45:船上戦
セラはジュランを見送ると、踵を返して老戦士の落ちた脚を抱えた。
遠くで怒号や悲鳴、大砲の音が不協和音を奏でる。時折大地が大きく揺れ、噴煙が上がる。それでも、セラと老戦士、二人の空間には誰かが命じたかのように静寂が訪れていた。
伏す老戦士の傍らに膝をつくセラ。戦士の脚を抱えたまま、老戦士の肩に手を優しく置いた。
「わたしには戦士としてどうこう言えるほどの経験はないです。でも、人を癒すための薬をつくる身として、目の前の終わっていない命を捨てるなんてできない。わたしにとってあなたはなんでもない人かもしれない。でも、敵ではない。それは分かります。ジュランやプライさん、それに回帰軍のみんなにとって敵だったとしても……ちょっと、酔うかもしれないけど……」
セラは最後にそう言ってナパードを使った。
セラが跳んだ先は自分も治療を受けた回帰軍の砦、キテェアの部屋だった。
「あら、セラちゃん!……天原族の……ひどい怪我、まずは治療ね」
キテェアはセラがジュランに連れられてきたときと同じようにてきぱきと準備を始めた。準備をしながら、セラに訊く。
「みんなは?」
「船で戻ってると思います」セラは老戦士とその足をベッドの上に優しく載せながら応える。
「ぅう……」老戦士は少しばかり気分を悪くしていたようだった。ナパード酔いだ。「今頃……海原族の艦隊に、落とされてるだろう」
「え?」
「これは戯言でも、死に際のうわ言でもない……奴らなら、貴様らの船も襲うはずだからな」
「キテェアさん、わたし」
「うん」キテェアは強く頷く。「行って」
セラはキテェアに頷き返し、跳んだ。
回帰軍の帆船の上は戦場と化していた。これはシャレで言っているのではなく、真面目に言っている。
海原族の三隻の大型船と五隻の中型船に囲まれ、至る所が大砲を受けてささくれ立ち、帆は縦横に裂け、船体は徐々に落ちていっていた。船上は回帰軍と海原族の戦士によって埋め尽くされ、所狭しと剣が振るわれ、甲高い音をかき鳴らしている。時折瞬発的に大きな音がし、ピストルが使われていることが分かる。
セラはこうなっているのだろうと考えて帆柱の上、物見台の上にナパードしてきた。彼女の思った通り、船上は先に述べた通りの状況だった。彼女はマストから垂れているロープを掴んで、急ぎつつ確実に降りていく。途中、ピストルの銃口を向けられていることを感じ取った彼女は帆柱を蹴って、大きく振り子のようにして階段の上、船室の前に着地した。
船室の前にはプライがいて、一人で大勢の海原族を相手に立ちまわっていた。セラはプライの背に着くようにプライを囲む男たちの間を転がり入った。
「セラ」
「船は大丈夫なの? 落ちてるみたいだけど」
「このまま落ち続ける分には――」プライは自分に目を向けた隙を突かれたセラを守って剣を受ける。「この船は海の上でも問題ない」
セラを襲った男を蹴り飛ばすプライ。
「だから戦いに集中しろ」
「うん」
セラが応える、二人はあっという間に船室の前から敵を薙ぎ払った。その中で、セラは人を斬ることへの違和感を覚えた。マグリアの洞穴のときより弱い違和感だったがはっきりと感じる。天原族の浮島では『夜霧』に対する復讐の想いが強く、もう感じないものだと思っていた彼女はここでまた自分の弱さを思い知ることになった。
「……」
敵を切り伏せた後に動きを止めたセラを、プライは訝しむ。「大丈夫か?」
「……うん」セラは頭を強く振り、雑念を振り払った。右耳の水晶が大きく暴れる。「しっかりしなきゃ」
彼女が自分に言い聞かせるように呟いた直後、上から青髪の少女の叫び声が聞こえた。
「いやっ! 離せ! 離せよ、バカ!」
「エリン!」
セラが指令室の方へと視線を向けると、海原族の男が斬りかかってきた。セラはその男の剣を受け止め、腹に向かって衝撃波のマカを放った。男は軽々と浮かびあがり、帆船の船べりを超えて真っ白な雲の下に消えて行った。
その男の悲鳴が遥か雲の下へと消えていく最中、他の海原族たちが再び船室の前に集まり始めた。彼らは階段へと向かおうとするするセラの行く手を阻む。その間もエリンの叫び声がセラの耳に届いていた。
「……っ!」
セラは急く気持ちを抑えながら向かってくる男たちを次々と捌いていく。それでも、帆船を囲む船から次々と乗り込んでくるのか、海原族の戦士たちはきりがない。
「おらっ! どけっ!」
荒々しい声が聞こえたかと思うと、セラの前にいた海原族が数人、前のめりになって倒れた。彼らの後ろにいたのは、階段から船室前に上がってきたジュランだった。
「おう、セラじゃねえか。めんどくせぇが、酒はこれが終わったらだ」
「ジュラン、エリンが」
「ああ、分かってるジュランは後ろから飛び掛かってきた男を蹴り飛ばしながらも視線を指令室の方へ向ける。「だから、来た」
「ここと甲板は俺が引き受ける。二人はエリンを」
プライが指令室前への階段前に躍り出て、そこで海原族と剣を交え始めた。
「ああ」
「うん」
ジュランとセラはプライに応え、プライが押し開けた階段を駆け上がった。二人が階段をのぼるとすぐさまプライが階段の前に立ち塞がる。
指令室の前ではその扉に強くしがみつき、同族の屈強な男に腕を掴まれたエリンの姿があった。今も、バカだのアホだのと大きく声を上げて男を罵倒していた。
「エリン!」
「セラ! それにジュランも」
「なんで、俺がついでみたいに言うんだよっ!」
二人に気付いたエリンに対し文句を言いながらもジュランはすでに海原族の男に斬りかかっていた。だが、その剣は振るわれることなく、静かに降ろされた。
海原族の男が、エリンに腕を回し、ピストルをその顎の下に押し当てたのだ。
「動くんじゃねえぞ!」
「こいつ、あたしのこと殺す気ないよ!」エリンは強気な表情で二人向かって叫ぶ。「連れてく気だったんだから!!」
「うっせぇ!」男はピストルを押し当てても怯まないエリンに対して大きく動揺を見せた。「て、抵抗すんなら、殺すぞ!」
エリンの顎の下が強く押し込まれる。
男は次いで下から来た二人をもう一度脅しにかかろうとキッと目を向けた。だが、その目はキョトンとし、辺りを探し始める。「白金髪のガキはどこ行った!?」
「ここ」
セラは相手がエリンに気を取られていた隙にオーウィンを納め、男の後ろに跳んでいたのだった。
突然の背後からの声に男は慌てて振り向いたが、その顔には少女の裏拳が見事に入った。男は鼻から血を垂らし、仰け反った。それを見たセラはすぐさま男のピストルを持つ手を掴み、エリンから銃口を離す。もちろん、男も抵抗しなかったわけではないが、突飛なことが起き過ぎた。遊歩の心得を知っていたら、もう少し真面な対応ができたかもしれないけど。
「エリン!」
男の拘束から逃れたエリンをジュランが強く、呼び込み、逃げ出したエリンを背後に庇う。
だが、エリンの拘束は解けたものの、今もなおセラと男はもみ合っている。突飛なことに遅れていた反応が徐々に男のもとへやってきて、セラからピストルの自由を奪い返そうと指令室の前で行ったり来たりと意味のないダンスを披露する。ジュランがセラの助けに入ろうともするが、その煩雑なステップにうまく合わせることが出来ずに、おろおろと彼も一人意味もないステップを踏んでいたらしい。