44:親と子、友と仲間
ヌロゥがビュソノータスの地を去った後も天原族と『夜霧』の戦いは続いていた。だが形勢は逆転しつつあった。ずっと押され気味だった天原族が息を吹き返したわけではなく、『夜霧』戦士たちの士気が落ちたのだ。
士気は落ちたが黒い鎧たちはロープスを使って自らの世界に帰ろうとしなかった。
ジュランが『夜霧』の兵士の一人を問い詰めると、彼ら下っ端はロープスを持っていないのだという。つまりは指揮官の不在と帰還不可能という状況が彼らの士気を奪ったのだ。
「にしても、体が痛ぇ……」ジュランは背中を気にしながらセラを睨む。
「背中超えてけばいいんでしょ?」
「っち、真に受けんなよ。めんどくせぇな」
「あ、いた」
活気のなくなった戦場。天原族が『夜霧』を捕縛し始めた頃、セラは共にヌロゥと戦い、片脚を斬り落とされた老戦士を見つけた。はじめは真っ赤だった海も今は暗く固まっている。
だがこの老戦士なかなかしぶとく、まだ背を上下させていた。「良かった、生きてる。ジュラン、プライさん急いでキテェアさんのところに……」
セラは言葉を切った。回帰軍の隊長と副隊長の目は大怪我をした老人を見る目ではなかったのだ。
「無様だな、じじい」
「敵との力量の差を測れなくなるほど老いたんだな、親父……」
「馬鹿を、言うな」老戦士はしわがれた声をさらにしわがらせ、絶え絶えに口を開いた。「異物に、唆される、ような貴様に言われれること、では、ないわ……っ! 敵わぬ、と、分かって、尚、死の覚悟を、持ってして……挑むのが、戦士の、本望だ……!!」
「だったらなんで生きてる?」ジュランが本気だか冗談だか分からない口調で言う。
「黙れっ……! 八羽っ!」
「ふんっ」ジュランは一人、老戦士のもとから離れる。「プライ、お前の好きにしてくれ」
「ああ」プライはジュランの方を向かず、老戦士に目を落としながら静かに応えた。
「プライさん……?」セラは状況の説明を求めてプライの名を呼ぶ。
「セラ、この人は天原族の族長で俺の父親、そして、回帰軍の敵だ」
「じゃあ……」
「心配するな。命を奪う気はない」プライはセラに優しく言うと、伏した父を再び見下ろす。「降伏を約束するなら、うちの医者の所へ連れて行く。降伏しないのなら、仲間が助けにくるのを待つんだな」
「ふんっ……言っただろ、死ぬのは、覚悟のうえ、だと……。この命、気運に任すのみ……同胞がわしを救うのであれば、それ、わしの、使命の継続の意だ」
「そうか。もし、回復したのなら、そのときは戦場で会おう」
プライが心配そうに押し黙るセラを促しその場を離れようとすると「プライっ……」と息子の名を呼ぶ父の声がそれを止めた。
呼び止める父に長い髪は揺らさずに、瞳だけを向けるプライ。すると天原族の族長は口を開く。
「帰って、こい。異物や他部族の輩、との、集まりなど、お前のいる、場所ではない。それに、医者というのも、野に蔓延る獣の――」
「黙れっ!」プライは戦いでも見せない程激昂して、剣を一本、伏せる族長の眼前に突き立てる。「あんたとの親子の絆なんかより、皆との絆の方が強い! 友を……仲間を悪く言うのなら、もう一本はあんたの墓標になるぞ!!」
そう言って、もう一本の剣を鞘からゆっくりと抜く。
「命は、奪わないのではなかったか、滅裂だな、若僧めが……!」
「これは回帰軍副隊長としてでなく、あんたの息子として、ジュランの友として、友の言葉に従う行動だ」
「やはり、唆されておる……。異物のために、親に刃を突き立てようとはな」
「友のためなら親殺しなんて易い」プライのその言葉には嘘偽りの心情は感じ取れない。そして、剣を振り上げる。
「駄目だよっ!」
今まで黙って成り行きを見守っていたセラがついに口を開いた。その声にプライはピタリと動きを止めた。
「やっぱり口を出すんだなセラ。むしろ、よくここまで黙ってたな」
「うん。親子のことだから……でも、さすがに、お父さんに手を掛けるのは止めるよ…………」
「……」プライは口を閉ざし、セラのサファイアを見つめる。すると、突然の爆風がプライの長い髪を激しく揺らした。セラのプラチナも、結われていない部分が細かく早く踊る。
三人から少し外れたところの大地が弾け飛ぶ。そして、今度はさっきよりも強く空気が逃げて、セラたちを躱すことなく走る。
「なに!?」セラは暴風に顔の前に手をかざす。
「大砲だ」二本の剣を納め、プライも腕で視界を確保する。「ここは危ないな」
「敵襲ーっ!」天原族の戦士が一人、また一人と叫び始めた。「海の奴らだ!」
「……海の、だと!?」老戦士は辛そうな顔を驚きで染めた。「なぜ、こんな時に……」
「プライ、セラ!」真面目な顔で駆けてきたのはジュランだ。「海原族だ。こいつと同じだが、かなりでかい穴から船ごと出て来やがった」
ジュランの手に摘ままれているのは黒い棒、ロープスだった。
「船ごとっ!?」
「海原族の技術力か……」
セラは驚きを隠せない。『夜霧』たちが使っていたロープスはどれも人が一人通れるくらいの穴しか作っていなかった。穴が拡大できるとなったら、一個のロープスから大量に戦士を送り込めるということだ。そうなれば『夜霧』の侵攻は効率的に行われる。
「考えんのはあとだ、俺たちは船に戻るぞ。相手は一隻じゃない。逃げるぞ」
ジュランはロープスをカチッと鳴るまで捻り、空間の穴を発現させた。
「ああ」プライは隊長の指示に従って頷き、地面に伏せる父を一瞥だけしてからジュランの隣に立つ。「セラ、行くぞ」
「でも……」セラは老戦士に視線を向け、動こうとしない。
「行け! 少女よっ!」セラに怒鳴ったのはジュランでも、プライでもなく、彼女にとっては名の知れぬ老戦士だった。「何を躊躇うか! わしは貴様のなんだ! なんでもなかろうが!! 戦士として生きるのならば……かふっ……見捨てる命、切り捨てる命を知れ!! 全てを救おうなどおこがましい…………戦場に救いなどいらぬわっ!! がぁふっ、がふっ……!」
セラは老戦士から視線を外し、回帰軍の二人を真っ直ぐ見つめる。
「二人とも、先に行ってて」
「おい、セラ」
プライは顔をしかめる。だが、ジュランは違った。セラと天原族の長を順に見て、再びセラに目を向ける。
「好きにしろ」
「ジュランっ!」
「行くぞ、プライ」
プライは何か言いたそうに口を開きかけたが、すぐに閉じて真っ暗な穴の向こうに消えた。ジュランもそれに続くように穴に向かって行く。そして、セラには目を向けずに言った。
「酒、絶対に飲むからな、忘れんな」
セラはその言葉にハッとして、「うん」とだけ答えた。