166:重なる者
ナパスの戦士三人と瞬間移動の使える生物との戦いは一か所に留まることを知らない。場所を目まぐるしく変える。生物のもとを目指すサパルやデラヴェスにしてみればはた迷惑だったことだろう。
三人の中でも精細さを欠くだろうズィプガルだが、外在力を纏っている彼についていえばセラやエァンダに劣ることのない感じの良さを発揮する。
むしろ、生物が気配を消して別の場所へ跳ぼうものなら、一番にその場所を知るのは空気の動きを知ることのできるズィーだった。その早さはエァンダの勘をも凌駕する。
「こっちだ」二人に叫んでズィーはナパードを使った。
「外在力もそうだが、野生の勘みたいなのもありそうだな、あいつは」
エァンダがズィーの気配を追って跳ぶ。セラは「あはは」と呆れ気味に笑いながら跳んだ。
「ぅわっ!」
彼女は咄嗟に身を反らす。しかし、生物の爪が新たな傷を彼女の肩に作る。
すでに大きく疲弊した雲海織りの衣服はその防刃力を落とし始めているのだ。
「ほんと好かれたな、セラ」
スヴァニが彼女と生物に隔たりを作る。生物が退いた先には黒きタェシェが待ち構える。
ガキュイン――!
両生類を思わせる肌が金属光沢を帯びて、カラスを受け止めた。寄生生物はその腕の質を変えたのだ。さっき伸びたかと思えば、今は剣そのものだった。
エァンダが退いて、セラが駿馬で間を詰める。軽やかに剣を一回転させ、振りかぶった。しかしそのまま振るって刃が届くとは彼女も思っていない。
碧き花が散る。
生物の背後、オーウィンが振り下ろされる。
「!?」
セラは自らに向かって迫る切っ先を視界に捉えた。
破界者の自由に動く関節より滑らかに、この生物の身体は自由自在。まるでそれが正面だと言わんばかりに腕が彼女の腹を目指す。その速度はフクロウを上回る。
破界者の能力を受け継いでいることを失念していたわけではない。ただ、超感覚でも捉えられない静かさと速さだったのだ。
「大丈夫だ」
腹部への衝撃と痛みを覚悟したセラの耳にエァンダの声。ピタリと後ろについて、彼女の背に手を触れていた。
いつの間に。彼女がそう思うよりも早く、彼女の時間、否、世界の時間がゆっくりと流れはじめた。そして、止まった。
戦場の音もビュソノータスの寒さも感じない。まるで聴覚も触覚も奪い取られてしまったかのようで、それでいて無というものを感じ取った。彼女の脳はそう判断した。
刹那の出来事。
解放。
気付けば、セラは生物から距離を取った場所にエァンダと共に立っていた。生物の腕は虚空を突いていた。
「な、に……?」
そう呟きながらも、彼女はその現象を知っていた。もちろん自らが体験したことはない。だが、知っていた。見たことがあるのだ。
その考えは噴水のように勢いよく吹き上がり、疑問を放り投げ、彼女を行動へと移した。
駿馬。
蹴り。
敵の剣を足場に宙を舞い。
相手の頭を跳び越えて。
真一文字に剣を振り抜く。
「グゥゥガァゥウ……」
背中から黒みを帯びた血を噴きだしながら、生物は膝をついた。
それもまた刹那の出来事。
「お前の負けだ」
セラは意外なほど低い声で言って、オーウィンを生物の首元に置いた。
生物の背中は繋がっているのが不思議なくらい深くぱっくりと斬り裂かれ、今もなお修復することなく黒い血を垂れ流している。
「ビズ……?」
エァンダが遠くで呟いた声が彼女の耳に届いた。
途端、彼女ははっとして状況を理解しようとする。それが隙を生んだ。大きな隙だ。
「グゥウンラアアアアアッ!!」
「セラ!」
ズィーが彼女を吹き飛ばすように割って入る。
「えっ……?」
何故だかはっきりとしない意識の中、彼女のサファイアには紅が。鮮やかな紅が飛び散るのが見えた。
『紅蓮騎士』を背中から抱きかかえるように倒れ込む『碧き舞い花』。
その手が彼の腹部に触れて、捕食者に睨まれた小動物のように震えた。幼き日、リョスカ山での出来事が脳裏に浮かぶ。ふと目に入る紅の髪の間から覗く傷跡。呼吸が荒くなり始める。目の端に涙が貯まり始める。
「ズ……」
「剛鉄鋼門! 施錠!!」
その声はセラが正気を保つための支えとなった。サパルだ。
頑丈な扉が生物の追撃から地面の二人を守った。
「はっ!」
次いでエァンダの声がして風切り音がすると、何かが空へと飛んだ。
そう、寄生生物だ。
セラが大きく切り込んだ背中から翼を生やした生物が空へと舞ったのだった。おそらくあの翼がズィーに深手を負わせたものだった。
「サパル! 俺が時間を稼ぐ。ズィーを治る部屋に」
「分かってるさ」
彼の答えを最後まで聞くことなく、一つの鍵を鍵束からもぎ取って足下に向かって回した。すると、さも当然のように扉を足場にして宙を翔け上がっていった。