445:夜の約束
全く歯が立たないものではないのだと知れた、護り石による壁。知れたはいいが、やはりそれを破ることはそう簡単ではないようだ。
セラは一向にネルに刃を届けることができない。
本気でやってもネルに怪我をさせないという点では申し分ないのだが、この先護り石を持った敵と戦うときのために、その効力を破る方法は知っておきたい。
先ほどはトラセードの鍛錬をしようと口にしたが、この地を去る時までにそれを己の力で知ることができなかった時にはネルに直接聞くことになるだろう。結果、彼女と親睦を深めることは必須だ。
この鍛錬の時間を共有することも、仲を深めることに少なからず影響するだろう。城では研究に多くの時間を割くネルだ。なかなかに話をする機会がない。食事の時間に顔を合わせても、意地でも他愛のない会話をしようとしないのだ。毎晩、就寝前を見計らって彼女の部屋を尋ねても門前払いが続く。
昨日はトラセスの民の禁忌、歴史について話ができたが、その終わり方が影響して城では結局話をすることはできなかった。
今日の様子を見ると、クェトにセラが会っていたという事実に対しては言うほど怒ってない。ただ頑なにセラとの距離を縮めたくないがために取った行動だったようだ。研究や知識に関して言えば、訊いていなくても自慢げに話すし、訊いた時にしても渋りつつも話したそうにして、押せば最終的には話してくれる。初日のことを思い出せば、ヅォイァとの鍛錬で傷だらけとなったセラを温泉へ案内したこともそうだが、そもそもあの時のネルは城の階段でセラたちの帰りを待っていた様子だった。
ナパスの民と仲良くしないと決意、宣言してしまった手前、曲げられないで強がっているのかもしれない。負けず嫌いが災いしているのかもしれない。気恥ずかしいのかもしれない。
そもそもエァンダには懐いているのだから、セラとも仲良くなれないはずはないのだ。民を代表する王族同士ということに対抗意識でもあるのだろうか。
「ふっ!」
目の前の彼女と仲良くなるにはどうしたものかと、悪く言ってしまえば集中していないセラの顔にネルのブーツの底が迫る。彼女は護り石に守られるだけでなく、戦士ではないという割にはしっかりとした身のこなしで攻撃もしてくるのだ。
とはいえ、これまで数多の強者たちと手合せしてきたセラからすれば、幼い動きだ。ナパードも使わず、身体を翻せば躱せる。
だが彼女はそうしなかった。この場がトラセードの鍛錬の場であることを失念するほど集中していないわけではないのだ。
空間が伸び、ネルの前から動くことなく離れる。それも近すぎも離れすぎもしない距離で。
空を蹴ったネルは、その脚を踏み下ろすと、軽やかに地面を蹴った。ブーツがばふっと鳴り、主の身体をふわりと浮かばせた。
彼女は宙で拳を構える。途端、彼女はセラの真ん前に姿を現す。
「っ!」
――そっか空中でも使えるんだ。
考えてみれば当然のことだが、子どもたちには見なかった使用法に、セラは目を輝かせながらオーウィンの峰を身体の前に構える。
「はぁっ!」
ずしり――。
トラセスの姫の掛け声とともに、思った以上に重たい拳が刀身を打った。まるで剛腕が振り下ろされような衝撃だ。
ぐぐっと押さえられる力をうまく流し、セラはネルの横に跳び出る。
そして、今、トラセスの姫がやって見せたことを真似する。
空中での空間伸縮ではない。
局所的な空間伸縮だ。
そう。ネルの拳は、圧縮された空間を通って振り下ろされたのだ。その速さが大きな力を生み出した。
オーウィンをネルに向かって突き出す。その切っ先の通り道である空間を圧縮させ、突きは急加速。
「ぅえっ!?」
そのあまりの急加速にフクロウは主の手を離れ、ネルを通り越して広場を囲む木の一本に突き刺さった。手を離れるまでのわずかな時間フクロウに引かれて体勢を崩したセラは、驚きの表情のまま地面につんのめった。
「……っ」
「わずかな空間に対して空間伸縮を使ったことを見抜いたのは、さすがと言ってあげましょう。ですが、そうそうできるものではなくってよ、ナパスの姫」
「ははっ。そうみたい。あまりの速さにちょっと驚いた」
セラは立ち上がり土を払うと、オーウィンを抜きにいく。しかし深々と刺さってしまっていて、引いても抜けない。オーウィンの切れ味ならばすんなりと抜けてもおかしくないのだがと思いながらも、セラは抜くのをやめてナパードでオーウィンごとネルの前に移動した。
オーウィンの刀身を見るが、刃こぼれはない。普段手入れもしているし、定期的に『鋼鉄の森』に出向きクラフォフに研いでもらってもいる。
「この森の木々は修復力が高くてよ。あなたが木の繊維を斬りながら抜くよりも早く治って、剣を握りしめていたのでしょうね」
「へぇ」
言われて今さっきまでオーウィンが刺さっていた木をセラが見ると、すでに傷は無くなっていた。
「ほんと、なんでも知ってるね。ネルは」
「っ! 褒めても、なにもありませんよ!」
「思ったことそのまま言っただけだよ。もちろん、仲良くはなりたいけどね」
「だから仲を深める気はありませんわ」
「ねえ、ネルが知らないことでわたしが知ってることとかないかな?」
セラはふと、今までネルの話を聞いてばかりだったと思い、そう口にした。友人になりたいということもそうだが、知識を得たいという自身の欲が出ていたのかもしれない。こちらから話をするというのも距離を縮める手のはずだ。
「ないですわね」
「え~、ほんと? ハンサンさんがどれくらい異空を旅してるか知らないけど、わたしだって色んな所行ってるよ? ないって決めつけるのはよくないんじゃない?」
「……た、確かにそれは一理あります。研究に身を置く者としては」
「でしょ?」
「でも! でもですね…………い、いいでしょう、話を聞かせてもらいます。もしかしたら、万が一ですが、わたしの知らないことをあなたが知っているかもしれませんしね。そうだとしたら不愉快ですものっ」
「ふふっ、わかった。じゃあ今夜、部屋に行くね」
「ええ。その代り、なんにもなかったら、金輪際仲良くなろうなどと考えないでくださいね」
セラと目を合わせようとせず俯かせ、つんっと言うネル。そんな彼女に、セラは悪戯っぽく微笑む。
「わたしの知ってること一晩で話し終わらないと思うなぁ。全部話すまでは、毎日でいいよね?」
「……の、望むところですわ」
「ふふっ、その頃には仲良くなっちゃってるよ、きっと」




