369:休養所のひととき
多くの人が忙しく行き交い、呻き声も聴こえる。
セラはヅォイァを本部の休養所へと運んだ。ユフォンのいるところだ。
「うわっ、大丈夫ですか、ヅォイァさんっ!?」
早々にユフォンがヅォイァの横になるベッドに駆け寄り、治療を始めようとする。しかし、ヅォイァ本人が、苦労しながら腕を上げて筆師を制した。
「俺のは概ね疲労だ。寝てれば、回復する。三日は寝ないといけないがな」
冗談めかした言い方。弱々しくあるが彼は口角を上げて、皺を深めた。
「そ、そうですか」
「うむ」目を閉じ、口だけを動かす。「もっと重症の者の命を救うといい、ユフォン」
「分かりました。それじゃ、セラ。また」
「ユフォン」セラは彼を引き止める。「あなたもちゃんと休んで」
彼は戦場に出ていないというのに、目に見えて疲労している。治療に走り回っていたのだろう。彼が腰にしている魔素タンクも二本が空となっていた。普通のマカを普通に使えば一本で二ヵ月は持つというのに。
「何を言ってるんだい」ヅォイァとは種類が違うがどこか虚ろな目をして、ユフォンは笑顔を浮かべる。「治療組はこれからが本番だよ。あ、そうだ、一番大事なセラの治療を忘れるところだったね、ハハッ」
後頭部を掻きながら、セラの頬に手を伸ばすユフォン。優しく触れて、ブレスレットの水晶を光らせ治癒のマカを発動させる。
ほんのりと心地のいい温かさに包まれる。フォーリスにつけられた頬の傷は浅く、完全に消え去った。
「次は、脇腹かな」
ガルオンの爪が食い込んだ場所を、ユフォンが覗き込み、また手を当てようとする。が、セラはその手を掴んで止めた。
「これくらいなら、薬と煌白布でなんとかなるから」
「そ、そうかい? って、よく見れば細かい傷だらけじゃないか。すぐ全身に――」
「ユフォン!」彼の手を両手で包み込んで、キュッと握った。「大丈夫だから」
休戦中の今が一番忙しいという彼の言い分もわかる。だから、休んでとは言ったったものの彼を止めるようなことはしない。しかし、忙しいからこそ、しっかりと治療の順序を見極めてほしい。
「ユフォンの治療を必要としてる人はたくさんいる。こういう時だからこそ、ちゃんと周りを見て」
「……」
彼の目がしっかりとセラの顔を見た。ようやくだ。
「……でも、この場で怪我の手当てができるのはユフォンだけじゃない。自分が何とかしなくちゃって気持ちはわかるよ。わたしだって、そうしてここまで来たから。でも、本当は違うの。心では『わたしが』でも、わたしの周りにはいつも誰かがいてくれた。頼って、頼られて、そうやって進んできた。……わたしは、頼ってばっかだけど…………」
「っ……そんな……そんなことない」ユフォンは正気な目でセラを見つめ、彼女の手を包み返す。「君が頼られてばっかだって? そんなこと言ったら、駄目だよ。セラはみんなの支えなんだ! 道しるべなんだ! 僕だって君に出会わなければ、マカの一つも使えなかった。こうして、ここで君の手を握ることも出来なかったんだ……ごめん、僕は独りよがりになってたみたいだ、ははっ」
「おい、ユフォン。そんなことしてる暇あったら、俺治してくれよ」
ばつが悪そうに笑ったユフォン。そんな彼とセラの顔の間に頭を入れたのズィーだった。じっとユフォンを横目で見る。
セラの手を離し、ユフォンは軽口をたたく。「……ははっ、ズィプ。邪魔しないでくれよ、僕たちの時間を」
「何が僕たちの時間だ。ヅォイァのじいさんもいるだろ」とヅォイァに視線を向ける。「じいさん、次ユフォンがセラに言い寄ったら、追い払ってくれよ。『碧き舞い花』の剣としてさ……って、死んでるっ!?」
老人はセラとユフォンのやり取りの間にすでに寝入っていたらしく、それを見たズィーは、生死の境を彷徨っている者もいるという休養所でそぐわぬ大音声を上げた。
「ズィーっ! ヅォイァさんは寝てるだけだから。縁起でもないこと叫ばないで」
「……ぁ、わりぃ」
「ははっ、さてさて、それで『紅蓮騎士』殿はどこを怪我したのかな?」
「大丈夫よ、ユフォン。ズィーは無駄に丈夫だから」
「はっ!?……いや、セラ、俺、お前と別れた後、怪我してっから。ほらっ、ほらっ!」
「ふ~ん、でもユフォンが治すほどじゃないわね。わたしが薬塗ってあげるから、煌白布貰いに行こ」
「あ、待って、セラ! 僕が治すよ、これくらい時間もかからないし……ははっ」
「いや、筆師殿は他の人んとこ行って来いよ。セラが大丈夫だって言ってんだから」
「いや、駄目だね。セラも疲れてるんだよ。診察を見誤ってる。僕が必要だよ、ズィプには」
「おいおい、セラをけなすのか?」
「そういうわけじゃないよ、彼女の手を煩わせるまでもないってことさ。ほら、診せてごらん」
「いいって、セラにやってもらうからっ」
「いやいや、僕が――」
「んん゛っ、騒ぐなら外でやってもらえるか……?」
「ぁ、ヅォイァさん……ははっ」
「じいさん、起きてたのかよ」
「ああ、ちゃんと生きてるぞ、俺は」
「そっからかっ!?……狸寝入りしてたんかよ、たく」
「ほら、二人とも、ヅォイァさんだけじゃなくて他の皆の邪魔になるから」
「そう、だね。ははっ……」
「そう、だな。ははは……」
筆師と『紅蓮騎士』は声を合わせて苦笑し、それぞれ反対の方向に、黙って歩き出したのだった。




