207:酷い悪夢
アルポス・ノノンジュ滞在、最後の夜。モロモの旅館で自ら応急処置を施しながら、セラは外向きの窓から巨人の世界を見る。
巨人たちが騒がしい。あちこちで蔵を調べているのだ。
捕えたプルサージを連れ、イソラがデデボロとロンドス、そしてナロダロのもとを訪ねていったのはついさっきのこと。事の顛末を三人に話し、『夜霧』が使っていた唐草模様の蔵を見せたことだろう。
それにしても動き出しが早い。夜だというのに三人の巨人だけに留まらず、大勢の巨人たちが街に繰り出している。働くことに熱心であり、互いの仕事に誇りを持っている巨人たちの協力体制は強固なものだ。
噂が広まっていたことも手伝って、禁止されている武器、鎧といったものが蔵に預けられると分かるや否やの調査開始。全ての蔵に対して迅速かつ慎重な調査。それにはイソラもプルサージを監視しつつ同行している。彼女の超感覚は巨人では見抜けぬ欺きに効果的だろう。
これがアルポス・ノノンジュやいくつかの軍事世界の中では有名な出来事として知られる、『巨兵の一夜浄蔵』である。
街は喧騒に満ちているが、セラを不意な眠気が襲ってくる。恐らく夜通しとなる作業を手伝っているイソラには悪いと思いながらも、セラは応急処置を終えると、鎮痛剤を超えてくる痛みに忍び耐えながら眠りについた。
その日の悪夢はいつも以上に酷かった。
痛みが助長させる。
シーツがよじれるほどセラはうなされていた。ひどく汗をかき、白銀は純白の額に張り付く。
起きたくても起きられない。悪夢が覚醒しようしようとする彼女をがんじがらめにして引き止める。無理やりに水面に顔を押し付けられているような不快感。空気を求め息をした途端、口からは水が入り込んでくる。もがくが、逃れることができない。
意識がはっきりしているが故に、苦しい。
夢と現実の狭間を彷徨う。幻覚を見せられたからだろうか、そんな思いを強く感じる。
誰か、起こして……。
「セラ!」
不意に幼馴染の声が聴こえ、セラの意識は一点に定まる。夢側だ。そう彼女が判断するのは当然だった。
成長したセラフィとズィプガルが剣を構え、背中を合わせるのは、故郷。
エレ・ナパス・バザディクァス。
赤々と燃え爆ぜる城下町。
「俺から離れるなよ。絶対」
とズィーがセラを一瞥しながら言った。
すると――。
「熱いこと言うのは戦いが終わってからにしろよ、ズィー」
「そうだよ……集中しなきゃ」
「死んだらキャッキャウフフも出来ないだろ?」
セラの顔は三つの声にぐしゃっと歪む。細められた瞳からは涙が溢れる。ズィーを筆頭としたグループの三人が精悍な戦士として、二人と共に剣を構えていたのだ。
一人は戦死し、他の二人は拉致された。一緒に戦うことなど、ありえない。幻覚を掛けられたことに影響を受けたのだろうか、今までで一番飛躍した悪夢だ。
そう、悪夢だ。
突然にして時は進み、セラとズィーはついさっきまでとは打って変わってボロボロの姿になって、血溜まりに立っていた。
セラは息を呑む。
辺りには無残に斬り裂かれた三人の友の死体が転がっていた。大きく腹を割られ、腸がだらりと顔を出す。骨をむき出しにした斬り口からは、切れたばかりの血管がぴゅーぴゅーと血を噴き出している。首の皮一枚で繋がった頭が、今、ぼとりと落ちた。
溢れ出ていた涙の意味が変わる。
ぴちゃ、ぴちゃ――。
血溜まりを歩く音がして、そちらに目を向けるとサファイアは怒りを灯す。
ガフドロ・バギィズド。
赤褐色の髪と瞳の大男が、血に濡れた大剣を肩に担ぎ、下卑た笑みを浮かべていた。
「ふん゛ぁああっ!!」
怒りに身を任せ、セラはガフドロに跳び掛かる。
「セラっ!」
ズィーが叫ぶが、彼女は止まらない。無知な剣士同然の隙だらけな攻撃。当然に反撃が飛んでくる。
「ぅがっ…………」
何が起きたか分からぬ間に、ズィーの腹に大剣が深々と刺さっていた。不吉な湿った音を立てて、それが抜かれる。
ドッと『紅蓮騎士』の膝が落ちた。セラはすかさず抱きかかえる。「ズィー!」
「……大丈、夫か……セ、ラ…………」
ルビーの輝きが失われた。
『碧き舞い花』に大男の影が落ちた。
顔を上げた彼女に向かって、大剣が振り下ろされた。
「セラお姉ちゃん!」
これは現実の呼びかけだ。起き抜けだというのに、はっきりとした意識で判断した。
脂汗で顔がべたつく。濡れた布を張り付けられたような感じの中、セラは自分を心配そうに見下ろす褐色少女の名前を呼んだ。
「イソラ……」
夜通し動き回っていたのだろう。差し込む朝日が、滲む汗を煌びやかな装飾へと変えている。
「……大丈夫?」
「うん……悪い夢を見てただけ。傷の方は、まあ、大丈夫じゃないけど帰ればどうにかなるよ。それより、イソラの方は? 寝てないんでしょ?」
「ニシシッ……あれくらいの捜索なら問題なし! 前の方が大変だったもん」
イソラの表情が翳る。何日にもわたりヒィイズル中に意識を向け、戦禍に晒された人々を探していたのはついこの間のことだ。傷は癒えていないことだろう。ヒィズルもイソラ自身も。
「秘密裏に蔵を使ってた人たちが結構いたんだよ。ほとんどが武器庫で見飽きちゃったよ、武器」
おどけて笑うイソラ。つられてセラも小さく笑う。
「ふふっ……。ところで、あいつ。プルサージは?」
寝起きということと、傷の痛みで超感覚や気読術が不安定なのか、山高帽の気配を感じることができなかったセラはイソラに問う。
「ああ……」イソラがソファに目を向ける。「体力ないよね、一日歩き回っただけでぐったり」
セラはイソラに支えられながら体を起こした。「……ほんとだ」
山高帽を顔に乗せ、ソファに沈むプルサージ。元々戦闘要員として『夜霧』にいたわけではないのだろうから、体力がないのだろう。
「こいつが寝てる間にスウィ・フォリクァに帰れば場所がばれないから、いいんだけどね。ニシシシッ」
「そうだね、じゃあ、帰ろうか」
そう言って、セラフィはアルポス・ノノンジュの朝日に目を細めたのだった。




