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碧き舞い花  作者: ユフォン・ホイコントロ  訳者:御島いる
第一章 碧き舞い花
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3:ミャクナス湖

リョスカ山での出来事から三年の月日が流れ十四歳となったセラは、それはもう十一歳の頃に泥だらけになって遊んでいたのが嘘だったかのように、王城で過ごす時間が長くなっていた。

 あの一件での姉、スゥライフの姿を見て自らの進むべき道を決めたのだ。薬草の書物を読んでは姉に質問をしたり、自然豊かなエレ・ナパスの各地に薬草採取に出かけたり(薬草採りは遊び回っていたときと同じくらい泥だらけになったそうだ)、採ってきた薬草を調合して新たな薬をつくったりと、それはもうスゥラが負けを認めるほどの薬草術の知識と技術を身に着けるほどだった。


 ところで、あの一件以来、セラとズィーは一度も口を利かなかった。セラが薬草術の勉強に没頭し、会う機会がなくなったこともあるが、それでも会おうと思えば会えた。しかし、セラはズィーを苦しめてしまったことへの負い目を感じていたのだ。時折城下町で少年たちと楽しそうにしているズィーを見かけても、ズィーの額にある傷跡に目を向けると声を掛けることができなかったそうだ。

 しかし、二人には運命というものがあったのだろう。

 その日、新しい薬の案を楽しそうにスゥラに話していたセラは、王城の中庭で兄のビズラスと他の戦士たちがナパスの民の男たちに剣術を教えているところへ出くわす。

「それでね、ジョッツの実とピャオンタを使ったら過呼吸を――」

 練習用の木刀がぶつかり合う音、野太い掛け声が響く中庭に、自然と廊下を進む足と言葉を紡ぐ口を止めて目を向けるセラ。

「ビズ兄様も大変だね。この前ゼィロス伯父さんをようやく見つけたばかりなのに。でも、どうして、急に剣術を教えてるの?」

 セラが疑問に思うのも無理もない。ナパスの民は自然の中であらゆるものが揃う環境で生きている。だから、男たちは狩りのために刃物を使うことはあるが、人を殺すために刃物は使わなかった。殺し合うための剣術は、ビズのように危険な異世界に渡ることのある戦士か、エレ・ナパスから新天地へと旅立つことを考えている者しか学ばないものだったのだ。

「さあ、どうしてかしらね? ゼィロス伯父さんのところから帰ってきてお父様と話したあとからよね……?」

 首を傾げ考え込むスゥラに短く「うん」と応えながら、セラは中庭で狩りを生業にする男たちと一緒になって木刀を振るうズィーの姿を見つけた。剣を振るうたびに揺れる紅い短髪に見え隠れする汗の光る額には、岩に頭を打ったときの傷跡がある。

 と、じっとズィーを見ていたセラに気付いた彼が視線を返してきた。

「! い、いこ、姉様」

「え? あ、うん、そうね」

 セラは姉の手を引きその場をすぐさま離れた。後ろから「あ、おい……イテッ!」「おう、若いの! よそ見すんじゃねーぞ!」と聞こえたがスタスタと城の中に入っていった。


「まだやってるよ……」

 夕暮れ時、王城の自室。中庭を見下ろすセラの姿があった。

 中庭にはビズとズィーだけが残っていて、対峙していた。

「ビズ、約束だよ。俺が勝ったらオーウィンを持たせてよね」

「はいはい。勝てたらね」

 木刀を力強く握り、体の上で構えるズィーと、相反して木刀を軽く握り、体の前で構えるビズ。どちらが勝つかは素人のセラにも分かった。

「はあぁぁあーっ!!」

 大声を上げれば勝てるとでも言わんばかりに、城中に響くほど声を上げて踏み込んだズィー。その太刀筋はきれいにビズ一直線。しかし、ビズに木刀が当たることはなく、軽くいなされ、ズィーが気付いたときにはビズの木刀がピタリと彼の首元に当てられていた。

「はい。ズィプの負けな。真剣なら首飛んでたぞ」

「むぅ……」

 ふくれっ面でしょげるズィーにビズは背負っていた剣を鞘ごとズィーに差し出す。これがオーウィンだ。オーウィンとはナパスの民の言葉でフクロウを意味していて、この剣がフクロウの翼のように風切り音がしないことからそう名付けられた。ビズが様々な世界への旅の道中で得た上物で、この剣の性質とナパードの静かさが、彼が『輝ける影』と呼ばれる所以だ。

「え、いいの?」

「ああ、いいさ。見るくらい」

「やったぁ!」

 ズィーはオーウィンを受け取り、大事そうにフクロウの意匠が施された鞘から刀身を抜いた。その刀身にも鞘とはまた別のフクロウの意匠が施されていて、夕暮れの真っ赤な光を受けて気高く輝く。

「すげぇー」

 オーウィンを舐めるように見るズィーの表情はセラが子供の頃から知っているもので、歳よりも幼く見えた。

「ズィプ。剣は軽く握り、体の前、相対する敵に向けて構える。そして、強く握るのは一瞬、剣に衝撃を受けるときだ。敵を斬り付けるときとか、敵の攻撃を受けるときな。あと、声出すのは構わないけどな、後ろからの不意打ちとかするときはやめろよな。バレバレだから」

「……はーい」

 ズィーは返事をしつつ、オーウェンを鞘に納め、ビズに返す。

「でも、太刀筋はきれいだった。あれなら敵もスパッと斬れそうだ」

「ほんとっ!」

「ああ、他の教えをちゃんと守ればな」

「……はーい」

「よし、頑張れよ。お前は次の世代のエースなんだからな」

「まじで!」

「ああ。ちゃんと教えを守って修練を怠らなければな」

「…………。!」

 ズィーはじとっとビズを睨んだ。そして、二人の身長差から見上げるような形になったために、視界の端に自室の窓から彼ら二人を覗いていたセラを見つけた。

「セラ!」

 言うが早いか、ズィーはナパードで跳んだ。

 日が完全に沈んだ後の中庭には『輝ける影』が残された。


「やばっ!」

 叫び、ナパードで消えたズィーを見ていたセラはすぐさま窓から身を離したが、部屋に紅い光が見えた瞬間、ナパードを使った。

 現れたズィーもすかさずセラを追うためにナパードで跳ぶ。

「おいっ!」

「セラっ!」

「待」

「て」

「よ」

 二人の王城内で瞬間移動による鬼ごっこは城内にいた様々な人を困らせた。薬師の部屋では多くの紙を巻き散らかし、スゥラの部屋では粉末を舞い上がらせ、食事の準備中だった厨房では料理を無残な姿に変えた。廊下の窓もいくつか割れ、カーテンも引き裂いた。

 ついに、レオファーブ王の書斎にセラが跳んだとき、彼女は書斎にいた父親の顔を見てハッと我に返り一瞬動きを止めた。そこにすかさず、ズィーが追い付き、セラの腕を掴んだ。

「捕まえた」

 そう言うと、ズィーは王にはまったくお構いなしにセラと共に跳んだ。

 ズィーが跳んだ先はミャクナス湖だった。しかも、湖畔ではなく、暗くなり輝きを増した満月を鏡のようにはっきりと映していたミャクナス湖そのものだった。

 大層な泡に包まれ二人は一瞬だけ沈んだが、すぐさま浮上して顔を出した。湖に映された月は笑うように揺れる。

 髪をかき上げたセラはここで久しぶりにズィーに口を利いた。

「なんでここ!? 馬鹿じゃないの?」

「なんでだよ、昔はよく飛び込んだし、泳いだだろ?」

「もう、子供じゃない」

「俺たちはまだ、子供だろ。ビズにも全く敵わないしな。ほら、陸まで競争しようぜ。セラはサボってたから俺には勝てないだろうけどな」

「あっそ、一人で泳げば」

 セラはそっぽっを向いて、そのまま湖畔に跳んだ。

「っ、おいっ、それズルだろ!」

 文句を言いつつもセラに続くズィーはなんだかんだ言って楽しそうな表情をしていた。

 二人は湖畔でしばらく座ることにした。

 さっきまで笑っていた湖面の月も今は静かに二人の行く末を見守っている。

「なあ」

 静かに声を発したズィーにセラは右の髪を耳に掛けながら応える。そこには雫が垂れた水晶の耳飾りが月光を乱反射して輝いていた。

「何?」

「お前さ、あのこと気にしてんの?」

「……何のこと?」

「誤魔化すなよな。セラが俺とつるまなくなったの、リョカス山に跳んだあとからじゃん」

 ズィーはそういったことには無神経だと思っていたセラは、その言葉に彼の顔をサファイアの瞳を見開いて見つめた。

 ズィーはセラには顔を向けず、湖の月を眺めながら、あっけらかんと言う。

「馬鹿だなぁ、セラは。俺が言い出したんだぜ、はじめに『跳ぼう』ってさ。自業自得じゃん」

「でも――」

「それに、セラが一緒に跳んでくれたおかげで俺は助かったんだぜ? 将来、自慢していいぞ、子供の頃、英雄を救ったってな」

 セラの言葉を遮り、告げるズィーは満面の笑みでセラと向き合った。

 しかし、セラの顔は浮かない。セラのサファイアにはルビーの陰に見え隠れする傷跡が映っていたからだ。

 そのセラの浮かない表情と視線に気付いたズィーは、前髪を上げた。

「これか? 気にすんなよ。てか、俺なら、この傷喜ぶの分かるだろ? 英雄には傷がつきもんだぜ!」

「……」

 誇らしげな彼に彼女は黙り込んだ。黙り込んだが、黙り込んだかと思うと小さく息を噴きだした。

「ふっ……ふふっ、確かに」

「だろ?」

 セラはズィーに頷き、笑いながら続けた。

「ふふふ。でも、ビズ兄様に傷なんてないよ」

「ぁ…………」

 そのときのズィーの顔は彼女の中でも五指に入るほど面白い変顔だったそうだ。

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