156:白旗の憲兵
彼女はざらついた呟きを耳にした。
「邪魔だな」
「!」
超感覚が向かってくる脚を捉え、セラは屈んでそれを躱す。だが、次の瞬間、彼女は木組みの屋台に埋もれることとなった。
土埃の中、彼女は頬に痛みを覚えていた。
蹴られた。口の中に鉄の味が広がっていく。
確かに、破界者の蹴りは彼女の頭の上を通り過ぎて行った。一度は。
一度通り過ぎて行った脚が、膝を起点に一回転して、彼女の頬を打ったのだ。二度も見ればセラが理解するには充分だった。
破界者は関節の可動域に際限がない。
「うわぁ~~~ん……!」
彼女はすぐ近くに子どもの泣き声を聞いた。身体を起こし首を後方へ捻ると、そこには崩れた屋台の下敷きとなった天原族の子どもの姿。逃げ遅れて、身を隠していたのだ。
セラは視線を子どもに向けたまま気配でエァンダと破界者の戦いを追う。破壊者はセラを眼中に納める気がないのか、エァンダがうまく注意を逸らしているのか、こちらに向かってくる様子はない。
立ち上がり、子どもの上に圧し掛かる瓦礫を払い除ける。持ち上げようともしたのだが、思いのほか重量があり、衝撃波のマカを使っての救出だった。
「大丈夫? 向こうにみんながい――」
彼女の言葉の途中で、子どもは礼も言わずに駆け出して行った。大事に至るような怪我をしていなくてよかった。セラはそう思いながら、自身の脇腹を見た。
雲海織りの衣服に鋭い木片が食い込んでいた。ふつうの布であったら穴が空き、彼女の肌にまで到達していたことだろう。しかし、傷にならずとも衝撃は伝わっている。前回負傷した肋骨の下だった。また痣が出来てしまうかもしれない。
セラはもっと集中して破界者の動きを捉えなければと、意を決して戦場に戻って行った。
『世界の死神』と破界者の戦いはすさまじいものに違いない。
エァンダは破界者の複雑な関節の動きに対応できている。これまで長いこと戦ってきたことを覗わせる。
対して破界者もまたエァンダのナパード混じりの剣技や駿馬とは違った高速移動、マカとは違った超常能力、鍵と扉から繰り出される様々な攻撃に対処している。
どちらも一歩も譲らぬ攻防。ということは、彼女が加勢すれば分はこちらにある。さらにいえば、『白旗』たちが動き出したようだ。
多くの気配が彼女たちのいる場所へと向かって来ていることを感じる。そして、移動してきているのは憲兵たちなのだろう、戦いの最中に扉が現れ、サパルとデラヴェスが歩み出てきた。
デラヴェスは白銀の鎧を纏い、身の丈の倍ほどの槍を携えていた。
セラは二人のもとに駆け寄る。
「サパルさん」
「市場の人たちを避難させたのは君かい、セラ?」
「え? 違うけど。なんで?」
「対応が随分と早かったから、君が跳んですぐやったのかと」
「話をしている時ではないだろう。憲兵が集まり次第、一斉に攻撃をはじめさせる。サパル殿らは巻き込まれぬよう、退いていてもらおう」
「何をっ!?」
「そうよ! 一緒に戦うんでしょ!」
「ふんっ。我らの絶大なる兵力を見ていろ」
デラヴェスはそれだけ言って一つ飛び抜けた建物の上へと軽快に跳び乗った。
次第に憲兵たちが集まりだし、彼らの足踏みが一つの自然現象のように等間隔に地面を揺らす。
道から建物の上まで、戦っているエァンダと破界者を囲むように市場が所狭しと憲兵に埋め尽くさせる。憲兵たちは数人で一隊を形成しているようで、各々の隊が一つずつ巻いた真っ白な布を数人で担いでいた。その布をそれぞれの隊が地面に広げた。
高台から全てを見ていたデラヴェスは頷いて一声。「布を取れ!」
あちこちで布がたなびく音。
近場の憲兵たちを見ていたセラは、それが手枷を嵌められていた時にデラヴェスが見せたものの規模の大きいものだと知る。憲兵たちの足下には弓矢や鉄砲、剣や槍や斧などが突如として転がっていた。
「奴は移動術を使う故、呪いの掛かった飛び道具からだ。構え!」
将軍の号令に小気味よく武器を構える音が響いた。
「将軍! エァンダもいるんだぞ!」
サパルが叫ぶ。だが、その声は次いだ号令によって掻き消された。
「ぅうてぇぇえっ!!」
矢と弾が放たれる。未だ、エァンダは破界者と応戦中だった。
「くそっ」サパルは鍵をエァンダに向けた。
「俺は大丈夫だから。慌てるなよ、サパル」
彼の声がしたのはセラたちの後ろだった。確かに、彼は放射物の中心で剣を振るっているはずなのにだ。
「……まったく、君というやつは」サパルは鍵を鍵束に戻しながら呆れた様子だった。「いつの間に分化なんて覚えたんだ」
「いや、今さっきさ。なんか、俺ごと撃たれそうだったから。必死に」
飄々とエァンダは二人の後ろから歩いてきた。
「分化? 何? どういうこと?」
セラだけが置いてけぼりだった。エァンダが後ろにいると分かった瞬間から、エァンダの気配が二つあるという現象。まるで、ヒュエリ・ティーの霊体のようだ。
「そのうち教えてやるよ。今は戦いだ……うぅ、自分が撃たれてるの見るのは、案外きついもんだな」
彼の言う通り、今、もう一人のエァンダと破界者はされるがままの状態だった。生々しい、皮膚の爆ぜる音と共に踊っている。
憲兵たちは相当な訓練を受けているようだ。弾かれたものを除けばすべての矢と弾丸が命中している。セラの剣が通らなかった破界者の肌にもしっかりと傷をつけている。
「どうやら、君ごと始末するつもりだったみたいだね」
そう。サパルの言うように、この一斉射撃は明らかにエァンダも狙ったものだった。もう一人の彼に当たっているのは流れ弾ではないのだ。意思を持って、狙い澄ませれている。
「ま、実際、俺はこっちだからいいんだけどさ。問題はあいつだ」
射撃がピタリと終わった。
余韻の中、エァンダが鋭い瞳で深緑色の血溜まりに倒れる破界者を見つめる。もう一人の彼はふやけるように消えて行った。
「確認しろ」デラヴェスが破界者の近くにいた憲兵に命令した。憲兵は「はっ」と一声上げて、倒れる破界者に駆け寄る。
「確かに、今までの世界の住人たちに比べたら上出来だ。一番奴を追い詰めた」
「追い詰めた……」
セラが兄弟子の言葉を繰り返していると、当の本人は群青と共に消えた。
今、まさに名の知れぬ憲兵が破界者に触れようとしたその時。
その腕が消えた。「ぇ」
「腕一本で済んだのを幸運と思えっ」
エァンダが現れて、憲兵を蹴り飛ばした。そして、タェシェを振りかぶって破界者に突き立てようとする。
ドスッ――。
タェシェは破界者の深緑色の血の池で行水する羽目になった。
「くそっ」
タェシェを地面から抜いて、辺りを探るエァンダ。もちろん探しているのは血液だけを残して消えた破界者だ。