172:迫る刃に、散りゆく血。
「サパル、俺を……俺ごと、殺せっ……」
エァンダの声は苦痛に耐えるそれだった。エメラルドの瞳は充血し、友を見つめる。
「何をっ! 無理に決まっ――」
「俺の、不注意だ……サパル! お前にしか、頼めない。殺せ!」
「セラ、薬はまだあるかい」
「はい!」言われるより早く、セラは解毒剤を取り出していた。すでに沈殿を解き、準備は万端だ。「すぐにでも」
「来るなっ! もう、遅い……。抵抗ならもう、してる……んだ。で、も、コイツ……早い……だから! 頼む、よ……サパルっ!」
苦し気に膝をつくエァンダ。それは懇願のようにも見て取れる。
「お前には、色々、面倒事ばっか……頼んで、悪かった、けど……これで、最後だから……ああ、あのことだけは、俺が死んでも、頼むな……」
「馬鹿なこと言ってるんじゃない! お前がいなくてどうする! 僕だけが協力してもらって終わるなんて、許さないからな。待ってろ、今、鍵、閉めるから。そいつの動きを留めるんだ! 対処はその後に……」
サパルの呼びかけも虚しく、エァンダは首を横に振った。
鍵を持ったサパルの手に大きな力が入る。そして、鍵が折れた。
「できるわけないだろ! 殺せるわけ、ない! その生き物が無理なら、お前ごと封印だ。いつか解決できるその日まで、お前を保持し続ける。だから、殺せなんて、言うな……!」
「無理すんなよ……殺した方が楽だろ?」苦痛の中、笑む。「戦うわけじゃないんだ、今のお前でも、できるだろ?」
「僕は君のサポートをしてきたんだ。そんな終わり、選ばない」
「そうだよ、エァンダ! 手があるなら、試さなきゃ!」
「俺ごと、殺すしか、ないって言ってるんだっ……! はぁ……そう、だ。どうせなら、ビズラスの剣で、オーウィンで逝かせてくれ、セラ……! 俺が、抑えられてる、うちに……」
「!……」
サファイアを悲愴の色に染めて、彼女はオーウィンの柄に手を掛けた。しかし抜かない。抜く気は最初からない。兄へ助けを求めたい、そういった想いが受け継がれた愛剣を握らせた。
しかし、その動きはサパルを驚かせる。「セラ!?」
彼女はその声に応えず、瞳を閉じる。
左手は小瓶を握る。兄と姉を感じる。どうか力を貸して、兄様、姉様……。
周りには戦火の終わる音が満ちている。遠く高台では戦争の終わりを見て取ったのか、歓声が上がっているらしく、騒がしい。
エァンダの息遣いは次第に荒さを増している。それを止めてやることが彼にとって、彼女にとって最良のことなのか。迷うことはない。それは違う。
当人は自らの死を認めていようとも、それ以外に手がないと言おうとも、必ず手はあるはずだ。エァンダを救える方法が。怪物を、怪物だけを倒せる方法が。
そう思い至った彼女の頭に浮かぶのはドクター・クュンゼだった。怪物を造り出した彼ならば解決方法を持っているかもしれない。仮に持っていなかったとしても、その頭脳が一手を産み出すかもしれない。
「そうだ」
彼女が呟き、いざジュコへと跳ぼうとした時だった。
「ならば俺がやってやろう」
白き刃が、煌めいた。
デラヴェスはエァンダの背後に立ち、槍を振りかざし、今にもエァンダの首を撥ねようとする。
意識をジュコに向けていた彼女の反応は遅れた。ナパードとて、その間に割り込むことは不可能だった。
刃が、迫る。
血が、散った。