205:信じるべきは
「セラお姉ちゃん! あたしだよっ! それに、ここはもう蔵の中だよ!」
幻覚のイソラはセラを惑わせようと、必死に叫ぶ。
だが、セラは攻撃の手を止めない。どんなに姿形、気配までもが彼女の知るイソラであっても、目の前にいるのは『夜霧』のプルサージ。気を許せば、致命的な反撃を受ける。
二人の戦いは激しさを増し、纏っていたローブは役割を失い床に伏している。しかし未だに互いに決定的な一撃を見舞わせることは出来ない。幻覚のイソラに至ってはどうにも決定打を繰り出さないようにしている。セラを傷つけまいとしているようだ。
組手ですら本気の鋭さを向けてくるイソラ。普段とは違う。だが今は戦闘におけるイソラの集中力や鋭さをわざと再現しないことで、仲間同士で本当に戦っているのだと錯覚させる敵の策に違いない。
幻覚はセラの猛攻を本物のイソラよろしく自由自在な立ち回りで避けながらも、なお叫ぶ。
「あたしはあたしだよっ! 幻覚じゃない! セラ、お姉ちゃんなら、見抜けるはず! 惑わされないで! 敵は、あっち!」
あまりの必死ぶりに惑わされてはいけないと思いつつも、イソラが顔で示した上層を見るセラ。だが、やはり幻覚の戯言だと知る。
そこには誰の姿もない。どれほど感覚を高めても何も感じない。
一瞬できた隙をついて、イソラがその方向へと跳躍した。空中でタンッと足踏みを一度する。天馬だ。
「お前を倒して、セラお姉ちゃんを元に戻すっ!」
誰もいない空間へと向けられたイソラの声には、敵に対するときの鋭さがあった。本来の戦闘中のイソラそのものだ。
もしかすると、本物なのだろうか。
そんな疑問と共にルルフォーラの言葉が頭に浮かぶ。
――あなたの天敵ね。
それはプルサージに対し、イソラについて言った言葉。
そして、イソラはずっと武器を武器として捉えていた。巨人たちが欺かれる中でもだ。つまり、イソラには幻覚が通じない。恐らく、『神降ろしの巫女』ヌォンテェに匹敵する超感覚の前では、プルサージの幻覚は意味を持たないのだ。
イソラが宙を舞う中、ナパードの如く閃きが舞い上がった。
さっき、イソラはここはすでに蔵の中だと言った。その前にプルサージはここが幻の蔵だと言ったセラに対してご明察と答えた。
セラはゆっくりと瞼を閉じた。そして、これまたゆっくり開いた。
敵の言葉と友の言葉。
どちらを信じるかなど、問うまでもなく決まっていることだ。
だが、まずはあのイソラが本当に本物なのかを確かめる必要がある。セラが今のような考えに至ることまで考えてのプルサージの欺きの可能性も拭いきれないのだ。なんせ、ここが本物の蔵ならばどうして『夜霧』の兵の影が見当たらないのかが分からないままなのだから。
これ以上、考えていても始まらない。試してみよう。
心の中でそう自分に言い、彼女はイソラの向かう先に先回りするように花を散らした。
セラはイソラを正面に捉えると深く息を吐き、ゆっくりと吸い戻した。
「どいて! セラお姉ちゃんっ!!」
光の失われた瞳とサファイアが真っ直ぐに見つめ合う。
幻覚は自分が見ているもので、相手が実際に姿を変えているわけではないだろうという考え。覚えたてで未熟な技で幻覚を吹き飛ばせるか確信がなかった。それらの理由で使わなかったが、試す価値はあるだろうと。
彼女は短く、だが強烈な掛け声を上げた。「はっ!!」
声は風圧を伴う。気魂法だ。
スウィ・フォリクァでの五日間で学んだ技術の一つ。モノノフ、マツノシンが恐縮しながら教えてくれたものだった。
マツノシンのものに比べれば弱い風は、イソラのぴょこんと束ね立てられた前髪を揺らした。それだけではない。セラを中心に起こったその風は、一瞬だが周囲に多くの人がいることを露わにした。そして彼女の背後、イソラの向かっていた先には山高帽の姿があった。
上手くいった。これは幻覚。
セラがそう判断を下すと共に、周囲から人の姿は消え、向かってくるイソラだけがセラ感覚の中に残った。
「イソラ、ごめん!」
向かってきていたイソラを謝りながら受け止めるセラ。
「ううん、セラお姉ちゃんならやってくれると思ってた。てか、今のまたあたしの知らない技だった。いいなぁ!」
「たぶんこれはイソラにもできるよ。後で教えてあげる。それより、今は集中しっ……」
話の途中だったがイソラがセラを引っ張った。すると突然イソラの腕に小さな切り傷ができた。
「イソラっ!」
「大丈夫だよ、これくらい。それより、まだ、幻覚を解いたわけじゃないんだね」
「当たり前です。まさかあのような方法で幻覚を打ち消すとは思いませんでしたがね、あの程度ではわたくしの幻から抜け出すことなど出来ませんとも」
彼女たちの前、血の付着した剣を持ったプルサージが姿を現した。血はイソラのものだ。
「同士討ちさせる作戦だったが、変更です。皆さん、まとめて掛かりましょう。特に『碧き舞い花』を狙うといいでしょう。あなたたちの姿を認知していないですからね」
偽りを作り出すだけがその能力ではなかった。見せないこともまたその範疇だったのだとセラは知ることとなった。
「イソラ、どれくらいいるの?」
辺りを警戒しながらセラは訊く。
「数えきれないくら、後ろっ!」
イソラの声を聴くと、すぐさま後方にオーウィンの腹を向けたセラ。だが感じ取れない攻撃を防ぐことは出来ず、頬が斬れた。
「っ!」
攻撃の衝撃から見て矢だとわかる。ここには多くの武器がある。それなのに何もわからないのでは足手まといだ。
「ごめん! あたしの説明が足りなかった」イソラは申し訳なさそうに言う。「もっと詳しく説――」
「? イソラ?」
隣りで聞こえていたイソラの声が、気配と共に消えた。




