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碧き舞い花  作者: ユフォン・ホイコントロ  訳者:御島いる
第三章 ゼィグラーシス

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467:従者は誰がために

 トラセークァスの城の屋上には空を望む墓石が一つ。

 そこに刻まれる名は『シュリア・ウォル・ベルトアリァス』。ネルフォーネの母の名だ。

「お母様、紹介しますわ」ネルは墓石の前にはじまりの花であるアヤシモクセイを供えると、にこやかに笑い掛け、隣に立つセラを示す。「セラです。お友達ですわ。時間はかかってしまいましたけど、約束、守りましたよ」

「はじめまして、シュリアさん。セラです。ネルのことはわたしに任せてください」

「ちょっとセラ、お姉さんみたいなこと言わないでくれます? あ、訊いてください、お母様っ。わたしとセラ、誕生日が一緒なんですのよ! 今日!」

 ネルは墓石の前に座る。そして楽しそうに続ける。

「これって奇跡ですわよね! そしてそれを起こしたのはお母様ですよっ? お母様が妊娠中に実験をしていなかったら、そしてもし反対に拡大の方で実験をしていたら、セラは本当にお姉さんになっていたんですから。それじゃあまったく対等じゃありませんものね」

 セラは彼女と母親の空間を邪魔しない程度に後ろに座り、口を挟む。「対等ってそういう意味じゃないと思うけど?」

「いいですのよっ! ね、お母様。でねでね、こんなセラだけど、セラお陰でわたし、ずっと完成させたかった研究を完成させたのよ!」

 ネルはコルセットの宝石から注射器を一本取りだした。着火ホルモンの入ったものだとセラは知っている。今日、ネルはその注射により念願であった同じ祖を持つナパスとトラセスの差をなくすのだ。それを母の前で実践する。

「わたしたちの中で眠っている渡界術の力を……目覚めさせる……ための…………」

 言葉が途切れ途切れとなっていくネルを訝しみ、セラは声をかける。「ネル?」

 ネルはそんなセラの声かけに応えないまま、独り言を続ける。

「……お母様も……やっていなかった…………いいえ、違う。違うわっ!」

「どうしたの、ネル?」

「違うのよ、セラ!」ネルは振り返り、注射針に気を付けながらセラの両肩を掴んだ。「お母様はこの研究を、やっていたのよ! この着火ホルモンにも行き着いていた! そして、自分で最終的な成果を試そうとした! いいえ、試した! あぁ、なにが偶然拾った感覚よ。全然拾えてなかった。一番大事なところがまだ抜け落ちていたままだった」

「ちょっと、ネル」セラはネルの両肩に掴み返す。「落ち着いて。分かるように説明して。また記憶が?」

「え、ええ、そうね。ごめん」セラの肩から手を離し、ネルは一度深呼吸した。「今、思い出したの。もうないと思っていたけど、抜け落ちていた記憶を」

「それが」セラはネルの持つ注射器に視線を向ける。「この研究のことだったの?」

「そう! 約束したのよ、渡界術を使えるようになる研究は絶対にしちゃ駄目だって。あの夜に! わたしが研究を嫌いにならないようにって、直接は触れてなかったけど……含みのある言い方だったの、いまのわたしならわかる。このホルモンが、お母様を殺した。病気じゃなかった。病気だと記憶してたのに、違った。抜け落ちただけじゃなくて、改変されてた」

「記憶が、変えられた……。ううん、抜き取っただけだとしても、やっぱり誰がなんのために? それに、ネルからその記憶がなくなっていたって、ネルのお父さんとかハンサンさんとかはその研究のことを知ってたんじゃ――」

 セラはネルが自分の後方に視線を向けたことに言葉を止めた。

 気配は感じなかった。今も感じない。足音だけが近付いてくる。だが、後ろから来るのがネルの従者なのは明らかだった。気配を感じられないほどに抑えられる人間は、今この世界には彼しかいない。しかし、なぜ気配を消して近付いてくる。

「ハンサン!」

 ネルが立ち上がり彼の名を呼んだ。セラは遅れて立ち上がり、振り返る。そこには柔和な笑みを浮かべる老紳士。そして、その二歩ほど後ろに白き少女が続いていた。フュレイに関しては足音もなかった。

「……フュレイちゃん?」

 セラのその呟きにフュレイはわずかに口角を上げて足を止めた。ネルは構わずにハンサンに憤りの色を帯びた声を発する。

「ハンサン、お母様は渡界術を使えるようになる研究をしてた! それが原因で命を落とした! どうして教えてくれなかったのっ! 資料だって見たことないわ! どこに隠したの!」

「ネルお嬢様」ハンサンは足を止めない。「お言葉を返すようで申し訳ないですが、私はあの研究の資料を隠してなどおりません。あれは女王様が自ら、破棄したのですよ。あなたに研究をさせないように」

「! やっぱり、知ってたのね!」

「ええ」ハンサンは表情一つ変えずに、歩を進める。

「じゃあなんで! 結果がわかってるのに教えもしないで、むしろ、手伝ったの! 記憶がなくなっていたとしても、ちゃんと説明してくれれば、わたし……危険だと分かっている研究なら、禁忌に触れるような研究はしちゃいけないってことくらい、判別つくわよ」

 ネルの興奮が上がっていく中、セラの頭ではこの一カ月半ほどの記憶が迸っていた。現状を理解しようとする。

「……ぁ」興奮の最中だがなにかに気付いたようにネルはハンサンに窺いの眼差しを向ける。「それともあなたも、それにお父様も、わたしと一緒で記憶を――」

 ハンサンが手を上げ、ネルを制した。

「私の記憶は歳の割りには鮮明だと自負しております。そして、私の行動の全ては、主のためにあります」

「わたしのため? わたしをお母様みたいにすることがっ? ちゃんとした記憶があるなら尚更わたしを止めるのがあなたの役目でしょっ?」

「お嬢様、確かに場合によってはあなたのためにもなるでしょう。ですがその研究に関しては違います。なぜなら――――」

 ハンサンは足を止め、後ろの少女を恭しく手で示した。

「私の主はフュレイ様なのですから」

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