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I'm OK You're OK 9

 私にはやらなきゃいけないことがある。

 


 三年生の引退式をして、部長の引継ぎをして、新体制で部活をスタートして。立ち止まっているわけにはいかない。

大会前は放課後だけでなく休日も休み無く部活をしていたが、当分の間は隔週での練習だ。

 土曜日である今日は午前中練習だ。片づけを終え部員を学校から追い出したところで、横にいる高山くんに声を掛ける。

「今日、このあと時間ある?」

 明日はオフで、月曜日から三者面談に入る。しばらく部活はない。

「…あるぜよ」

 高山くんは少し眉を上げて驚いたような顔をしたが、すぐにいつもの表情に戻る。

「じゃあうちに来ない?昼ご飯用意するから」

「…いいぜよ」



 リビングのテーブルで高山くんと向かい合って食事を取る。ぽつりぽつりと私が一方的に部活のことを話すだけで、ほとんど会話がない。高山くんは私の話に「ん」「そうじゃな」など短い相槌を打つだけだ。こんな静かな緊張は初めてだった。

 彼と私の間にはテーブル一ひとつ分の距離がある。手を伸ばせば触ることができる距離。伸ばさなければ触れ合わない距離。

必要なのは勇気。

「高山くんのこと、好きよ」

 箸を持っている左手が止まる。

 彼は箸の使い方がきれいだ。きっと幼いころに家族に躾けられたのだろう。彼がおとなになったときに困らないように、恥ずかしくないように。彼は彼の気づかないところで見えない愛情に包まれている。

「ただ、今は付き合えない」

「…なぜじゃ」

 かたんと箸を置く音がリビングに響いて彼の強い瞳が私を射抜く。

 そらさない。真正面から見据える。逃げないと決めていた。

 これが私の出した結論だ。

 どこから話していいかわからないから続く言葉が見つからない。

「おまえさんのいう付き合うってなんじゃ」

「……高山くんのこと大事にしたいと思う。疲れていたらやさしくしてあげたし、困っていたら助けたい。高山くんもやさしくしてくれると思う。でもそれが私には耐えられなくなると思う。きっと高山くんから逃げ出してしまう」

「…なんで」

 口にするには、言葉にするには少し勇気がいる。目を背けていた事実と自分の気持ちをひとに伝える難しさ。

「私が私を肯定できないから。私を信じられないから。この状況がいつか壊れるんじゃないかと思って、壊れる前に先に壊してしまう」

 大事にしたいから優しくしたいから。

 壊すなんてしたくない。

「そんなことわからん」

「そうなの。今までそうだったの。周りの人がやさしいと途端に不安になってしまう。疑心暗鬼になってしまう。そして堪えられなくなってそこから逃げてしまうの。こんな私が恋愛する資格なんてない」

 自分を傷つけたくないから、自分と向かい合い合えないから、ひとを傷つけたりその場から逃げ出す。そんな私が好きと言ってもらえる価値なんてないのだ。

「だから付き合えない」

 短い沈黙の後、高山くんが口を開いた。

「…俺のこと好きなん?」

「好きよ」

 いつから好きになったのだろう。いつからこの関係を壊したくないと思ったのだろう。

 いつからとても大事なひとになっていたのだろう。

「なら問題ないなり。継続じゃ」

「え?いまの話を聞いてたんでしょう?」

「聞いていたなり。俺のこと好きなんじゃろ」

「それはそうだけど、いや、問題はそこじゃなくて」

「問題なんてない」

「だからそこが、」

 自然と声が大きくなって立ち上がる。高山くんはまるで逃がさないかのようにぎゅっと私の左腕をつかんだ。


「資格なんて難しいこと考えるな。俺が聞いているのは、俺が好きか嫌いかだけじゃ」

 

「その後のことは綾が決めることやない。俺が決める」


「綾が自分自身を肯定できなければ俺が肯定するぜよ。おまえの存在すべてを肯定する」



 高山くんの言葉が私を貫く。



 ……私はこのひとを信じられるのだろうか。信用してもいいのだろうか。

 甘えてもいいのだろうか。

 このひとのそばにいてもいいのだろうか。


「………私、めんどくさいよ」

 やっとのことで言葉を搾り出す。からからの喉にひっかかって高山くんと私のあいだに落ちる。

「何言うとる。おまえさんのが俺のことめんどうだと思ってたなり」

「……」

 そうだった。最初はめんどうだと思っていた。

 だって好奇心で近づいてきたはずなのに、そう思っていたのに、私が張っている壁を、ひととの距離を飛び越えて入り込んでいた。私を揺さぶっていた。

 そしてその逆も。ひとと一線を引いている高山くんが距離を近づけていることもあった。

 いいのかな、このままでいいのかなと思いながら居たんだ。だっていつのまにかそばにいるのが当たり前になっていた。

 あんな始まり方だったから、冗談みたいなスタートだったから、高山くんの本心がわからなかった。からかっているんだと思っていた。私の反応を見て楽しんでいるんだと思っていた。だから本気になるなんて好きになるなんて思わなかった。

 私が好きになったら終わるんだと思っていた。

 当たり前になっていたから壊したくなかった。

「…私、わがまま言っていいのかな」

 このままの私でいいのかな。

 高山くんが好きで離れたくないって言ってもいいのかな。

 こんな私でもいいのかな。

「もっとわがまま言えばええやろ」

「わがままを言えるのはもっとかわいいこだけだと思ってた。わたしに言う資格なんてないと思ってた」

「なんでも資格資格になるんやな」

「だって誰だって他のひとを困らせたくない…」

「俺は困らん」


「綾の悪いところは、自分がそうだから相手もダメだろうって思っているところじゃ。ひとはみんなちがうんやろ?みんな違ってみんないいんやろ?だから愛しいんだって、そうタカが言っとった」


 ああ。その言葉は。その言葉は私が言った言葉だ。

 今年の始業式に、クラスのみんなに向かって私が言った言葉だ。

 そうか届いていたのか。タカはその話を家に帰って高山くんにしてくれたんだ。


「タカが言っとった。新しい担任はいい先生やって。あいつがそんなこと言うの初めてやったし、どんな先生かって思ってた」


「毎日学級通信を出してるやろ。毎日それを夕食のとき親に見せて学校のことを話していたんよ。それ聞いてどんなやつかますます興味を持ったんじゃ」


「店に来たとき驚いたぜよ。学級通信に顔写真載ってなかったら気づかなかった」

「あの時から私がタカの担任だって知ってたの?」

 知っていて話していたの。そんな素振りなんて全然見せなかったのに。

 ああ、初めて会ったときから高山くんは全て知っていたんだ。

 初めから、全て。

「知っちょった。一方的に。タカが全幅の信頼を寄せているやつがどんなやつか、いつも考えていた」

 知らなかった。タカがそんなに私のことを信頼してくれているなんて。そんなふうに家で話をしてくれていたなんて。

 彼もまた高山くんと同じでとても賢い。まわりに対しきちんとした態度を取れるということは、自分のベストな他人との距離をわかっているということだ。とても大切なことであるが、多くのことを吸収する少年期において強固なまでに自分のスタイルを貫くのは、他人に影響されない強いひとというだけの評価では疑問を感じるときもある。

 それはそのひとの中に他人がいないように感じられるからだ。

「タカは自分の目で見たことしか信じよらん。周りの評価に左右されないやつなり。やから余計にこの目で見たかった」

 そんなに高く評価されていいのだろうか。

 私はその期待に応えられるだけのことをしてきたのだろうか。

「…実際に見て、がっかりしなかった?」

「するわけない。想像以上に鋭くてびっくりしたぜよ」

「高山くんは、第一印象とは違かったわ。勝手にこうだと決め付けていた」

「いいや、本質突いていたぜよ。いままで気づかせかんかったのに。なんで綾は気づいた?あの短い時間で」

「なんでだろう」

 なんであのとき高山くんのことがわかった気がしたのだろう。こんなに強くて不思議なひとなのに。

 こんなに私と違うひとなのに。

 こんな私を肯定してくれるひとなのに。


「…ひとはね、他のひとから好きって言われて初めて自分のことが好きになれるんだって。自分のことは好きじゃなかったけど、その言葉を信じてずっと仕事をしてきた。間違ってなかったのかな」

 これが私のよりどころだった。支えだった。

 高山くんがまっすぐ私を見る。

「間違っとらん。おまえさんが自信を持てんようなら、これから俺が何回も何万回も言ったる」


「好きやよ」

「私も高山くんのことが、好き」







 いままでずっと自信が持てなかった。まっすぐに向かい合うこともだれかに助けも求めることもできない自分の弱さが嫌いだった。嫌いだから否定し続けていた。このままではいけないとわかっていたから余計に動き出せない自分がいやでたまらなかった。

 こんな私でもいいと言ってくれた。私にそんなひとが現れるなんて思わなかった。

 初めてこんな私を必要と言ってくれた高山くん。

 私も彼が必要で彼のそばに居たいし大事にしたい。疲れたときはやさしくしたいし困ったら手を差し伸べたい。

 そう思えるいまの私は、少し好きになれそうだ。


 高山くんとはこれからで、ようやくスタートラインに立ったに過ぎない。

 けれどこれからひとつずつ変えていきたいと思う。高山くんと一緒に。

 自分も他のひとも肯定し、あるがままの自分を受け入れまた他人もそれを受け入れる。ひとを利用しないひとに利用されない。他者がいて自分がいるのだとわかっている、I’m OK You’re OKへ。






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