326:コクスーリャの救済
「なんだコクスーリャ。こいつとお前になんら関係があるのは承知してるが。外の者より、内の者。お前がこいつをどうこうしたいという話は通らんぞ」
「分かってるよ」
コクスーリャはそう言いながらも闘技場へと上がった。二人のもとへ歩み寄ってくる。
「しきたりに従えばいい、だろ?」
「分かっているのなら、なんだ」
「外の者より内の者。だから俺より格下のあなたも上から物を言える」
「三番手様でも外の者だからな。それで? 何が言いたい? 何故闘技場に上がった」
コクスーリャはハマヤの前で足を止める。
「何が言いたい、か。そうだな、あんたが俺より弱いってこと」
「? は、っつ!?」
コクスーリャの気配が一瞬にしてハマヤのそれを上回った。かと思えば、セラは苦痛から解放された。
大男の腕が、あらぬ方向に仰け反っていた。
「貴様、コクスーリャ、何を! 裏切るか!」
正常な方の剛腕でコクスーリャを狙うハマヤ。しかし、その腕は軽く弾かれた。
コクスーリャはセラを自身の方へ優しく寄せると、胴をがら空きにしたハマヤに対し、軽く足を上げ、蹴った。
彼の腕の中、間近でその動きを見たセラは、彼にケン・セイの姿を重ねていた。彼が『闘技の師範』を観察していたからだろうか、心なしか動きが似ていた。しかし力はケン・セイ以上のものを感じた。これはケン・セイが劣っているのではなく、彼がここまでの力を出して戦っていなかったのだと考える方が妥当と思われた。むしろ彼ならばコクスーリャをも上回るのではと。ハマヤの速度をケン・セイ以上に体感したが、それ以上を出せるのが賢者だろう。
フェリ・グラデム出発前に感じたように、やはり、賢者の背はまだまだ先にある。彼らより前にも、今のセラでも敵わぬ戦士が数多くいる。今思えば液状人間もそうだった。特殊な状況ではあったにしろ、彼女一人では敵う相手ではなかった。今まで考えとしては持っていたが、改めて思い知らされた。
「昨日は悪かった」コクスーリャがセラにだけ聞こえるように小さく言う。「監視が来てたから手短にと思ったんだけど、薬のせいで大事なことが言えなかった」
「なにを言おうと?」
「セブルスは俺が殺すって」
「そっか」
セラは納得した。セブルスであれ、セラであれ、実際に殺さないからこそ口にできなかったのかと。
「ってことで、今からセブルスを殺す。いいよな?」
「なにをするの?」
「しきたりに従うのさ」爽やかに笑むコクスーリャ。「けどその前に――」
野太い声がしたのはその時だ。
「コクスーリャ! お主、命を捨てる覚悟はできておるんじゃろうのぉ?」
二人は第一階層の男たちに囲まれていた。シメナワをはじめ、フェリ・グラデム人と見受けられる者たちがこれでもかと憤怒で顔を染め上げている。他の数人も怒ってはいるが、必死さが弱い。
「神前での不義。命一つでは足らんぞ。幾千幾億の死を持って償ってもらおう」
「神に対する不義なら、あなたたちの方じゃないのか?」
「何を?」
「聞け、フェリ・グラデムの神よ!」
「まさかっ!」
慌てた様子でシメナワが二人に突進する。ハマヤに並ぶ速さで、コクスーリャが二の句を告げようと口を開きかけた時には二人のもとへ到達していた。
「こ、っぐ……」
コクスーリャが殴り倒され、セラも一緒に地面に伏す。
が、その二人の姿がじんわりと消えていった。
「! 分け身だと……! ハンスケから盗んだかっ!」
そう、この時コクスーリャとセラはすでに神前の台の上に立っていたのだ。
シメナワの野太い声が聴こえる中。
コクスーリャはセラに気配を抑えるよう指示した。彼女が従うと、その手に黒光りする指輪を煌めかせ、地面に空間の穴を出現させた。黒く縁取られた青白い光によって作られた暗黒の穴。ロープスだ。
二人は重力に従い穴に落ちた。そして台の上へと移動した。
そんな二人に代わるように、コクスーリャが二人の分化体を出し、一方を瞬時にセブルスへと変装させたのだった。
一瞬の早業に加え、コクスーリャは二体の分化体の気配を、わざとらしいくらいに膨れ上げさせていた。だから、周りの戦士たちも気付かなかったのだ。
「ヅォイァぁぁ! そやつの口を塞げぇ!」
台に立つ二人に即座に気付くと、シメナワが叫ぶ。台の前にはヅォイァ老人が残っていた。
しかしその叫びに老人は首を横に振った。安らかな表情で言う。
「俺はすでに死を前にするだけの身。未だ命あるとはいえ、俺の命を奪ったのはここにいる戦士だ。死してなお、刃を向けるなど戦士の恥だ!」
「おのれぇ!」
怒りに顔を歪め、動き出すシメナワ。他の戦士たちもすでに動いている。だが、遅い。コクスーリャの口は開く。
戦士セブルスの存在を殺す言葉が放たれる。
「ここいる戦士は、男ではなく女だ」
その宣言に駆け出した戦士たちをはじめ、観客たちも息を呑み、静止した。
空気が震え、ヨコズナ神が動く。
その顔を台の前まで落とし、洞窟と見紛うほどの口を開く。セラの視界はヨコズナ神で埋め尽くされる。
「女……。さようか? どれ……」
じろりと巨神の目がセラを見る。
彼女はその目を見返しながら思う。このまま番狂わせが起きてしまうのか。コクスーリャは番狂わせを起こす気なのか。この状況で男たちに力の逆転が起これば、手負いのセラ一人でも太刀打ちできる状況になるのかもしれない。彼はそれを狙っているのか。しかしそんなことをすれば、彼の『夜霧』への潜入はこれ以上不可能になってしまうのではないか。
神から目を逸らし、横にいる探偵を見やる。
その視線に気づき、彼はセラを横目で見て笑う。かと思うと、神に視線を向ける。
「セラフィ、普通の声で喋ってみせて」
「あ、うん」セラは女声に戻し、一瞬何を言おうかと迷ったのち喋り出す。「えっと、神様なら知ってると思うけど、下の、最下層のこと――」
「ほう!」
セラが最下層の話をしようとしたところで、ヨコズナ神は嬉しそうな声を上げた。
「確かに! 女の声だ! んーしかしその恰好は、女のものではない」
「ヨコズナ神よ」コクスーリャがすかさず言う。「これは男装だ。彼女の名前も、セブルスではなく、セラフィという。れっきとした女性だ」
「うむ、ほうほう……すんすん……ほうほう、なるほど。血と汗に混じりて、微かに匂うは女の匂い。……しかし、しかし。女がこの世にいたのならば、なぜ今まで我の前に見せなかった。約定を破ったか、人間どもよ」
闘技場に冷たい空気が垂れ込めてきた。心なしか黄金色の輝きも弱まったようだ。そして、戦士も客も怯えの色を見せる。
もしや番狂わせ以上のことが起きるのではと、セラも冷や汗を滴らせ、息を呑む。
「違う」
ただ一人、コクスーリャだけが毅然とした態度で神に臨む。




