99:鳩尾から黒
「研究の手伝いをしてもらえませんか!」
セラよりも年上の小さな少女は人型武器の額から身を乗り出して声を張る。
「えっ、と……研究? ですか?」
噴水広場にあるユフォン行きつけの洒落たカフェ。セラとユフォンが朝食を食べに来たカフェだ。
あのときと同じ窓際の席で、セラはユフォンの隣に座っている。もちろん、対面に座るのは機械人間オルガストルノーン・Ω、に乗ったチャチ・ニーニだ。
窓枠の外には盛大に噴き上がる噴水と大会の興奮冷めやらぬ人々が納まっている。それにしても大会開催に伴う街の賑わいなど露知らず、彼女が超感覚を澄ませるとカフェ全体に魔素を感じるところをみると、防音効果のあるマカが使われているらしかった。カフェの中には独りでに鳴るヴァイオリンの旋律だけが流れている。
「はい、研究です」
チャチは言うと、何やらオルガストルノーンの頭の中にある形状も大きさも様々なボタンをテキパキと操作し始めた。
「これを、見てください」
機械人の鳩尾部分が静かな音を立てて両側に開いていく。
「!」
現れたもの見てセラのサファイアが見開く。
小人の乗る機械男の内部に横になる、黒い棒。
――ロープス。
装置のあるその場所に、スルキュルと擦れる音を立てながらチャチが機械体の内部を縦に続く棒を滑り降りてきて、
「これは渡界人の研究者がわたしの世界で造った装置の試作品をわたしが改良してオルガに搭載したものです…………聞いてますか?」
「セラ?」
突然の『夜霧』へ繋がるものの登場に呆然とそれを見つめていたセラは二人に見つめられ、ようやく装置から目を離す。
「あ、ごめん。えっと……」苦笑を浮かべる。そして、隣の彼に向けて言う。「あれ、あいつらが使う渡界の道具、なの」
「あれが!?」
「えーっと、恐らくあなたの言っているものは完成品で、しかも量産型だと思います。正確にはこれではないはずです。これは試作品をわたしなりに改良しましたからね。さっき言いましたけど」
とチャチは少し苛立ちを覗かせる。
「なんか、すいません。それで、研究の手伝いって」
「はい、それが本題です。いいですか、今度はちゃんと聞いててくださいよ」
セラは声を発せずに頷く。
「実は、これ。どんなに改良を重ねても異空を渡ることしかできないんです。操縦席で座標をセットして、跳ぶ。今では座標なしでアトランダムに跳ぶことも出来ます」
「それでいいじゃないいのかい?」とユフォン。
「何を言ってるんですか! ナパスの人でもないのになんですかあなたは?」
「え、えぇ~……ははっ」
何故だか叱られたユフォンはしょぼんとして引き下がり、セラに視線を送る。セラは頷き、
「どうしてそれじゃ駄目なんですか? 充分だと思いますけど」
「ナパードは……」チャチはどこかいじけたような、悔しそうな顔をして言葉を止める。
先を促すセラ。「ナパードは?」
「一つの世界の中でも自由に跳べます。それに、さっき見たドルンシャ帝という方の瞬間移動もセンサーで追ってみましたが異空には跳んでいませんでした」
つまり、彼女は短距離の、世界内での瞬間移動がしたいということだった。
「世界内の移動の仕組みを教えてください、ということです!」
チャチ式ロープスがばうんっと開発者に叩かれる。
「どうか、研究にお力添えを!」
小さな体をうんと曲げて頭を下げるチャチの姿は熱心そのもの。探求心。知りたいという欲求。
その気持ちは薬草術を心得ているセラにも分からなくはなかった。知らなかった植物に対して薬効があるかどうかなどを調べることは彼女も好きなことだった。その好奇心があったからこそ姉よりも薬草術に明るくなったと言えよう。
「分かりました」セラははっきりと口を開く。しかし、快くとまではいかない。「その代り、その装置の試作品を作ったナパスの民のことを教えてくれますか?」
大会に参加しているとはいえ、彼女も暇ではない。彼女の旅には目的があるのだ。『夜霧』に届く可能性があるのなら何としても情報を手にしたい。
「ええ、もちろん! ありがとうございます!!」
チャチは頭を上げると大きな瞳を輝かせ、素早い動きで額の中にある座席に向かってオルガの体内を昇った。機械人の鳩尾部分が閉まっていく。
「では、早速! まずは聞き取り調査を!」
「え、今すぐ?」
「はい! 研究は待ってくれませんからね! 足を止めるわけにはいきませんから!」
止まってなんていられない。
セラは小さく口の端を上げた。
「そうですね!」
「ではまず、どうやって跳んでいますか? 異空間移動の時との違いを教えてください」
「うーん、そうだなぁ……」セラは少し考える。「……ごめんなさい、そんなに変わったことはない、かな? 異界のどこかでも、同じ世界のどこかでも、その場所をイメージして跳ぶだけだしなぁ。目に見えてる場所なら感覚的には歩いたり、走ったりして移動するのと変わらないですし……」
「確かに、僕もこの世界の中を瞬間移動したことあるけど、行きたい場所を思い浮かべるだけだなぁ。それに座標を決めて跳ぶんだよね、座標を細かく設定すれいいんじゃない?」
「そんなことはとっくにやっています。というか、記者のあなたには聞いてません。黙って試合の記事でも書いていてください」
「ははっ……そうしまーす」
ユフォンは腰巻カバンから低質紙と筆を取りだしていそいそと何やら書き始めた。
それを見たチャチはセラにだけ目を向ける。
セラはユフォンに対して苦笑いを浮かべると、口を開く。
「確かに、言葉にはできないんだけど、世界を出るためのナパードと世界の中を移動するナパードは違うことは違うんですよ。やっぱり感覚的なことなんですけど」
「うーん……感覚ですか……。超速演算では導けない、座標とは違うものが必要なのか……。うーむむむ……」
チャチはオルガの頭の中で独り黙って考え込んでしまう。
ユフォンは書き物をかなりの速さでしている。
落ち着いた音楽が一番大きいという状況。
そんな折、セラはあることを思い出した。
「あの、そういえばなんですけど」
「あ! 何か、違いが分かりましたか?」
「いや、そうじゃなくて、実はわたし、その装置、正確にはあなたのではないですけど、それで一つの世界の中を移動したことがあって……」
彼女が思い出したのはビュソノータスでジュランに肩を借りながら回帰軍の砦へと跳んだときのことだった。あのときは自分でジュランの持つロープスを起動させていたのだ。
「なんですって!? それは本当ですか!?」
「はい」
「つまりはわたしのものとは別の進歩を遂げたということですか……興味深い……」
言って、またも独り考え出そうとするチャチに、セラは間髪入れずに二の句を口にする。
「わたしも追ってる奴らが使ってるその装置を手に入れたいと思ってるので、手に入れたらそれを調べてみるのはどう? それと、これは装置の話じゃないんだけど、わたしの伯父、『異空の賢者』って呼ばれてて、この大会が終わったら会いに行くつもりだから、話を聞いておきましょうか?」
「ほんとぉですか!!? ぜひ!」チャチはレバーなどを操作してオルガストルノーンを動かす。そして、オルガの懐から懐中時計のようなものを取り出す。「あ、これ、わたしのいる座標を表示する機械です。必要な時はこれを頼りにわたしのところへ来てください。ぜひ、伯父さまとは直接お話したいので、よろしくお願いしますね!!」
セラは機械の手から手のひらに収まる大きさの装置を受け取る。そこには縦に四つの窓があり、それぞれに五桁以上の数字が表示されている。その数字がホワッグマーラのマグリアのカフェの場所を表しているらしい。といっても、座標も地図も使って跳んだことのないセラにはどの数字が何を意味しているかはさっぱりわからなかった。