276:七色に彩る
かくして、ホワッグマーラを脅かした男は囚われの身になったわけだが、世界が元に戻ったわけではない。
人々の救出・解毒作業からはじまり、『竜宿し』に毒された水源の浄化、生体系の調査、液状人間への処分……そして、これは戦地となった場所に限るが、再建と復興。
戦いを終えたセラもすぐにマグリアの救出作業を手伝おうとしていた。ヌーミャルが魔闘士を呼び寄せたことで他の場所に比べて人数が多いうえに、洪水により捜索すら困難な状況だ。彼女の超感覚やナパードは大いに役立つだろう。
しかし、彼女の助けは必要なかった。
『奇跡の法』。
冗談交じりだが大いに尊敬の意を込めて、フェズルシィの使う太古の法をこの日からそう呼ぶようになった。
「はやく異世界に行きたかったからだ」
最後につまらなそうにそう言った、天才フェズルシィ・クロガテラーがやったこと。
それは太古の法による人々の救出。
濁流に飲まれた人々を、誰一人として余すことなく一瞬で水から引き上げたのだ。いとも簡単に。
隊を成す鳥のごとく、晴れ晴れとした空の一か所に集められる人々。あっという間に人の塊が出来上がると、フェズはズィーとセラを呼ぶ。
「全員いっぺんに跳ばせるよな?」
当たり前、とは言わなかったが、彼の言い方には当然の意が込められていた。
「言ってくれるじゃんか」ズィーが口角を上げる。「渡界人舐めんなよ」
「ふふっ」
セラは苦笑ぎみに微笑んだ。彼女の助けが必要ないわけではなかった。天才がどれ程に欲しても手にすることのできないものをセラとズィーは呼吸のように行える。それが少しおかしく感じたのだ。
ズィーの支えから離れるセラ。
「どこに跳ぼうか」
それから数日が経過した。
避難していた人々も『竜宿し』の解毒が終わった人々も、続々と各々の居住地へと戻っていき、日常を取り戻し始めていた。
マグリアを除いては。
ヌーミャルとの戦闘の場となった場所はそれぞれに被害があったが、奇しくも始まりと終わりの地となったマグリアの被害は特に大きく、再建には多大な時間を必要とすることは誰が見ても明らなことだ。
レンガの街の再建は、復活したブレグ隊長やマグリア開拓士団の団長ヴェフモガ・ジュ・クルートなどを筆頭に、クラスタスやヤーデンなど他都市の著名人も多く参加し、順調に進んでいる。
けれど、これを綴っているのはもちろん軸歴775年だから、当然マグリア復興は今も行われていることなわけだ。ははっ、今の僕にとっては最近の出来事なわけだ。復興を機に魔導・闘技トーナメントを行うことが計画されているらしいけれど、いくら順調とは言ってももうちょっと時間がかかりそうだと、この前ニオザに連絡を受けたことは記しておこう。
話を当時に戻そう。
復興作業がマグリアで行われている中、セラはホーンノーレンにいた。
現在ヨルペン帝の帝居に各都市の帝や代表たちが集い、液状人間ヌーミャル・コーズの処分について話し合っている。
セラはドルンシャ帝、ヒュエリ、ユフォンと四人で会議室に入った。だが、あまりにも位の高い会議ということで、帝であるドルンシャと今回の件で最初に指揮を執ったヒュエリ司書を残し、渡界人と筆師は、テーブルの中央にヌーミャルの納まったガラス玉が置かれるところまでを見て、退室することになってしまった。
そんな二人が会議が終わるまでの時間を過ごすのは、デェルブ・ホーン・ノーレンの前。つまり薄群青の街の心臓部ともいえる井戸だ。
ヌーミャルに壊された東屋や砕けた石床はすでにきれいに修復されていたが、ユフォンが以前言及した天井から出るという水は依然、その姿を見せていなかった。
再開の日。
二人がこの場を訪れる二日前、ホワッグマーラの水源の浄化は完了していた。そして、ホーンノーレンの井戸も本日、帝の会議に合わせて再開される段取りになっていたのだ。
だから二人はここで交わした他都市を見て回る約束の、その第一歩を踏み出そうとしていたのだが、この有り様だ。
「う~ん、早かったかな?」セラは首を傾げる。
「会議が終わってからなのかも」ユフォンも口を捻る。
「どうしよっか。マグリアの方、行く?」
「そうだね。戻って来る頃にはきっと――」
「あ、待ってユフォン」
セラは嬉しそうな表情で彼の言葉を止めた。
「まさか」
「うん」
石床の下に水の流れを感じた。そして間もなく。
プシュッ――。
屋根に設けられた噴霧口から、他者からの支配から解放されたことを喜ぶように爽快な音。霧雨よりも細かく水が噴き出し、辺りを湿らせてゆく。
東屋の中にいた二人は、じんわりと潤う空気を感じながら微笑みを交わし合う。
「ぁ」ふとユフォンが小さく気付きの声を上げ、セラの後ろを指さした。「見て」
無言のまま振り返り、セラはサファイアを七色に彩った。




