ。辺りには白雲に覆いかぶさるように黒い霧が漂い始めた。
海原族の大型船がそれぞれ自身の目の前にあるロープスの穴へ船首から徐々にその姿を欠き始めた。中型船五隻は各々大型船の後ろについてロープスを潜るようだった。
「くそっ! いい加減に離っせっ!」
男がこれでもかと力を込めれてセラから離れようとした。だが、それに対してのセラの抵抗が二人の体を下へ続く階段の方へと誘った。二人は階段を使わずに階下に落ち始めることになった。
「セラ!」その場で叫ぶエリン。
「めんどくせぇ!」ジュランは駆け出してセラに手を伸ばした。しかし、その手が彼女の体に触れることは一切なかった。「くそっ!」
宙を舞う二人はかなりの勢いがあったのか、船室のある階を軽々通り過ぎ、甲板へと落ちていく。落ちながら周りの状況をしっかりと確認していたセラはすぐ横にロープスがあるのを視界に捉えた。
甲板が迫る。どうにかして男を下敷きにして衝撃を抑えよう。セラは自らの考えのもと空中で体勢を変え始めた。
「撃てぇーっ!」
その声が聞こえたのはちょうどそのときだった。
声の後、帆船の横を通り過ぎ始めた中型の敵船が大砲を一斉に発射した。数発が命中し、帆船が大きく揺れ、着弾地は剥げ上がり破片が飛び散る。
大砲のそのものはセラには何もしなかった。だが、大砲の影響は大きなものだった。大きく揺れた帆船の上、甲板に落ちるはずだった二人の行先が変わった。船べりだ。
甲板より早い着地は予想外で、セラと海原族の男は互いに体の側面を強く打ち、船べりの上で跳ねた。
「セラぁっ!」
そのまま船外へ落ちそうになるセラに向かって手を差し伸べたのはプライだ。その手はしっかりと彼女の手を掴んだ。船べりで体を支えながらセラを離すまいとするプライ。そんな彼の目にはセラの足首に捕まる海原族の男が見えた。
セラは男を蹴落とそうと掴まれていない足で男の顔を蹴るが男はしぶとく手を離そうとしない。
「装填完了!」
「撃てぇーっ!」
再び大砲が放たれる。
帆船の至るところを破壊していく砲弾。
幸いなことに彼女たちがいる付近への着弾はなかった。なかったが船は大きく揺れた。船体の横で船とは違う速さで揺れるセラと男。揺れる中、セラは男が彼女の足を掴んでいない方の手にまだピストルを持っていたことに気付く。
揺れが収まり、男がセラの視線に気付く。すると、男はニヤリと笑い、銃口を上へと向けた。「この際、一緒に落ちようぜぇっ!!」
引き金に指が掛けられた。銃口が捉えていたのはセラではなく、プライ。セラはそのことをはっきり分かっていた。恐らくプライの頭を撃ち抜いてしまうのだろうと察しがついたのだ。
だから、彼女は目いっぱいの力で体を振った。掴まれていない足で船体を蹴った。大砲の揺れの時よりも二人は大きく揺れた。
一瞬の判断。
いきなり大きく揺れたセラと男の勢いを支えきれず、プライの手がセラの手から離れる。間もなく発砲音が響き、腕にかすめた球が彼女の肌を裂き、セラの顔を歪ませる。
男は驚きの表情でセラからその手を離し、恐怖に慄いた顔で白雲に消えていった。
だが、セラは違った。
男より身軽だったからか、一瞬ふわりと体を浮かせ、運命とも言うべきタイミングでちょうどその少し前に放たれた三度目の大砲が帆船に着弾した衝撃で起きた風に押され、青白く縁取られた真っ暗な穴に向かって落ちていったのだった。
「セラーぁっ!!」
大砲の衝撃で一度吹き飛ばされたのか、船べりの奥に見えなくなっていたプライが再び顔を覗かせて叫ぶ。指令室の船べりからはジュランとエリンが叫ぶ。
その光景が闇に閉ざされ、セラの意識も闇に閉ざされた。
ぼんやりとした意識が息を吹き返し、セラは自分が異空間をゆらゆらと漂っていることに気が付いた。
それは世界と世界の狭間。
白くて黒い、黒くて白い、ナパードで異世界間を跳ぶとき一瞬だけ見える空間。そのなかに彼女は漂っていた。
ロープスを通ったはずだった。行先が設定されているロープスに落ちたはずだったのに、彼女はビュソノータスの地から弾かれたのだ。それがなぜなのかは定かではないが、この話を聞いたゼィロスが言うには、この時の巨大なロープスが不完全なものだったとか、彼女が一緒に通っていた船に弾かれたとか、彼女が無意識のうちにナパードを使って無理に出ようとしたからとか、そんなところが可能性として考えられるらしい。
だが、彼女の薄い意識を支配するのは自分がどうしてこの空間にいるかではなかった。
ゼィロス伯父さんに『夜霧』の情報を伝えて、今後について話すべきだろうか?
ゆらゆら……。
魔導・闘技トーナメントはもうすぐのはず、マグリアに行かないと。ユフォンは強くなったのだろうか? 元気だろうか?
ふわふわ……。
ビュソノータスに戻らないと。回帰軍のみんなはどうなっただろう? プライのお父さんは? 回帰軍の夢は?
心地のいい場所……。
ううん、そんなこと考えるなんておこがましい。自分はまだまだ弱い。奴らと戦うためには各地の賢者を求め、巡るべきだろうか?
ここでなら、ゆっくりと眠れそう……。
そもそも、このまま異空を漂うのも悪くないかもしれない。人を斬る苦しみから逃れ、復讐を忘れてしまうのも悪くない。
みんな、ごめんね……。
セラは最後にエレ・ナパスの地を思い浮かべ、その意気をまた失った。
そんな彼女の目の端には大粒の涙が流れることなく溜まっていた。
白くて黒い、黒くて白い空間にはセラのプラチナ髪やヌロゥとの戦いで傷ついた白い肌、耳飾りや『記憶の羅針盤』が映えていた。
そして、涙は零れる。