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碧き舞い花  作者: ユフォン・ホイコントロ  訳者:御島いる
第三章 ゼィグラーシス

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454:ネルフォーネの保管庫

 その日は二時間ほど椅子に座るだけで、ネルの研究の手伝いは終わった。セラから得た情報を整理するというネルはなにやら特殊なガラスがレンズとして入った眼鏡をかける。

「終わったら逆鱗花の栽培地を見せてあげるわ。そうね、三十分ぐらいかしら。それまで隣りの保管庫でも見て待っているといいですわ」

「あの大きな扉の向こう?」

「ええ。特別に見せてあげますわ。あ、見せるだけですわよ! 指一本でも中のものに触れたら許しませんわよ」

「うん、わかった」セラは彼女に頷くと、二人の姿を交互に見やった。「ねえ、わたしたち、着替えた方がいいんじゃない? わたしは大丈夫だけど、ネル、風邪引くよ?」

「なにを言ってますの? わたしだって平気ですわ。変態術なんてわざわざ苦労して会得しなくとも、護り石が体調崩さないように護ってくれてますもの」

「……わたしたちバスローブなんだけど?」

「そんなわけ……えっ! ひっくちっ!」

 ネルは本当に今の今まで自身がバスローブだけしか纏っていないことを忘れた言わんばかりに驚いて、そしてまるで思い出したようにくしゃみをした。そうしてセラのサファイアを恥ずかしそうに見つめ返し、赤面する。

「こ、これは、別に風邪を引いたから出たというわけでは、なくて……着替えるわ!」

「わたしもそうする。着替えたら戻ってくるね」

 クローゼットに向かうネルを余所に、セラはナパードで自室まで戻った。


 ベッドの上にはきれいに畳まれた雲海織り。ベッドの脇に置かれたブーツもきれいに磨かれている。ハンサンの仕事だ。トラセークァスに来て、着替えに困ったことはなかった。この城の筆頭執事はとても優秀だ。

 それにしてもとセラは着替えながらふと思った。服を脱いでから研究の時間を含めても三時間経っていない。洗うだけならともかく、完全に乾いているのはどういうわけだろうと。いくら雲海織りと言えどもここまで早く、全体が乾くものではない。ハンサンの執事としての知恵か、ネルの研究の成果物のおかげか。そんなところだろうと考え納め、セラはネルの部屋へと戻った。


 着替えを終え机に向かうネルを横目に、セラは大きな扉を開けた。声をかけてから入ろうとも思ったがやめた。自身の状態を忘れてしまうほど、ネルは研究に没頭している。彼女は恥を感じていたようだが、セラはそれを間抜けだとは思わない。研究への好奇心やこれまでになかった進展に心が躍り、他のことに気をかけられない状態は研究者にはよくあることだろう。

 かくいうセラも、心が躍っていたわけではないが、急く気持ちによって薬品の研究に没頭したことがある。ホワッグマーラでのことだ。彼女の場合はそれが負の方向へと働いてしまったが、ネルはそうではなさそうだった。楽しいという感情が、資料に書き込みをしたり並べ替えをしたりしているその背中を見るだけで充分に感じ取れた。

「うわぁ……」

 扉の向こう側へと足を踏み入れると、セラは思わず息の多い声を洩らした。

 そこに広がるのはこじんまりとした城の範疇を遥かに超える長大でがらんどうな空間だった。まるで巨人の倉庫だ。もしかしたら本当にアルポス・ノノンジュと繋がっているのかもしれないとも考えたが、そうなると世界に愛されし者として世界に抱きかかえられているネルが入れないだろうと改める。

 そうしたあと、今度は首を傾げる時間が訪れる。指一本触れるなと警告されたわけだが、なにもない空間だ。まさか壁や床を触るなということではないだろう。

 とりあえず歩を進めるセラ。

 すると――。

 十歩ほど進んだところでそれは起きた。

 セラを通せんぼするように、半透明の光の板が複数枚現れた。それは評議会でも使用されているものだと判断できた。影光盤(えいこうばん)。発光する人々の世界の技術で、記録した情報を映し出す装置だ。これによりセラはガフドロ・バギィズドの名を知った。

 しかし目の前の影光盤に映るのは仇敵の顔や名前ではない。スケッチや実物の像、そして文章。ネルの研究の資料だと見て取れた。

「あれ?」

 資料の内容に目を向けようと思い影光盤のいくつかを見回すと、筆跡が二種類あることに気付く。優しい字体とかっちりとした字体。特徴はかけ離れているように思えるが、どことなく雰囲気の似た二つ。さすがにどちらもネルのものとは考えづらい。

 だとすればハンサンだろうか。そもそも彼が各地を巡り、あらゆるものを手に入れてくるのだ。助手として研究を手伝っていてもおかしくないだろう。

 そう結論付けるとセラはいくつかの影光盤の中から、一番興味の引く見出しのつけられたものを選び、それに手を触れた。

『護り石と魔素石及び魔素金属』。

 影光盤の操作は心得ている。ものによっては観賞のみで手を触れても何も起きないのだが、研究の資料である以上、一枚で全てが収まっているわけがない。書物のページを繰るように先をが読めるはずだ。

 セラが手を触れた影光盤のみを残し、他のものはその姿を消す。

 そうして、セラが資料を読もうとした途端。

 床が揺れ、壁がうねり、空間が歪んだ。

「なに?」とセラが口にしようとしたときには、その全てが収まり、眼前にはきらりきらめく、ありとあらゆる色の石たちがガラスの箱の中に並べられた棚が出現したのだった。

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