332:青玉に碧
神が殺気と共に迫る。
疲労は取れている。痛み止めも効いている。そして何より怒りがいい具合に集中を生み出していた。彼女のサファイアに、わずかにエメラルドが煌めく。
その薄碧宿りし瞳は、ヨコズナをしっかりと映していたが、唐突に一つの影が視界を遮った。
「ジルェアス嬢っ!」
ヅォイァだ。彼女の怪我の状態や疲労を慮ってのことだろうが、今のセラにとっては邪魔な行為だと言えた。それにどう見積もっても、葉っぱを齧った彼女より老人の方が疲れているのは明白。一撃で吹き飛ばされてしまうのが目に見えていた。
「邪魔だ」
ヨコズナがヅォイァに向かって振りかぶる。
セラは一歩踏み出し、老人の肩を優しく押しやった。その動作のまま、流れるように右脚を振り上げた。剛健な拳とわずかに血を噴く健脚が快音を響かせぶつかった。
「ヅォイァさん、借りるね」
早く口に言うと、セラは老人の持っていた棒をすっと取った。その動作はあまりにも自然で、老人は棒が手から離れて一瞬、そのことに気付かなかった様子だった。
「休んでてください」
セラは老人を軽く押し退けて言うと、手にした棒を上側を押し下げ、下側でヨコズナの顎を狙った。
神は軽々と躱し、一度セラから離れた。と、そこへコクスーリャが攻め込む。二人が激しく打ち合い始めると、セラは再びヅォイァに言う。
「どこか、安全な場所で休んでください」
「何を言う。俺はお前のためにこの命を――」
ただ敵だけを見据えるセラの顔を見て、老人は言葉を止めた。そして頷く。
「分かった。ジルェアス嬢のための命だ。その心のままに。だが、その命が危ないとなったら、この命を代わりに投げ出す所存」
「そんなことさせません。わたしが自由にしていい命なら、なおさら。さぁ、化け物に気を付けて、行ってください」
添えるように老人の背に手を添えて、セラはヅォイァを送り出した。
敵から目を離して少しばかり彼の背を見送ると、今なお打ち合う神と探偵に目を向け直す。ヅォイァより借り受けた棒を、彼の動きを真似ね回してみる。
難しいことなんてない。使えこなせそうだとセラは思った。
ピシッと棒の回転を止め、構える。
ゆっくりと瞳を閉じ、息を長く吐く。そして目を開ける。
再びその姿を見せたサファイアには、先程までより濃くエメラルドが宿る。
コクスーリャの下段蹴りをヨコズナ神が跳んで躱したところに、セラは花を散らし現れた。
はだけた胴を狙い、棒を振るう。
宙に舞い躱すことのできない神は甘んじて彼女の攻撃を受けた。が、大して効いてはおらず、脇を閉めて棒を挟みこんだ。
その力に棒が抜けそうにないと見るや、セラはその相手の強固さを利用する。挟まれて微動だにしない棒を支えに、両脚を振り上げると、大きく旋回しヨコズナの顔面目がけて両膝を合わせる。
これに神は棒を抱えていない方の腕で顔を守り、そのままその腕を払い、セラを吹き飛ばす。
「っぐ……」
腕を振るったものの、それはコクスーリャを目を向けるだけで吹き飛ばした力だった。セラは乱回転しながら宙を舞う。しかし感覚は戦場を把握できている。彼女が吹き飛んだところで、すかさずコクスーリャが神の懐に入り込み、ケン・セイ顔負けの掌底を打ち込んでいた。
「ぶぅぁっ」
さすがのヨコズナもこれには唾と共に息を吐かざるを得なかったようで、数歩後退り、その脇から棒が解放される。
敵が怯んだ機を逃すわけにはいかないと、セラは回転したまま地面に向けてナパードをした。数度、強い力で地面に叩き付けらたのち、受け身を取ると、脚に力を込めて駿馬を繰り出す。
低い姿勢のまま直進し、今まさに地に落ちようとしていたヅォイァの棒を掬い取り、急停止と共に反転。今度はヨコズナの足を薙ぎ掬った。
倒れていく神は受け身を取る姿勢になっていく。さらには彼女に向けて脚を振り降ろそうともしていた。セラが足を掬ってくることは読んでいたようだった。
一対一であれば受け身を取られ、反撃をされていたかもしれない。
だが今は二対一。
ヨコズナが受け身を取ろうと地面に差し向けた手を、コクスーリャが蹴り弾く。その衝撃でヨコズナの巨躯はわずかに回る。
好機。
トン゛ッ――。
セラは力強く棒で地面を突くと体を跳ね上げ、大きく弧を描いて、華麗に、その踵を神の背中に落とした。
「ん゛ぬおっ……!」
闘気の放出はもちろんのこと。その一撃の衝撃はヨコズナ神を通り越し、土煙を伴い、大地を大きく砕いた。
そしてセラには薄っすらと、碧きヴェールが纏わりはじめていた。




