395:懐かしくも厭わしい
よく見えている。よく反応できている。さっきまでより、さらに。
セラは自身に対してそう思う。しかし、不思議とそのことに思考が取られることはなかった。むしろ、奪われたのは思い浮かんだときのほんの一瞬だけだった。
神と対峙しているという状況において、そんな余裕がなかったのかもしれない。必死だったのだ。
ともかく、彼女は長いことその瞳にエメラルドを宿していた。一時たりとも途切れることなく、サファイアに碧が揺らめき続ける。
ただ、同時にそこまでに留まっているという現状でもあった。ヴェールを纏うに至っていない。
自身では件の力に意識を向けていないセラ。瞳だけの変化に彼女自身は、件の力がわずかだが発現している今の状況に気付いていないのだ。
そんな彼女と、そもそも神の猛威に伏さなかったケン・セイの存在、そして意地でも二人に後れを取るものかと持てる力の全てで奮起するズィー。
神との戦いは均衡を取り戻していた。
そして今、均衡を破らんとする声をセラがあげる。
「ズィーっ!」
ノーラの蹴りを受け止め、脇にその脚を挟んだセラ。すかさずズィーを呼び、彼にノーラを攻撃させようとする。
しかし彼女の目的はそこにはなかった。
一瞬の目配せ。ケン・セイへだ。
師範は表情を変えることなく、ちょうど迫ってきていたリーラの蹴りを潜って躱す。そして自然な動きで反転して、まさにその場でリーラへ反撃する動きそのものので蹴りを繰り出しはじめた。
ノーラにズィーのスヴァニが振り落とされる。が、彼が斬ったのは舞い散った碧花の残滓。
ズィーは頓狂な声を短く漏らした。「っれ?」
その最中、リーラとケン・セイのわずかな間に姿を現したセラ。その場でノーラの脚を離し、且つ、背後のリーラに手を触れ、その場を跳び離れた。
それも束の間、ケン・セイの蹴りがノーラに当たるより早く、彼女は離れたところからノーラに手を伸ばそうとしていたシーラの前に姿を現し、これまた手を触れ、跳んだ。
離れた場所に姿を現したセラ。そこでリーラとシーラに衝撃波を放つ。が、これは空振りに終わった。まるで衝撃波に沿うように二人はセラから離れて行った。
しかし、目的は充分に果たされた。
視界の端、ケン・セイの蹴りがノーラの腕と脇腹にまともに当たった。骨の折れる音と共に彼女は飛び、砂丘にめり込んだ。意識は残っているが、動ける身体ではないだろう。
「まさか力を封じるなんて……」
衝撃波の弱まったところで着地したリーラが、感嘆に似た声を漏らした。
リーラ神の言う通り、セラがやってみせたのはバルカスラ人の独特な動きをさせないためのものだった。
ナパードを用いた不意打ちでケン・セイに攻撃してもらうだけでは、きっと残りの二人のどちらかによってノーラが離されてしまうだろうと考えたセラ。それを封じるためにナパードによって、方向を定めさせないようにしたのだ。
「……人よ」唐突にリーラがセラに言う。「汝のその力、儚いけれど、やはり懐かしくも厭《いと》わしいもので違わないようです」
「え?」
「遊界の者の源流を保ち、世界を渡る力を残した一族。そう見受けられる汝でしたら、先祖返りとしてその力が目覚めることもありえるとこでしょう」
「なにを言っているの?」
「不可思議に思うのも仕方のないことでしょう。長大な時を経たことで、遊界の者たちの子孫からは失われたものですから。知る者といえば、神々か……あの双子……よもや、あの双子のどちらかの子ということはないでしょう?」
「わたしはナパス王レオファーブとフィーナリアの娘よ。誰のことを言っているの?」
そう神に尋ねるセラだったが、ケン・セイとズィーがそれぞれリーラとシーラに掌底と斬撃を放ったことで会話が途切れた。
リーラとシーラの身体がそれぞれ離れて行く。
ズィーがセラの前、ケン・セイが後ろに立った。それぞれが前を向きシーラとリーラを見ている。
「何話してんだセラ」
「残り二人、いや、四人か」
ケン・セイのその言葉にわずかに遅れ、三人の足元が爆ぜ上がった。当然、三人はその前にその場から離れ、難を逃れ、舞い上がった砂の壁のその奥に目を向けていた。
わずかして砂が視界を塞ぐのをやめると、そこには包帯に巻かれた野獣と魔闘士の姿があった。
「がはは、やっと追い付いたぜ」
「ごろずぅ……ごろずぅ……」
ズィーが額から汗を垂らしながら苦笑する。
「せっかく一人減らしたのに、どーすんよ。言ってた通り、包帯はケン・セイに任せるか? それとも、そろそろ碧い靄出すか? セラ」
彼の言葉にセラは訝んで、目を向ける。「どういうこと?」
「いや、だってさ」ズィーはセラの瞳を指さしながら言った。「あの暴走ん時と同じ目してるから、出るのかなぁって。でも、その分じゃまた無意識か。ま、さすがにお前でもここ何時間かでできるようにはならねえよな。じゃ、そういうことだケン・セイ。包帯の方なんとかしてくれ。俺たちじゃもう手の内がばれて――」
「待って、わたしがやるよ」
「いや、だって……はっ、なんだよ」ズィーは悔しそうでいて嬉しそうな笑みを浮かべる。「やっぱできんのかよ」
「わかんない。でも、ズィーに目が変ってるって聞いたら、なんか、力が湧いてきて……できた」
曖昧な笑みを湛えるセラを、碧きヴェールが漂い覆っていた。




