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碧き舞い花  作者: ユフォン・ホイコントロ  訳者:御島いる
第三章 ゼィグラーシス

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468:変貌

「は?」

「え?」

 ネルとセラがそれぞれに戸惑いの声を洩らす。それに対してハンサンは小さく鼻で笑い、再び足を動かしはじめた。

「私はフュレイ様のために、(いにしえ)の遺伝子を覚醒させる研究が完成するように尽力してきたのですよ」

「古の遺伝子?」ネルがハンサンを睨む。その目はすでに従者に向けるそれではなかった。

「そうよ、異空を愛し人の子……『黄金の守護者』よ」ハンサンの後方でフュレイが口を開いた。子どもらしくない口調で。「神を神たらしめる遺伝子。それが古の遺伝子。わたしが失った力の源」

 フュレイはちらりとセラに目を向けた。

「知っているでしょう、『碧き舞い花』? なにより、不可思議なことに、人の子であろうあなたも持っているものなのですからね」

「フュレイ、ちゃんは……神、なの……!?」

「あら? 夢で見せてあげたじゃないの? あれでは不十分だったかしら? でもそうよね、せっかく夢の中でなら力が使えるからってあなたがどれ程のものか試してあげたのに、反撃もせず簡単に吹き飛んでしまうんだものね。無理もないかしら。……ハンサン」

「畏まりました」

 その声が、セラのすぐ横から聴こえた。フュレイに気を取られていたわけではない。しっかりとハンサンにも気を向けていた。それなのに、つい今まで離れた場所を歩いていたハンサンが、ネルの懐に入っていた。

 それでもセラはすぐさまオーウィンを抜き、振るった。

 が、時が止まるような感覚に襲われ、次の瞬間にはネルとハンサンが遠のいた。フクロウは音もなく空を裂いただけだった。トラセードか。

 そうしてセラがナパードで二人のもとへ戻る間に全てが終わっていた。


 ハンサンがネルの注射器を持つ方の手首を掴み挙げ、そしてもう一方の手で細剣の柄を握り、深々と、ネルの腹部を貫いた。

 悔しそうにネルが言った。「ハン、サンっ……」

「ありがとうございます、ネルお嬢様。我が主のために」

 そう言って細剣を引き抜くと、膝から崩れ落ちようとするのネルの手から注射器をくすめたハンサン。その場からトラセードでフュレイの横まで移動した。そして片膝を着いて少女に奪ったものを差し出した。


「ネルっ!」

 花散らし現れたセラは、ネルが倒れないように抱きかかえた。

「ごめんっ、わたしがいたのに……!」

 護り石があるのにどうして、などという疑問は出てこない。もう知っている。拒絶の護り石を破る方法は。

 キッとハンサンとフュレイを睨むセラ。その目はすでに、怒りとエメラルドを湛えている。

「!?」

 セラはすぐにその目を瞠り、言葉を失う。

 瞳が映すのは、細い腕に自ら注射針を刺すフュレイ。液体が注入されると、すぐに、変化が起きた。少女が少女でなくなっていく。衣服を破り、やはり白き印象を受ける大人の女の裸体へとフュレイは変貌を遂げた。

 目の前で起こっていることは止めなければならないものだと、勘が報せるまでもなくセラにはわかっていた。それでも、少女が変化をはじめた瞬間に放たれた不安感に身体が強張ってしまっていた。ただ見届けることしかできない。

 悦に入った表情で変化に身を任せたフュレイだったが、変化が止まるとその顔を歪めた。そして自らの身体を確認するように視線をゆっくりと動かすと、その瞳を黒々と染め上げた。

「なぜ……止まるっ!?」彼女は一糸纏わぬ自身の身体に爪を立てて掻きむしった。「力は感じる! なのに、なぜ! この牢獄から解放されないっ!」

「フュレイ様!」ハンサンが自傷に狂うフュレイを抱きしめ声をかける。「時間がかかることなのかもしれません! 変化はあった。それに力が戻られたなら、待つべきです! 直に本来のお姿を取り戻せるはず! もしそうならなくとも、戻った力でどうとでもできましょう!」

「……」

 フュレイの動きが止まった。ハンサンが離れる。すると、自らボロボロにしたフュレイの身体が、白く美しい肌を取り戻してゆく。

「……そうよね、ハンサン。はははっ、あまりに待ち望んでいたことに我を忘れてしまったわ。あぁ、善き従者を持って、わたしは幸せね」

「光栄です」

「ハンサン。この世界の後始末は任せるわ。わたしはゆっくりと、じっくりと、戻った力を馴染ませて、この牢獄を破ってみせるわ」

「ええ、お任せください。そして、フュレイ様の願いが早々に叶うことを願っております」

「うふふ、じゃあよろしく……あ、あなたなら問題ないと思うけど、ハンサン」

「はい」

 フュレイが今は真っ白となった瞳でセラを見た。

「『碧き舞い花』。曲がりなりにも神の力を持っている者を相手にするのだから、万全を期さないとね。万が一にもあなたを失うのは、嫌ですもの、わたし」

 フュレイは言うとセラから目を逸らし、ハンサンの顔を両手で包むと、彼の唇に熱く艶めかしい口づけをした。

 セラはまだ、動けない。

 そうして二人の唇が離れると、ハンサンは恍惚と焦点が定まらずに立ち尽くし、フュレイは中空をノックした。フュレイの横の空間が割れ、その向こうには白くて黒い、黒くて白い空間が広がっていた。異空だ。

 彼女はその穴に向かって歩み出す。

 と、ここでようやくセラは口を動かせた。

「待て!」

 ぴくっと反応を見せ、足を止めるフュレイ。だが顔はセラに向けないままだ。

 構わず、セラは問う。相手が神という存在だという確信を携えて。「フュレイ! フェルって誰! 神の知る『あの双子』って――」

「……そう」フュレイは一向にセラの方を見ず、なにかに気付いた様子でその口角だけを上げた。そして小さく独りごちる。「確かに在りし日の彼女に似てるわ。力を持っていることにも繋がる」

「フェルのことかっ」

「ああ、耳がいいこと。そうね、あなたのおかげでもあるのよね、力を取り戻せたの」フュレイはちらりと、片目だけでセラを見た。「いいわ、教えてあげる。フェルはあなたのお母さんよ」

「な…………に、を……?」

 呆然と困惑するセラを余所に、フュレイはただただ言葉を続けた。

「わたしはあの戦いに関わらなかったから詳しい顛末は知らないけど、神々は勝った。そのあと神狩りがあったけど、結局ヴェィルは母なる地と共に封じられた。でも最近になってヴェィルの気配が戻ったみたいね。自身で始末をつけないのは、わたしが感じられないほどに力が弱っているのかしら。それとも未来を予見した結果、あなたがヴェィルを討つのが見えたのかしら。どちらにせよ、あなたを産んだ。その様子を見る限り、あなたに力のことややるべきことはおろか、自分のことも教えていないようね。だとしたやっぱり予見かしらね。でもそうだとしたら珍しいこともあるわね、フェルの予見が外れるなんて。娘がここで命を落とすのは見えなかったのかしら。そうなると力が弱ってるのね。やっぱり人の形を残すのは間違いだったんだわ。神になるのが当然の進化だった……んっくぁッ……」

 フュレイは手で口を覆い吐血した。そして忌々し気に手についた血を睨んだ。

「本当に……忌まわしいわ、人の形っ……」

 フュレイは止めていた足を動かし、空間の穴に向けて進む。セラは未だに最初の告白を理解できずに、そのあとの言葉もただ耳に通すだけだった。今、神は重要なことを言っている。そのことを念頭に、理解せずとも記憶にだけは留めよう努めていた。

「ああ……もう一つ聞かれていたわね」フュレイは片足を異空に入れながら、思い出したように口を開いた。「神々の間で『双子』で通じるのは、ヴェィルとフェルのことよ。最後まで人の形を残した愚かな同胞。……うふふ、つまりそうね、フェルは娘に伯父を殺させようとしているのね。まあ、そうはならないでしょうけど」

 フュレイは空間の穴に消えた。そうしてすぐに穴が塞がると、その場に立ちはだかる人物。ネルを抱くセラに殺意に満ちた鋭い瞳を向ける。

「そうです。私がここでその命を終わらせるので」

 低く落ち着きながらも雄々しい声。猛々しい肉体。冷酷に顔に垂れる黒々としたざんばら髪。皺ひとつない肌。頬の下から消えた傷。変らずピンと伸びた背筋。

 まるでヅォイァの神容を思わせる。

 セラの知るハンサンは、目の前にはいなかった。

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