2:リョスカ山
セラフィは十一歳の少女になった。
このころのセラは顔立ちも体も徐々に女性のものへと変わってきていた。が、性格というか、その行動は少女というより少年のものだった。服装も王女とは到底思えない、膝小僧を出す始末だった。
日がな一日、トトスの森を駆けまわったり、ミャクナス湖に飛び込んだり泳いだりしていたのだ。
それもこれも、ズィプガルをはじめとする町の少年たちと過ごしていたからなんだが……。
五歳の時初めて会ってから、セラとズィーはよく会うようになった。お互いに意図していたわけではなく町でバッタリ顔を見合わせるのだ。まるで運命というものがあるかのように。
二人は次第に口をきくようになり、セラはズィーを筆頭とする町の少年グループと遊ぶようになっていった。
「なあ」
城下町から少し離れた小高い丘に立ち、ズィーはミャクナス湖の向こう、青々とした山を指さす。リョスカ山だ。
丘に寝転がっていたセラを含めた四人は、起き上がってズィーの指の先を眺める。
「何やってんだよ、ズィー」
「ナパード酔いで頭おかしくなった?」
少年の一人が言うと、すかさずセラが言う。
「酔ってねーわっ。おかしくなってねーわっ!」
「ああ、ズィーの頭が悪いのは昔からね」
「そうだ、昔からだ。って、頭悪くねーわっ!」
「夫婦漫才はいいよ。で、なんだよ、ズィー」
セラとズィーのやり取りに他の三人は笑う。その中の一人がズィーを促す。
「ああ。俺たちさ、ここからリョスカ山くらいなら楽勝に跳べるかなって考えてたんだ」
「ええぇ……無理だよ」
「僕たちには厳しいね」
「ズィー、さすがにないわ」
三人の少年は皆、首を横に振ったがセラは違った。サファイアの瞳を輝かせ立ち上がると、
「うん! 行けるよ。やってみよう!」
と、ズィーに提案した。しかし、ズィーはここでたじろいだ。確かにズィーにも自分のナパードに対しての自信があったのかもしれない、しかし、十一歳の少年だ。みんなの前で見栄を張ることくらいよくあることだ。
「うぇっ……そうか。そうだよなぁ……俺とセラなら、行ける、よな」
ここでまたズィーは見栄を張った。女の子であるセラが行けると言っているのに、男の自分が、自分で言い出したことにも関わらず、やはりやらないというのでは格好がつかないからだ。
「うん! 行こっ!」
「ぉ、おう、じゃ、行くか」
「みんなはここで待ってって」
そう、残る少年たちに告げるや否や、セラは碧き閃光と共にその姿を消した。
リョスカ山はナパスの民に親しまれ、レジャースポットとなっていて登山道もつくられていた。だからこそ、子供だったセラとズィーは安全だと思っていた。なぜ、登山道というものがあるのかなんて考えもしなかったんだ。
二人は互いに近場に姿を現した。人の手が入っていない自然そのままの斜面の上だった。背の高い木々が光を遮り、辺りは太陽が沈んだ直後のような暗さだった。
「やった! ほらね! 跳べたでしょ! みんなも来ればよかったのに……って、ここどこかな、リョスカ山にこんな暗い場所あったっけ? ねぇ、ズィー、聞いてる?」
「ぉうっ……」
ズィーは遠距離のナパードに成功したセラのはしゃっぎっぷりについていけるような状態ではなかった。慣れない距離のナパードによるナパード酔いで、跳んできた場所でうずくまっていた。
「なぁに? 酔ったの? しょうがないな、帰りはわたしが一緒に跳んであげるよ。ほら、立って」
得意気に胸を張りつつ、ズィーに手を差し伸べるセラ。
「だいっじょぶだよっ! ちょっと酔っただけだか、らっ!」
ズィーが彼女の手を支えに立ち上がろうとしたそのとき、よろめいたズィーが足を滑らせた。彼女は咄嗟にズィーの手を強く握ったが、少女の腕力でどうにかなるものではなかった。
二人は草木に覆われた斜面を滑り、転がり、梢や葉っぱ、それから小石に体を傷つけられながら大きな岩に体を打ち付けるまで落ちた。
「痛ーい……もう、気をつけてよね…………ズィー……?」
冗談交じりに笑うセラだったが、ズィーの反応が全くなかったことを不思議に思いズィーに目を向けた。そこには額から大量の鮮血を流すズィーの姿があった。セラもそうだったが、顔や体中に小さな切り傷がたくさんあった。しかし、ズィーの状態はそんなたくさんの傷を心配するような状態ではないことをセラは察した。
「ズィー!!」
彼女は慌ててズィーの体に触れ、軽く揺すった。しかし、ズィーから反応が返ってくることはない。気を失っている。
元から色白なセラの顔はそれを差し引いても血の気が引いているのがはっきりわかるくらい、蒼白になっていた。まるで氷水に浸かったかのように唇は震え、瞳は行方不明になった焦点を探す。
「ズィー……ズィー……ズィー……」
彼女の震える口は、小さく震えた声で友人の名前を連呼する。
すると、彼女の腕をズィーの手が弱々しく掴んだ。
「……! ズィー! ズィー! わたし……ごめ――」
「と、べ……」
狼狽える彼女に対し、薄っすらと意識の戻ったズィーは冷静だった。多くを語ることはできないが、町へ、みんなのもとへ跳べばなんとかなると、頭がしっかりと回っていた。
「……うん!」
セラは腕を掴むズィーの手に空いている手を添えて、跳んだ。
二人が跳んで消えた場所には落ち葉が虚しく舞って、落ちた。
セラは王城へと跳んだ。
それも、ピンポイントで姉、スゥライフの部屋へ。
スゥライフは薬草の知識に明るく、傷の手当てをしてもらえると考えたのだ。
「セラ!? どうしたの!? ズィプくん! 酷い怪我じゃない、こっちに」
突然部屋に現れた妹に、母より少し濃い色の髪を振り乱し、母より明るい瞳を見開いたスゥラは、セラとズィーの様子を見てすぐさま真剣な表情でベッドを示した。
そして、ベッドにズィーを寝かせ、セラを椅子に座らせると、青紫の閃光と共に消え、すぐに王城に仕える薬師と共に姿を現した。セラは姉のその行動を疑問に思ったが、彼女は薬草の知識に富んでいるものの、明らかに重体であるズィーにはさらに上の技術と見解がいると判断したのだと後になって気が付いた。
「どうですか、先生」
「額の傷は血の量に驚くだろうが、そこまで重症じゃない。恐らく、頭を打った衝撃で昏睡に近い状態になっているのでしょうな。傷の手当てをして、しばらく安静にしていれば大丈夫でしょう」
セラは薬師のその言葉を聞いてスーッと落ち着いていく。
「小さな傷の方はスゥライフ様の方で薬を作ってもらえれば大丈夫でしょうから、セラフィ様も含め、そちらはお任せします。では、さっそく治療していきましょうか」
薬師の的確な処置によってズィーの額の傷は、傷跡は残ったもののしっかりと塞がった。顔や体中の傷もスゥラが薬草から作った軟膏を塗ることで数日で消えるとのことだった。
しかし、セラが安心したのも束の間、大事が起きたのはその日の夜のことだった。
セラの部屋で、明るいブロンドの髪が逆立つんではないかと思わせるほど、レオファーブ王がセラにお説教しているときのことだ。スゥラがナパードを使ってセラの部屋に現れたのだ。それも、ものすごく血相を変えて。
「スゥラ、まだ説教中だぞ」
「それどころではありません、お父様。セラ、一緒に来て」
スゥラはセラの腕を掴むと一緒に跳んだ。
部屋には父親が独り、残された。
スゥラのナパードでスゥラの部屋に跳んできたセラは息を呑んだ。
薬師の話では、安静にしていれば大丈夫だということだったのに、スゥラのベッドの上では大量の汗をかき、ズィーがもがき苦しんでいるではないか。
「ズィー! どうして……?」
ベッドに縋るように駆け寄るセラ。姉の顔を見つめる。
「なにかの毒ね。ねぇ、セラ。二人はリョスカ山のどの辺りで落ちたかわかる?」
スゥラが優しく訊くが、セラは俯き首を横に振る。
「そうか……。リョスカ山にこんなに熱が出て苦しむ毒を持つ植物なんてないはずなのに……」
「スゥラ姉様……ズィーは大丈夫なの?」
サファイアの瞳を潤ませる妹に、姉は優しく、そして力強く頷いた。
「大丈夫。お姉ちゃんに任せなさいな」
その日はひとまず解熱作用のある薬草と痛み止め作用のある薬草を煎じてズィーに飲ませ、次の日からスゥラはリョスカ山のありとあらゆる植物やキノコを採集した。
しかし、彼女の思った通り、ズィーの症状を引き起こす毒が発見されることはなかった。
時間が経ってもズィーの症状が良くなることはなく、とにかくもがいていた。解熱と痛み止めしか、スゥラができることはなかった。
妹の友のために寝食を忘れ研究すること二日目の深夜。スゥラは別々の植物同士の毒を合わせてみることにした。各々は弱く、感覚を麻痺させたり、吐き気を催したり、下痢を引き起こしたりするもので、薬としても使われるリョスカ山の植物やキノコだが、ズィーが多くの切り傷まみれだったことから、いくつかの毒が合わさり強力な毒を産み出したのだと考えたのだ。
そして、彼女の考えは当たった。
腸の働きを抑えるホポリの葉と、震えを引き起こすビノンの花粉が合わさることで激しい痛みと発熱を引き起こす毒が出来上がった。そこに、体温を下げる働きのあるスクァの葉の毒が合わさり、直後ではなく数時間後の夜にズィーが苦しみだしたのだと導き出した。
毒がどんなもかが分かってからのスゥラは早かった。セラに手伝いを頼み、一緒に解毒薬を煎じた。寝食も忘れて研究に励む姉の姿は、セラにとってとても魅力的に見えた。