106:薬と毒
「持久戦になりそう」
言って、セラはオーウィンに纏わせたマカを解いた。
生身の刀身ならィルの強固な体に傷を負わせることができると、そう考えたからではない。彼の体を打った感触では、マカを解いた刃でも通りそうにないのはさっきの一撃で彼女には分かっていた。
それでもマカを常時使っていられるほど、彼女はマカを使いこなせない。だから解いた。時期を待ってまた纏わせればいい。
「薬効が切れるのを待つかゥ?」
薬草術の知識があるからこそのセラの考えはすぐに見破られた。だが、見破られたからと言っても彼女にはその策しかない。
筋力を増強させるような薬は体に大きな負担をかけることになる。だから、そう長くは続かないだろうと彼女は考えた。
薬が抜けるのを待とうと。
「それは無理というものだゥ」
「……?」セラは訝しい表情でィルを見つめる。
「確かにさっきの薬はそう長く効果を発揮する様には作っていないゥっ」
ィルが医療刀片手に迫ってくる。セラはマカを纏わせないままのオーウィンで医療刀を迎え撃つ。
二人の乱打戦が始まる。
薬で強化されているィルの身体能力は力だけでなく速さも向上している。超感覚で先読みしながらのセラでも数回に一度、体に刃を受ける。
反対にオーウィンはィルに触れても、その白衣しか斬ることができない。
「今回はその持続時間の測定も兼ねているが、他にも試している薬があるゥ。あなたにゥ」
「わたしに?」
刃を交える相手の言葉に、思わず声を上げたセラ。ナパードで一気に距離を取った。
「最初に謝ったのって、そのこと?」
「ああゥ。あなたには薬のことも教えて差し上げるゥ」
ィルは言って医療刀を前に出して見せた。
「このメスにはドクドックフグの毒を弱めたものを塗布してあるゥ。切り傷からあなたの体に入った毒は、そろそろ体を痺れさせるゥ」
「……」
「すまないが、これも戦いゥ。謝る理由までは話せなかったゥ。おゥ」白衣の男は自らの身体を触る。「こちらの効力も切れ始めたゥ。まあ、勝負は着いたゥ。問題な……いゥ!?」
自分の体からセラに視線を向けたナマズ顔はその髭をピンッと張らせて驚いた。
なんといっても、距離を取ったはずのセラが、毒で体がしびりているはずのセラが、目の前にいるのだから。
「もう、こっちの攻撃効くよね」
分厚いマカの淡い輝きを纏ったオーウィンがィルの腹を打った。
「ぶらぁあゥっ……!!」まだ少しばかり筋力増強剤の効果が残っているようで、会話ができるよう余裕があるようだった。「なぜゥ。なぜ動けるゥ?」
「わたし、毒平気なの。ごめん。マカとかだったら効いたと思うんだけど……」
セラは少し申し訳なさそうに言った。
クァイ・バルの『変態仙人』のもと変態術を学んだ彼女にとって毒による攻撃はあまり意味がないのだ。体が痺れるどころか、違和感すら覚えていなかった。
「参ったな、これはゥ……」
膝をついたィルの高さは、それでもセラよりも高いままだった。
『決まったぁーっ! 勝者、『碧き舞い花』セラフィ・ヴィザ・ジルェアス!! セラちゃんおめでとう!』
私情混じりの勝利者宣言に、セラはオーウィンを納めつつ小さくため息を吐いた。
「もう、ニオザったら……」
実況が私的であろうが会場の盛り上がりは変わらない。勝者、敗者を問わない歓声が闘技場の二人に惜しげもなく浴びせられる。
「まさか、毒が効かぬとはゥ。さすがは世界を巡る『碧き舞い花』だゥ」
「や、やめてください。わたしが自分で言ってるわけじゃなから、それ……」
「なかなか詩的なセンスがあると思うがゥ?」言いながら懐から黄色い液体の入った小瓶を取り出すィル。「一応、解毒剤があるゥ。飲んでくれゥ。明日からの戦いに負けたのが俺のせいだと言われてしまっては困るゥ」
「はい、じゃあ」
セラは小瓶を受け取り、一口で飲み干した。
「試合前に言いかけたことだがゥ」
控え室へと戻る中、ィルが口を開いた。
「ベルツァ様の弟子の一人にやけに薬草だけを好む者がいたことを思い出したのだゥ。変わり者で……今は行方不明だがゥ」
「行方不明……?」
「異界へと出掛けたっきり、帰っていないゥ。仮に彼女が薬草術の賢者だとしても、彼女である必要はないだろゥ? トゥウィントならば毒と薬のことを学べるぞゥ。試合にも負けたからな、俺はもうトゥウィントに帰る。訪ねてくるのであれば、そのときは面倒を見ようゥ」
「ありがとうございます」
セラがお礼を言ったところで、階段は終わり、レディファーストで二人は控え室に入ったのだった。