127:彼女が戦う理由
セラが幻想の世界から戻ったのはすでに日が沈んだ後だった。
今は特別試合を終えたズィーとその取材を終えたユフォンと共に大衆酒場に来ていた。
古びた木製のテーブルとチェアは傷だらけだが味がある。麦酒が注がれるジョッキもガラスではなく木でできている。出された料理も万人受けする味付けがされていて食べやすい。
何より世界の垣根を超えた人々が酒を酌み交わし、酔い盛り上がっている。そんな中ではセラもズィーも『碧き舞い花』と『紅蓮騎士』だ。三人で少し離れたところの席に着いているにもかかわらず、店内から二人に対しての呼びかけは激しいものだった。
今もまたズィーに向かって声が上がる。「『紅蓮騎士』! 惜しかったなぁ~!」
「ああ、ありがと!」ズィーが手を上げて応える。
彼女が本の中にいる間に行われた特別試合には本戦参加者のうちズィー、ヤーデン、ドード、ポルトーの四人が参加した。
トーナメント予選で惜しくも敗退した選手たちも活躍を見せたが、やはり本戦出場者が長く闘技場に残る光景が続いたのだった。最初にポルトー、次にズィプが残りそこからはズィーの独壇場。そのままズィーが優勝するかに見えたが、決められた時間が終わる直前にヤーデンが飛び入り参加して、一勝だけして優勝を果たしたのだった。
「ほんと、惜しかったね、ズィプ」
「ヤーデンさん、チャチとの試合でのダメージが残ってたんでしょ?」
「そうなんだよ。いや、もしヤーデンさんが万全でも勝つ気でいたんだけどさ」
「それは無理でしょ」
「なっ、ひでぇな、セラ。もしそうでも気持ちが大事なんだよ、気持ちが!」
ズィプは自分の胸をどんどんと叩く。
「気持ちか……」
セラはズィーの言葉に反応して呑みかけたジョッキを降ろした。
「どうしたんだい?」ユフォンが訊く。
「うん、わたしって復讐のために戦ってるんだなぁって」
「どうしたんだよ、急に」ズィーは眉を顰める。
盛り上がる店内とは裏腹に、三人を静かな雰囲気が包む。
「俺たちはエレ・ナパスを滅ぼしたあいつらに復讐する。そうだろ?」
「そうなんだけど……」
セラはどうにも復讐を目的にしていることに嫌悪感を覚えていた。
「なんか、いや……」
「いやって、ナパスの皆の仇、討ちたくねえのかよ? 今までそのために旅してきたんだろ?」
「分かってるよ!」セラはどうにもできない心の高鳴りを声を荒らげて発散する。「分かってるけど!!」
頭でも心でも一族の無念を晴らすこと、攫われた一族を探して救い出すこと、焼かれた故郷のために『夜霧』を討つこと、全部理解している。
それなのに、復讐が出発点だったこと、それだけのために戦っているという現実にセラはもやもやとしていた。今だって赤褐色の男を思うだけで怒りが込み上げてくる。同族を裏切ったフェースというナパスの男にだって報いを受けさせたい。まだ見ぬ統率者『白昼に訪れし闇夜』だって許せない。
だけど、だけど……。
「じゃあ、お前はここで終わりにすりゃいいよ!」ズィーが立ち上がって怒鳴った。「あとは全部俺がやる!!」
「いやいや、ちょっと待って! 二人とも落ち着いて!」
ユフォンは二人の間に割って入って宥める。ズィーを座らせて、セラに真っ直ぐな瞳を向ける。
「セラ、訊いて。いいかい?」
セラは頷きも、返事もしなかった。ただ、ユフォンの瞳を見つめ返していた。
「僕はまだ、詳しく君の話を聞いていないけど、セラ、君が復讐のために剣を握って、これまで冒険をしてここまで来たわけだよね?」
「……」
「思い出してごらん。復讐一色だったかい? 例えば、つい最近、君はヒィズルに行ったよね、戦いの感覚を取り戻すために」
「うん」セラは落ち着いてきて、ようやく返事をした。
「そこで『夜霧』の部隊長と戦ったんだよね。それはただ単に奴らの情報を集めるために戦った? 情報が手に入ればヒィズルなんてどうなってもいいと思ったかい?」
「そんなことっ!」
「だろ? 他にも思い出してみて」
ユフォンはここで間を長くとった。セラに今までの旅を思い返させるための時間だ。
彼女の旅のほとんどが『夜霧』に関わることを起点としていることは確かだろう。しかし、結果はどうだろう。天原族の長の命は救う必要がなかったはずだ。漂流地では少年を救って旅を再開させる必要はなかったはずだ。ヒィズルもそうだ。そして何より、魔導・闘技トーナメントには出る必要はなかったはずだ。ついさっきまで行っていた幻想の世界にも行く必要はなかったはずだ。
彼女は今まで復讐とは関係のないところに手を伸ばしてきていたではないか。
ユフォンはそれを彼女に知ってほしかったのだ。
「どうだい? 君は復讐だけで旅をしているかい? 確かに始まりは復讐だったかもしれないよ。でも、君は色んな人に会って、助けられて、助けて、言葉は悪いけど、首を突っ込んできたんじゃないかい? そうだな、戦う理由ってことなら……守るためってことじゃダメかな?」
「……!」
なにか、セラの中から込み上げてくるものがあった。言葉にできない想い。それは涙となってどっとサファイアの瞳から溢れ出た。
「ぅわっ、セラ!? 大丈夫かい? ごめん、何か嫌なことでも思い出しちゃったかな、えっ!? ええっと……ははっ、セラ?」
涙を流したの突然、笑い出したのも突然だった。決して大声を上げるわけでもないのに、彼女はとても嬉しそうに笑っていた。涙を流しながら。
視野が狭くなっていた。復讐に囚われ過ぎていた。彼女は今まで出会ってきた人々の顔を思い浮かべる。彼女が助けられ、一緒に戦い、守ってきた人たちだ。これからもそうだろう、この先どれだけ長い旅になるか分からないのだ、もっとたくさんの人を守ろう。『夜霧』の手から。その他のことから。
セラは涙を拭った。
いまだに潤みを見せるその瞳は新たな決意の光を灯す。
「ありがと、ユフォン! それにズィーも」
「お、俺は何もしてねぇだろーが、ただ怒鳴っただけだ」
「うん、そうだね。今回はユフォンの方が励みになった」
「なっ……!」
「ズィプ、こういうときはただ喝を入れようとしても駄目だよ、はは!」
「なんか、むかつくなっ」
「あはは!」
セラは笑った。
ユフォンも、ズィーも笑った。